藤枝市民劇場 第199回例会 2006年3月29日
文学座 月夜の道化師 ●オシバイで始まり、おしばいで終わりましたね。渡辺えり子さんはテレビのバラエティ番組などでしか見た事が無かったので、どんな芝居を書いて下さったのか、全く見当がつきませんでした。ですから、芝居が始まってしばらくは、松田優作ではありませんが、なんじゃこりゃあ状態でした。舞台が進むにつれて登場人物の設定が判ってきたところで、やっと落ち着きました。さらに話が進んで回想シーンになってくると、もう舞台から目が離せなくなり、それどころか涙腺のコントロールができなくなってしまったのです。あの戦争が終わってしばらくは、この芝居のように死んだ筈の人が帰ってきて起こるゴタゴタがいっぱいあったようです。面白かったのは(失礼)軍隊から逃げ出した男にしたところです。当時としては非国民な訳ですから、彼にも苦労はあった筈です。つまるところ、ばかな戦争こそが悲劇の最大原因だってことを訴えているように、私には思えました。 (まとめ下手の六〇代オトコ) ●初めの方が分かりにくく、芝居に入って行くのが大変でした。 (七〇代) ●とても良いお話でした。純愛だったのでしょうか? (四〇代) ●神保共子さんの演技がとても良かった。 (六〇代) ●ハリマ王の曲がとても懐かしかった。 (五〇代) ●暖房が効きすぎ、こんな面白くない芝居は初めてだ。複雑であり、言葉が判らない。 ●おもしろかったが、重いテーマでした。 ●誰でもが大なり小なり傷つきながら生きている。それが生きるということなのだと思う。しかし、戦争で負わされた傷はこんなにも深いところで、複雑にねじれ、人を苦しめ続けるのだと改めて感じました。 ハルさんも青児さんももちろんですが、なんだか竜子さんが一番可愛そうに思いました。ハルさんや青児さんがもはや過去にしか生きられなくなってしまった中、同じように過去を知りながらも必死に今を生きようとしている。なのに、受け入れてもらえない。存在すらも認めてもらえないなんて。 今回、えり子さんと文学座のコラボということでとても興味深く拝見しました。えり子さんの劇団の芝居を観たとき、連想ゲームみたいだと思いました。本筋のポイントポイントから別の次元への連想ゲームが始まる。「この話は何処へいくの? 何が言いたいの?」みたいな感覚になってきて、正直疲れたのです。 今回、文学座と組んでどんな芝居が出来るのかな?ついて行けるかな?と心配してましたが、何とか大丈夫でした(笑)。文学座だったからなのかな? それにしても、セーラー服のお母さん。その後が気になります。 (風) ●昔と現代とを鋭く風刺した、とても感動させられた作品でした。五〇代にして多くを考えさせられました。 (五〇代) ●不思議な感じのお芝居だった。思わずそんなの有り〜ッ?!≠ニ言いたくなるような予想もつかない展開に巻き込まれながら、しかし、見終わった後しばらく胸のつかえが取れない状態が続いたのは何故か。大声で泣き叫びたい衝動を抑えていたのか、それとも、まるで作者の渡辺えり子さんにその豊満な肉体でおもいっきり抱きしめられて息ができなくなったような感覚(これは冗談ですが・・・)なのか。可笑しさと、切なさが同居していて、それはまさしく、月夜の道化師≠サのもの。一生懸命で真面目に生きているつもりの自分の姿も、他の人から見れば滑稽な道化師に見えるのだろうか。 (くまさん) ●一つの舞台から、これだけたくさんの話が生まれるなんて「すごい」と思いました。活気があり、生き生きとして役者サン達の演技に引き込まれました。双子という事もあり、また、戦争から現代までのたくさんの現象を全てこの劇に盛り込んであるようで、難しい面もあったけど、ラストのシーンは月夜の道化師を象徴しているような美しい場面だったと思いました。生き生きとした生≠ナバンバン来る力強さがありました。 (みつだんご) 《追伸》 感想を書こうと思ってもイザとなるとこの劇の難しさもいっぱいあるんですよネ・・・最後、桜の木の下でおばあさんが亡くなるんだけど、次は喪服でおばあさんが歩いてくると、アレ・・・と思っちゃう。男の人は(白い制服の)光児だけど・・・あれ青児じゃないよなーとか。なんか青児むくわれないよな・・・最後まで光児か・・・ |