藤枝市民劇場第211回例会2008年3月16日
劇団 昴 公演 アルジャーノンに花束を ●万能細胞がもたらすものは何なんだろう。とても恐ろしく思う。そんなことを暗示しているように思った。(六十代 女性) ●脳の手術を受け二重人格みたいな人生を送って半分は成功みたいですが、アルジャーノンと同じ運命を背負わされた事に気が付いたとき、もっと驚きの表現があっても良かった気がする。 自分しか理解できないアルジャーノンの気持ちを理解して行動を共にしたことは理解できる。だんだん古い身分に帰っていくことに悲しみもなく自然に入っていける所はせめてもの心の救いだと思った。 人間性を無視した科学の進歩に思いを感じざるを得ない。(六十代 男性) ●人間としての生き方を考えさせられる、内容の濃いものでした。(五十代) ●大熱演にすっかり引き込まれました。(六十代 女性) ●とても興味深い内容でした。時間が経つのを忘れる熱演、力演でした。(五十代 女性) ●大変すばらしかった!上を見ても下を見てもきりがない。上に行けば幸せかと思えば実はそうでもなかったりする。下が不幸かと思えばそうでもなかったり・・・。 与えられた運命を受け入れて自分らしい幸せを見つけて生きている人が幸せなのだと教えて貰いました。 アルジャーノンを埋めたチャーリーの気持ちを思うと切なくてたまらなかったです。(四十代 女性) ●最初少し眠くなったが次第に引き込まれて後半が楽しみに思えて良かったです。(五十代 女性) ●後半が良かった。(七十代) ●平田さん最高です!!チャーリーの深い哀しみと優しさが伝わりました。(四十代 女性) ●身内に障害者を持つ自分にとって、本日のお芝居は少しさみしく思いました。(六十代 女性) ●金属パイプだけの舞台―どんな内容なのか想像がつきませんでした。でも見終わってから、深いため息とやるせなさを感じずにはいられませんでした。 今の時代にも当てはまる格差社会に私達はどのように対応していけば良いのか考えさせられました。 別にIQが特別悪くなくても差別して見てしまう出来事があります。 人間は愚かな生き物なのでしょうか? 最後のところでチャーリーが本来の自分と同じレベルになってパン屋に戻ったとき、昔の仲間が暖かく迎え入れてくれたのが救いであり、またある面からすると残酷なのかな?!でも安心しました。(五十代 女性) ●次第に変わっていくチャーリーを、傷つきながらも丸ごと受け止めようとしたキニアン先生。なんだか見ていて切なく、辛かったです。(三十代 女性) ●期待以上に良い芝居だった。知能がいくら高くても、心=感情が育っていないと人間としてのバランスが崩れ不幸になってしまうと思う。(六十代) ●「役に立たない人間は、生きていてもしょうがないのでしょうか?」これは、あの山頭火の半生を描いたテレビドラマに出てきた台詞です。山頭火の言葉か、作者の早坂暁さんが言わせているのかは判りません。いずれにしても重い言葉です。 この世には殆ど寝返りも打てないような身障者もおります。見た目には他人に迷惑をかけているだけで、何の役にも立っていません。だったら生きている意味がないのでしょうか?そんなことはない筈です。 この例はある意味極端ですが、この世の中、あまりにも役に立つか立たないかが、価値判断の基準になってはいないだろうか?勉強ができる、仕事ができる、スポーツがうまいなどひとより優れたものを持っている人だけが人間としても価値が高いみたいな傾向にあるように思う。 この世に生きている人全てに、平等に生きる権利と、生きている価値がある筈です。知能が遅れた人や重度身障者も縦並びでなく横並びの人間の仲間であることを改めて再認識させられたのが、この芝居を見ての感想です。(最近物忘れがひどくなった60代) ●芝居を見ながら全く別のことを考えていました。万能細胞のことです。 爆笑問題が大学の教授に専門的なことを聞くテレビ番組がありますが、その中で、蛙の心臓を細胞から作って、しかもその心臓がしっかり脈打っているのをみました。これが人間で出来ない筈はないとおもいました。 臓器は勿論、他のどの部分もおそらく再生可能になるでしょう。当然脳も再生されます。芝居のように何かを操作すれば優れた脳に変換することも不可能ではないでしょう。おそらくそんなに遠くない将来これは現実のものとなるでしょう。 ただそうなると別の心配事が起こります。みんな頭のいい人だらけになってしまったら、人間関係ってつまんないだろうなということです。 もうひとつは、人間死ななくなってしまうんではないかということ。そうなると死ぬことが尊厳視されるのか? とりとめもない老婆心で失礼。(万能細胞の世話にはなれそうもない60代) |