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〜感想文集〜

藤枝市民劇場第205回例会 2007年3月22日



  こまつ座

        紙屋町さくらホテル 


●学生時代に演劇に打ち込んだ私にとって、今日のお芝居の中の丸山定夫が語る芝居への思いは胸を熱くするものがありました。(五十代)

●ぜいたくは敵と言われていた戦時下に、芸の研鑽に努力した人々の苦労がよく出ており、今の世相への一つの警鐘と思う。人間とは何かを考えさせられた。(七十代男性)

●さすが井上ひさしの作品だと思う。さりげないセリフの中に大事なことがすべて盛り込まれていた。すばらしい劇をありがとう。(六十代)

●難しいところもあったが、面白かった。(六十代女性)

●♪ヒョツコリヒョウタンジーマ♪の井上ひさしさんが「父と暮らせば」で戦争と原爆の重罪を見せ付けたのに続き、そのことを再び提言してくれた。今回は更に戦時下(戒厳令下)での軍人の横暴さと一方で芝居の何たるかも提示してくれた。
 戦況を冷静にみつめる天皇とも近い軍人、特高、憲兵(らしい)を配し、実際はありえない劇団員との交流のなかで彼らが変わっていく過程が面白い。「今日初めて芝居を見に来た人に向かって精一杯演技する」くだりは目を開かせた。しかしやはり、教え子の戦地行きを阻止できなかった先生の悔恨の場面は目頭を熱くさせ、印象に残りました。
 それにつけても将来有望な才能を押し潰す戦争の罪は告発し続けなければならないでしょう。深刻な中身を楽しく笑わせながら見せる井上芝居に脱帽でした。(遅筆堂万歳の六十代)

●良かったです。(六十代)

●役者さん達のお芝居にかける情熱を感じることができました。今の時代は幸せなのか?不幸なのか?考えさせられました。ありがとうございます。(四十代)

●席がだぶっていました。今後はこんなミスのないようにしてほしいです。(五十代女性)

  ※大変申し訳ございませんでした。以後気をつけます。(事務局)

●大声の早口で聞き取り難かった。(六十代女性)

●ちょっと長すぎませんか。あれこれ詰め込み過ぎでは?さっぱり感がない。(三十代女性)

●長い! (五十代)

●ごめんなさい。一幕寝てしまいました。おびただしいセリフが子守唄になってしまいました。でも二幕はしっかり観ました。(四十代女性)

●運営サークルで新藤兼人監督の「さくら隊散る」の作品が上演されたのを観て原爆の悲惨さに衝撃を受けて…。今回の観劇で劇団員の情熱に又違った意味の衝撃を受けて…。前回の例会の感想に映画の印象が強すぎて…とありましたが、私もどうしても重ねて観てしまいました。
 でも森奈みはるさん(園井恵子役)の「すみれの花咲く頃」のきれいな歌声はいつまでも心に残り、こまつ座(さくら隊)の演技に平和の大切さを教えていただきました。(五十代女性)

●いつ爆弾が落ちるかもしれない中で、命がけで芝居をやろうとする人々。「好きだからでしょ」という極論だけで片付けられがちな今、それだけで済ませられない役者の想いを強く感じ、胸が一杯になった。
 戦下の非常事態でない現代でも演劇は「生産性のないもの」で「ただの娯楽」と思っている人もいると思う。劇中で丸山定夫さんは「役者は何にでもなれる」と言っていましたが、何にでもなって、生の声で、観客に訴え、届けることができる。「あなたはどうですか?」そんなことを投げかけ、観ている私たちは自然に自分や周りを見つめなおしているのだと思う。逆に私たちの気持ちを代弁し届けてくれることもある。
 改めて演劇の魅力を感じさせてくれた3時間だった。(三十代女性)


《編集後記》

 会員の方の感想にもありましたが、今回の運営サークルでは観劇前に「さくら隊」について知ろうと、新藤兼人監督の「さくら隊散る」という映画を観ました。こちらには、原爆投下後のさくら隊の方々の残酷な姿が描かれていました。

 小学生だった頃に藤枝市文化センターで「広島のピカ」というような映画を観て以来、その恐怖は体に感覚として残り今も離れません。

 あの広島に「さくら隊」のような方々がいたとは、今回初めて知りました。劇自体はフィクションだとしても過去の出来事を知ることができる、これは観劇を続ける理由の一つでもあります。

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