藤枝市民劇場 第195回例会 2005年7月19日
前進座 銃口 ●劇が始まって、いつもと勝手が違い、戸惑いました。観客をも取り込もうとする最初からの演出も心の準備が出来てなくて、ドギマギしました。が、シンプルな舞台から綴り方教育・家族・戦争・ヒロシマまで描き出すなんて・・・すごい!と思いました。竜太を支え、どんな時にも人間としての優しさを忘れない近堂上等兵の魅力!時として大きな渦の中に巻き込まれ、翻弄される時はあっても、たとえ戦争という中であろうとも、結局は一人一人の人間の情や真心や優しさが、立ち向かう力や歯止めの力となるのではないでしょうか・・・父が救った兵士に息子が助けられ・・・印象深い劇となりました。 (みつだんご) ●人にはそれぞれ天から授かった役目があります。失いかけた自分への自信を取り戻し、自分らしい自分を正直に生きたいと。また、元気をもらいました。ありがとうございました。 (四〇代) ●どんなことがあっても戦争はやってはいけません。その惨めさがわからない自公民はやめてしまえ。 ●戦争放棄と主権在民で終った。 (六〇代) ●人間て一体何だろう。 (六〇代) ●憲法改悪の足音高い今、みんなに見てもらいたいぴったりの内容でした。 (六〇代) ●こういう演劇を今、戦争を行っている国で上演できないものかしら・・・。何か変わると思うんだけれど・・・。 (四〇代) ●涙が出て止まりませんでした。この公演を一人でも多くの日本人が観るべきだと思いました。 (五〇代) ●若い人達、我が家の娘達にも見せたいと思いました。幸せな時代に育った世代こそ考えて欲しい事だと思います。 (五〇代) ●この劇は小学校五〜六年生から中学生・高校生にみてもらう劇だと思います。日本の忘れられた過去を場面場面で、切り取った劇で作者の思いが伝わって来ます。 (五〇代) ●たいへんすばらしかったです。わかりやすく心を打たれました。多くの人たちに見せたい! (六〇代) ●若い人に観てもらいたい作品でした。 (七〇代) ●昔のことはあまり分かりませんが、少し前の日本がイメージでき、良い経験になりました。始まってから来た、酔っぱらった会員外と思われる方がいました。とても臭くて・・・会場は暑いし、集中して見られません。前進座、声もよく、上手ですね。次回が楽しみです。 (三〇代) ●昭和十九年志願して軍隊に入った当時のことが思い出され、辛い毎日がよみがえって来た。二度と軍国主義国家になってはならないと痛感した。 (七〇代) ●懐かしいふるさと。神楽岡、私が育った頃より一昔前の出来事。でも、今も続いているのです。旭川にある三浦綾子記念館に是非行ってみてほしい。 (五〇代) ●戦争の醜さ・非合法な過去を振り返ってより平和の必要性を理解することができた。語り尽くされた話題でもあるが、過去の過ちは正確に認識しておかなければいけない。また、若い人にも過去の現実を知らせていく必要がある。私の父親も傷痍軍人として帰国して大変苦労した事を思い出します。未来永劫の課題です。人間の欲と、苦悩と、喜びは消えることがない。 (六〇代) ●少しむずかしかった。 (六〇代) ●戦中のことが彷彿と思い出されました。 (七〇代) ●ものすごい迫力、子供の頃と当時を思い出し、感激の連続でした。考えさせられ次代につなげてゆきたいと切に思いました。 (六〇代) ●役者のみなさん本当に上手ですネ! (六○代) ●長編小説を昨日読み終えての観劇でした。小説を重ね合わせて興味深く楽しみました。 (六〇代) ●原作を十年前に読んで感動しました。今回、前進座で上演するということで又、読み直しました。原作通りで演出がすばらしいです。三浦綾子さんの気持ちに沿っている演出で、大変感動しました。本当にありがとう。 (六〇代) ●綴り方教師がなぜ弾圧されたか改めて考えさせられた。私も教職の一人として少なからず関わってきたが、当時とは異なった弾圧のもとで実践をしてきた。真実を伝えるものは強い心で人を信じなくてはならない。特に子どもをどこまでも信じていかなくてはならないと思う。改めて教基法を守り、憲法を守らなくてはまた、戦争をする国となってしまう。 (六〇代) ●今回の出演者のような方々、先人のもとに今、現在があります。本当に戦争のない平和をつくらねばと思います。日本人は嫌いだが、北森さんと山田総長は好きです。彼らの言葉が印象に残ります。 (五〇代) ●戦時中のことを思い出してしまいました。今の平和が嘘の様な時代でした。 (六〇代) ●とても良かったです。あの暗い時代に、このように誠実に生きた人々に心を打たれました。今の自由な時代に、私の出来る事を考えさせられました。 (七〇代) 考え抜いた末の演出《コロス》 “年に一度は平和を考える例会を!”ということで、今年の「銃口」はいかがでしたでしょうか? 世の中の情勢をみていると「無駄じゃない?」と無力感を感じることもありますが、「これだけは忘れちゃいけない」という気持に戻る機会を生み出していくことは必要なのだと思います。 感想の中にもありましたが、小さいイスが並ぶ無人の教室に竜太先生が語りかける・・・大人の服装のまま両脇に並んだ役者が、声だけで子供を演じる・・・。 これはコロスという演劇の手法です。わかりづらかった人もいたようですネ。 終演後に役者さんがそのコロスについて、あの教室のシーンは絶対に必要だけど、その為に子役をゾロゾロ連れては来れないし、次のシーンの服装をした役者が教室のイスに座っているのは違和感ある・・・その辺りを何とか上手くできないかと考えた末にコロスという方法になったそうです。 なるほどねぇ〜、大人の役者が子供の衣裳で出てきたら、ドリフのコントみたいでそれこそ滑稽だ。うん、あれがベストだよ!ちゃんと教室に子供がいて先生と言葉を交わしているように見えたし。 というわけで、あのシーンをもう一度思い出してみてください。 (事務局) |