2018.12.14(金)左肩関節の手術
前日の12月13日に入院して、翌日の14日に手術を実施した。術式は関節鏡下肩関節唇形成手術。予定時間を大幅にオーバーして終了。先生曰く、
予定していた手術だけではまた外れる可能性が高かったため、
予定以外の箇所を固定する手術を実施した
これで3ヶ月のリハビリを実施して、元の強靭な肩となる予定である。4月の復帰を目指して頑張るのみである。
ここ
2018.09.29(土)左肩関節再脱臼そして手術へ
またやってしまいました。3年前に初めて脱臼して、今回が2回目です。前回と違うところは、前回は滑って転んで引っ張られて外れてしまったが、
今回は、ぬかるんだところで体制を保つためにバンザイをするように両手を振り上げたら左肩が脱臼してしまった。
前回もそうであったが、ここからが地獄である。登山口まで残り1時間ほどの山の上、痛みをこらえてひたすらゆっくりと下山した。
帰路途中の松本市波田にある病院で整復をしてもらった。
その時、医師からはレントゲンを見せられ脱臼するときとはめるときに骨がこすれていて今後習慣となる可能性があるので紹介状を書いておくので受診するように指示があった。
地元に戻って、受診をした。結論は外れにくくする手術を選択した。実施時期は12月になってからと決めた。それまでは肩周りの筋トレを繰り返した。
ここ
2015.08.24左肩関節脱臼
夏休みを利用して聖岳、赤石岳に登山に行った。最終日の下山中、椹島まで残り1時間あまりのことろで、木の根にすべり持っていたストックに左腕が引っ張られる形となり左肩を脱臼してしまった。
自業自得であるが残り1時間のところでよかった。肩でよかった。足であったら歩けなかった。
この日記を書いている今日は2015/10/18。そろそろけがをしてから2か月となる。70%の回復といったところである。
何もしないとよいが、腕をあげたり、寝返りを打った時に痛みが走る。もうしばらくリハビリを続けていきたい。
その時の記録はここ
2011.04.02左膝前十字靭帯損傷のその後U
怪我をしてから3年が経とうとしている。自分ではしっかりやっていたと思っていたリハビリは、ちょっと足りなかったようである。片足でケンケンをしてみると力が入らないことが分かった。なぜ気が付かなかったのだろう。不思議ではあるが、2ヶ月前からケンケン等のリハビリを開始した。そのせいもあるのか、最近では膝の裏あたりの筋が非常に痛い。
全体的は状態は、膝はポキポキするし、膝の中にフワフワした違和感があるし、体重をかけると力が抜けてしまうような脱力感もあるし、といった感じである。
こんな感じではあるが、昨年の夏には富士山登山を経験し、それ以外の山にも登り始めた。自分の膝である。いたわりながら末永く付き合っていきたいと思う。
2009.02.01左膝前十字靭帯損傷のその後
予定通り昨年の12月16日に左膝前十字靭帯再建術(形成術)を実施した。その先週に風を引いてしまい、耳鼻科に受診し抗生物質を処方してもらってようやく手術にこぎつけた。
手術は無事終了した。11泊12日を予定していた入院は、状態がよかったため7泊8日で退院となった。
退院後は、3日間出勤し、9日間の年末年始の休みとなった。休み期間中は、指示されたリハビリメニューをこなす日々であったが、腫れが引かないため、思うように動くことができなかった。休みが幸いした。
それでも日々リハビリを実施していくと、日に日によくなっていくのがわかる。膝の曲がりは、風呂の中で正座ができるように回復した。今日は、昨日の雨から一転良い天気となったため、蓮花寺池公園にリハビリのためにウォーキングを行なった。土日のたびに蓮花寺池公園に歩きに行くのだが、先週から富士見平までの山を登ることも開始した。それでわかったのだが、上りは大丈夫であるが、下りが膝に負担がかかってうまく下ることができない。
それから1週間。池を3周と、トリムコースでリハビリ。ダメだった下りも今日は、不安なく下りることができた。ただ、補そう具を外したときどうなるかが不安であるが。あと16日で手術後2ヶ月である。予定ではジョギング開始であるが、思ったより状態が良いので早まるかもしれない。
2008.09.15左膝前十字靭帯損傷
父親サッカーの今年度初戦、4月12日にいきなり怪我をしたのであった。左膝前十字靭帯損傷。
週明けに職場近くの整形外科に受診すると半月板損傷であるとの診断。2ヶ月間、リハビリのために通院をした。リハビリは患部に電極をつけ低周波を流すリハビリである。しかしまったく良くならない。この診療所の治療を終了するため治ったことにして治療を終了したのであった。
困っていたところ、突然、整形外科の権威のF岡先生が事務所の窓口に年金の手続きに来たのであった。先生とは病院勤務時にお世話になり、先生も私のことを覚えていてくれた。早速私の今の膝の状況を話をすると、あと1ヶ月様子を見て、改善しないようであれば私のところに来るようにと、メールアドレスをいただいた。
1ヶ月たったが改善しない。先生にメールを送り状況を報告したところ、先生から電話があり、先生の外来を受診することになった。
7月28日受診。先生が予約してくれたMRIを先に撮影し、その結果をもとに受診した。診断名:左膝前十字靭帯損傷。半月板は悪くないとのこと。
どうすればよくなるか確認すると、再建術以外に治らないとのこと。手術は今すぐにしなくても、1年後でもOKであるので、11泊12日の入院が必要なため仕事と相談して、都合の良い時期に手術することになった。
12月16日の今年最後の先生の手術日にお願いした。
手術までは、左足の筋力を落とさないようにリハビリをするように指示があり、自宅でリハビリを実施し、1ヶ月に1度程度病院のリハビリに受診をしている。自分ではがんばっているつもりであるが、左の大腿が右よりも2cm痩せているとのことで、がんばって筋力を落とさないように言われた。
理学療法士が教えてくれた筋力アップのエクササイズとウォーキングを実施しているが、がんばりすぎて階段の上り時に膝がひっかるなどの症状が出てきてしまった。
しばらく、だましながらリハビリを継続することにする。
2006.07.02くるま壊れました
6月24日に気がついたのだが、このHPの名前にもなっているスペースギアがとうとう壊れてしまった。正確に言うと、エンジンは心地よくかかるのだが、ギアを入れて走行するとアクセルは吹かしているのだがエンジンが思うようにまわらず、スピードが出ない。当然アクセルを余分に踏み込むことになるのだが、踏み込んでからエンジンが反応するまで約2秒程度かかる。反応時は、ディーゼル特有の黒い煙をはいて、回りに迷惑を掛けながら走ることとなる。これではいつ止まるかわからない。怖くて乗っていられないので修理工場に修理を依頼した。
見積金額を聞いて唖然。エンジンシャフト付近のパーツが破損しているらしくエンジンの乗せ替えが必要とのこと。その額70万から80万程度。もう10年乗っている車である。70万を出して修理するつもりは無い。当然車を更新することした。
何度かリコール隠し問題が発生し、その都度リコールの代償の修理をしたが、もう三菱車はこりごりである。
トヨタ車か日産車にするつもりでディーラーをまわった。条件として、納車までの間は、代替車を貸してくれることを今までと同じ1BOX車に絞って車種選びをした。
交渉過程で契約前に発注してしまう等のトラブルがあったが、ディーラー等に迷惑がかかるのでここでは記することはやめることにする。
結局、ネッツトヨタからVOXYを購入することとした。
このHPはJasper倶楽部である。スペースギアの車種から取った名前である。Jasperが無くなった今日では、ネーミング変更も考えたが、気に入った名前も思いつかないので、このままの名前で今後も続けることとする。
最近では、仕事が忙しく、自宅では脱け殻状態で更新ままならないが、これからはこまめに更新をしていきたい。、
2002.11.06救急救命士
看護師をを生業としている妻が、今年は救急救命士の試験を受けた。救急車に乗車して医師の指示のもと、処置等の医療行為をおこなうことができる国家資格である。その発表が本日あった。静岡新聞の朝刊の片隅に、救急救命士合格者の文字を見つけ、目を通していると、妻の名前があるではないか。この時やっと先月末に、東京に泊まりで行った理由がわかった。試験を受けに行っていたのである。
今日は新聞をみた私の同僚が皆、良かったなと声を掛けてくれる。何となくうれしいやら、はずかしいやらで、過ぎてしまった一日だった。
調子づいた妻は来年、また何かの資格にチャレンジするみたいである。受験勉強はいいが、家事はちゃんとやってよね。
2001.09.09オオクワガタ購入
ビッダーズのオークションサイトにはまってしまったみたいだ。対象物件は「オオクワガタ」。
ポマトランドでヒラタクワガタのオスをゲットし、ホームセンターでヒラタのメスを買ってからは無性に繁殖させてみたくなった。繁殖欲望はとどまることを知らず、オオクワガタも繁殖させたくなった。
オークションでは成虫(親)の大きさ、産地は問わず、とにかく安く仕入れる事を目的とした。成虫、幼虫を仕入れることとした。
幼虫を購入するべくして、入札を行うが、他の人にさらわれてしまう。次は200円と安く出品されていた購入に至った幼虫にねらいを絞った。価格はつり上げられ、1,000円までになった。これで落とせなければ止めようと思っていたが争っていた相手が手を引き6匹を1,000円で購入する事ができた。
成虫も同様で、初めはねらっていたのが落とされてしまい、2番目にねらっていたものを競り落とす事ができた。1,200円でオス1匹、メス2匹。どう考えても格安である。またオークションに参加したくてウズウズしていることは言うまでもない。
2000.12.10(木)ホームページが雑誌に掲載
11月の中旬、静岡の(株)フィールドノート社からメールが届く。その内容は12月10日発刊の「静岡版ホームページガイド2001」に私のホームページの記事を載せたいという内容であった。断る理由も無く、と言うよりは願ってもない申し入れであった。当然快諾をしたことは言うまでもない。
2000.07.26(水)修善寺ポマトランド
本日から2泊3日で今年初めてのキャンプに行った。前日晴天から一転して、空からは大粒の雨が降り続いていました。しかしアウトドアには急な天候の変化等で雨は付き物と言い聞かせながら、
車に荷物を詰め、現地に車を走らせるのだった。
途中、清水町のスパーで食料を調達して、雨の中現地に。雨は降ったり止んだりで到着したときは一番強い降りとなっていました。
今までかつて雨が降っている最中にテントの設営をしたことがなく(これはラッキーとしか言いようがないが)妻も子供も、テントの設営嫌がってしまった。
仕方なく管理棟でミニキャビンに予約状況を聞き、空きがあるのでそこにすることにしました。決めて支払を済ませて、荷物の搬入終えたところで、天候は回復してきてしまったのだ。これには一本取られてしまった。しかし天気予報は雨の確率70%当然この後も降雨が予想されたので、心の中でキャビンを借りた自分の選択を正当化するのであった。
しかし、雨はその後回復し、28日の撤収時まで、まとまった雨は降らなかった。自分の選択に後悔の念、何とも後味が悪いキャンプとなってしまった。唯一の救いは、子ども達がたいへん喜んだことだった。たまにはこんなキャンプもいいか。 でもテント、タープは張りたかった。
教訓・・・・アウトドアには雨が付き物。それが嫌ならキャンプなどやるな!!
1999.10.03(日)武者行列
10月になって我が町にも秋祭りの季節がやってきた。この地方の神様を奉った「飽波神社」の例祭が10月の第1土曜日とその翌日の日曜日に執り行われる。この祭りは、4年に一度は大祭りとして、各町内(10地区)の山車が旧藤枝町の町々を、地踊りを披露しながら練り歩く祭りでもある。今年は大祭りの年ではないので、御輿渡御が行われた。(この祭りの山車はこのHPで紹介することとするそれまで待ってね。)
御輿渡御は金棒を先頭に武者、大眞榊、猿田彦命、大太鼓・・・・・(中略)・・・、舞姫、輿丁、御輿と続く行列で、朝の9:00に発輿して18:00の還御まで執り行われる。
今回は5才になる家の息子が、武者として行列に参加することになった。重い鎧甲を身につけ、1日中行列について行くのは至難の業なので、私は出るのをやめた方が良いと思っていたのであるが、妻がどうしても参加をさせると行って参加したのであった。案の定、息子は足が痛くなって泣き出してしまう始末であった。・・・・
途中は自宅に戻って昼寝をさせ、夕方になるとまた衣装を身につけさせ、行き着く先にある縁日の「綿菓子を買ってやる」の一言にがんばって付いていく息子であった。
疲れ果てた息子はいびきをしてぐっすり眠っている。
1999.08.08(日)強風の田貫湖キャンプ場
先週に引き続きまたまたキャンプに行ったのであった。今回は田貫湖キャンプ場。理由は朝霧高原周辺のオートキャンプ場がほとんど予約でいっぱいで、予約できなかったからである。こう言うとき、このキャンプ場の「早い者勝ち」は魅力的である。
2泊で利用したのだが、他のオートキャンプ場の混雑をよそに、このキャンプ場は実にゆったりと利用ができました。朝11:00頃の到着で一番景色が良いAサイトのそのまた一番条件の良いところにテントを張ることができました。
1泊目はとても静かな夜で、星空がとてもきれいで、娘は初めて流れ星を見たと興奮して話をしてくれました。
翌朝、とても良い天気でしたが、少し風が吹いてきました。朝9:00頃に岩崎家族と合流し、サイクリング、水遊びとその日は楽しい時間を過ごしたのだった。風のことはあまり気にはしてませんでしたが、風はおさまるどころか、逆にどんどん強風になり、日が落ちるときには、台風並の強風になっていました。Aサイトのすべてのタープは風に吹き飛ばされるか、自分で撤収せざるを得ない状況になってしまいました。他のサイトはどんな具合か、見に行くと、Bサイト、Cサイトは風こそ有りましたが、タープが吹き飛ぶほどではなく、快適にアウトドアを楽しんでいるようでした。
Aサイトは景色がよい代わりに、湖面からサイトにはなにも遮るものが無く、湖面から吹いてくる風は自ずとスピードを増してテントを直撃するのであった。今度娘は、「もう絶対このキャンプ場には来ない」と言い出す始末。それでもテントで眠りに付いたのだった。
翌朝、まだ相当な風が吹いており、隣に張ってあったテントは無惨にも支柱の一本が折れ曲がっていた。私のテントは無傷ではあったが、タープの方は、隣の住人がおこした炭火が風に舞い上がり、我が家のタープを直撃したのであった。「おいおいこんな風が強いとき、炭をおこして飯なんか食うんじゃねえ」と言ってやりたかったが、気の小さい私には言えませんでした。家に帰ってリペアキットで修理をしたのは言うまでもない。
1999.07.28(水)キャンプ場の素人虫取り隊
前回のひとりごとからだいぶ日数が空いてしまいました。皆様はいかがお過ごしですか。私たち家族は、例年恒例となっているキャンプに7/28から7/30まで行って来ました。今回は子供の意見を聞く事として、昨年行った「伊豆修善寺ポマトランド」に行きました。
子供達がこのキャンプ場を気に入っている理由は、1.キャンプファイヤーができる。2.工作教室がある。3.子供達同士でゲームができる。4.カブトムシ、クワガタの昆虫を捕ることができる。の理由からです。その中で「カブトムシ、クワガタを捕る」は一番の目的と言っても過言ではありません。当然虫篭、採取に使う網は、他の物を忘れても決して忘れてはいけない持ち物です。後、我が家流で雨傘は持ち物で必須となります。
雨傘は何故必要かと言いますと、雨が降ってきたらもちろん使いますが、主な使い道は、クワガタが木から落下してくるのを、下で傘を開いて受け止めるためです。夜、草むらに落ちてしまったクワガタを探すのは至難の業です。その前に受け止めます。他の家族で持っている人は皆無でしたが、この秘密兵器は威力を発揮してくれました。みなさんも昆虫を取る時は傘を持っていってください。
簡単に使えて、簡単に片付けられるのは傘だけです。自称「虫取りのプロ」の私にとっては、クワガタが捕れるクヌギの木、コナラを見つけるのは容易にできる事です。それに昨年に一度このキャンプ場を利用をしていますので、場所はちゃんと頭に入っています。また昨年ですと、昆虫採集を目的にキャンプ場を利用している人はほとんどいなかったのでたくさん採れましたが、しかし今年からこのキャンプ場を利用しているの要望で、虫取りツアーなる教室が出来てしまい、ほとんどの家族が参加して教室が行われるようになってしまいました。
当然虫取りを目的としていない家族も参加して虫取り隊はスタートしました。まずキャンプ場スタッフが採れる木まで案内して、探し方、取り方まで教えるのでほとんどの虫たちが取り尽くされてしまったように見えました。しかし素人は素人、木の模様と虫との区別が出来ない人がたくさんいた様でした。また草むらにたくさんのクワガタが落ちてしまった様でした。
自称プロの私は、素人虫取り隊とは時間を異にする事、傘を使う作戦によって、たくさんのクワガタ、カブトムシをゲットすることが出来たのでした。唯一悩まされたのは、朝まだ太陽がのぼる前から素人虫取り隊達が、私たち家族のテントの周りで虫取りに興じる事でした。もう少し静かにしてくれ!!
1999.03.19(金)異動の発表
人事異動の発表の日でした。今の職場に13年、来年度もこの職場でお世話になることになりました。今の配置場所で上から数えて2番目に長い在職期間になってしまいました。
「お前はこの職場に必要だから長くいてもらうんだ」と言う考え方と、「お前はどこの職場にも必要ないのでそこの職場で我慢しろ」と言う事が考えられるが、是非とも前者で有って欲しいものである。良い方に考えないと人間腐っちゃうからね。
1999.03.10(水)エアコン修理
2/15にエアコンが故障して約1ヶ月。我慢に我慢を重ねたが、やはり寒さには勝てず修理をしてもらった。やっと快適に眠れるぞ!!しかしその分、懐はだいぶ寒くなって凍えそうである。
1999.02.15(月)エアコン故障
この寒いのにエアコンが故障してしまった。修理を頼んだところ、概算見積で約20万円とのことであった。我が家のもっと寒い台所事情では20万円を捻出するのは無理と判断。暖かくなる4月まであと一ヶ月半、壊れたエアコンを見つめながら子供を抱いて暖をとりながら生活することとなりそうだ。
1999.01.31(日)チャレンジ講座
学校からの配りものでチャレンジ講座なるものが入っていた。今回の講座は日本平動物園で子供達が飼育獣舎に入って裏側から動物園を見るというものであった。通常では行くことができない部分に入れたことで子供達はとても満足そうでした。しかしちょっと参加費が高い。1名あたり2350円ではちょっと高い。参加された方でそう考えられたのは私だけでは無いはずです。このほかにも天然塩作りとか、乳搾り講座とかいろいろなのがあるみたいです。また参加できたら行きたいが、参加費がちょっと気になります。
1999.01.27(水)PTA
上の子供が昨年小学校に上がりましたが、我が地区の児童数が大変少ないために、平成11年度はPTAの副会長をやることになりました。本日は初顔合わせでした。
他の役員のみなさんは私より年上ばかりで、私で勤まるかとても心配です。平成12年度の会長は他の人にお願いすることができた?のでそれでも一安心です。
1999.01.25(月)まぼろしの雪見遠足<
弟の保育園の雪見遠足が金曜日(1/25)にあった。木曜日の夜からぐずぐず言い出してなかなか眠らないので、うれしさで興奮して眠れないのだろうと思っていた。朝方、体温計で測ってみると38.5度の熱があった。当然遠足は休むこととなった。熱はどんどん上がり39.5度まで上昇、子供も熱で意味不明なことを言い出して、熱で頭がやられてしまったと大変驚いた。医者にかかると「インフルエンザでしょう」とのことであった。私が中心に看病していたのだが、すっかり子供のインフルエンザをもらってしまい、土曜日曜日は寝て過ごすことになってしまった。こんなことなら一緒に寝なければ良かったと思う今日この頃でした。
1999.01.03(日)箱根駅伝
正月はやっぱり箱根駅伝である。我が母校「東洋大学」は上位に食い込むことはないが常に本体会に出場はしてくれるのでとてもうれしい。
今年はななんと、名門「早稲田」を押さえてシード権を獲得したのであった。これでまた来年の正月の楽しみが一つできたぞ!!
1998.12.11(金)東京ディズニーランド編
明日は第2土曜日。小学校は休みである。仕事が終わって、自宅に18:00ごを帰宅。それから急いで支度をして東京ディズニーランドに遊びに行くことになった。初めての休日でのディズニーランド。どれほど込んでいるか予想もつかなかったため、11日21:00に自宅を出発、焼津インターから東名高速で一路東京まで車で飛ばすことになった。子供たちは後部座席をフラットの状態にして寝かせて私がひたすら運転。予定より少し早い23:45頃、ディズニーランドの入り口についた。もうざっと100台以上の車が路肩に並んでいる。もしかしてここで仮眠?と思ってるうちに(0:30)駐車場の入り口に入るためのゲートが開けられそこで開門っを待った。1:00時報と同時に駐車場が開いた。運良く20番目ぐらいで入ることができた。これでやっと熟睡できる。しばし睡眠・・・・・・
約4時間ぐらい経って(4:30)周りが騒がしくて目が覚めた。まだ真っ暗というのに、もう順番待ちの行列ができているではないか。甘かった。みんな毛布にくるまって待ってるではないか。大型のバスも数十台きており続々と順番の列についていく。せっかく20番目に駐車場に入れたのに・・・・。妻を順番の列に潜り込ませた。それから開門の8:00まで3時間ひたすら待った。
中に入れたのは8:30頃、もう人でいっぱいであった。帰るまでの約12時間、人の波をかき分けパレード中心に楽しんだ?
もうこのクリスマスファンタジーの時期は絶対に来ないと心に誓ったのであった。
終了1時間前に帰路についた。昨日から約3時間の仮眠しか取ってないため、東名の海老名サービスエリアを越えたあたりで強烈な睡魔が襲ってくる。このまま運転しても事故になるだけと考え、次のサービスエリアで仮眠をすることにした。自宅についたのは12月13日(日)2:00頃であった。今日は休みで良かった。ゆっくり寝よう。