ホルベアについて

※ 『ブリタニカ国際大百科事典(1975年)』の「ホルベア」の項目により作成

ルドヴィ・ホルベア Ludvig Holderg (1684−1754)
 デンマーク演劇の創設者、作家。
 1684年12月3日、ノルウェーのベルゲンで生まれた。
 幼時に両親と死別。苦学の末、コペンハーゲン大学の教授となり
 法学、歴史、言語学など学術論文の他に、数多くの喜劇作品を創作した。
 1754年1月28日、70歳独身のままでコペンハーゲンで没した。

ホルベアは、デンマークが自国語の文学をもたないのをみて、デンマークのために多数の作品を書いた。彼がデンマークに来た当時は、上流家庭ではデンマーク語は話されていなかった。

 「上品なデンマーク人は
   友人にあてては ラテン語で書き、
   貴婦人に対しては フランス語で話し、
   イヌに対しては ドイツ語を用い、
   召使をののしるときだけに デンマーク語を使う」

といわれていた。
 しかしホルベアの業績はただの一度でデンマーク語の有効性を確立した。彼はデンマーク語で、歴史、法学、政治、科学、言語学また哲学についておびただしい数の書物を書いた。
 彼はデンマーク語を用いる劇場を創設し、この劇場のために喜劇を書き、以前はただバラードと讃美歌にのみ用いられたデンマーク語で、清新で独創的な詩を書いた。
 彼の書いたすべては力強い男性的スタイルをもち、当時のヨーロッパ文化の最も卓越した成果を代表している。

 ホルベアはデンマークの偉大な作家であっただけでなく、おそらくボルテールを除いて、たぶんその世代でのヨーロッパ最大の風刺作家であった。
 確かにその天才の幅と百科全書的多才さとで彼に迫る作家はまれであり、自国の人々に彼ほど広範で持久的な影響を及ぼした作家もまた少ない。

ホルベアに関するページ

ノルウェー公式サイト → エッセイ
 ルードヴィク・ホルベルグと名前が表記されます
 ヨーロッパの複雑な言語歴史がわかります

Holberg, Ludvig ホルベアの肖像画

MAN page → グリーグ
 ノルウェーを代表する作曲家・グリーグによる『ホルベルグ組曲』の解説

アンサンブルむしか → 視聴室
 上記のグリーグ作『組曲ホルベアの時代より』をピアノ演奏で聴くことができる

夢みる頃を過ぎても → 丘の上のイエッペ
 前進座の加藤逸毅さんのページです
 観劇記の中にホルベアについて少し説明があります

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