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礼拝説教 (5月17日)

マタイによる福音書5章38節〜42節
      
 「キリスト教の独自性」
 キリスト教の特徴のひとつにイエス様が語られた有名な言葉があります。
「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と。
これは通常ではありえないことですが、イエス様が2000年前に発せられて、
今日もこの言葉が人類の歴史に生きているということは、重要な意味があり、
一考してよいテーマと思います。
 聖書にはこの言葉の前に「目には目を、歯には歯を」という言葉があります。
この律法(神の定めた掟をいう)は被害を受けた人が、同程度の補償を受ける
ための基準でした。
イエス様の時代は律法が与えられてから約1300年の歳月が経っています。
人間の世界は年月が過っとものごとが形骸化してしまう傾向があります。
また人は神の掟を自分の都合のよいように解釈します。
そうなるとせっかくの掟も役に立たなくなります。
イエス様は人々が原点に戻るように勧められました。
さらに、神の御子がこの地に来たのだから、一切を神にゆだねなさい。
神様が万事をよきに導いてくださいます、とお勧めされたのだと思います。
  パウロがローマの信徒の人々に対して、申命記の「復讐はわたしのすること、
わたしが報復する」(ローマ12:19)という言葉を引用していますが、イエス様の本音も、
ここにあるように思います。
 では、この言葉を実生活にどのように適用すればよいのか、いっしょに考えて
みましょう。
人がいたく感じるのは、自尊心を打たれたときだそうです。
精神的な打撃は非常に痛い、ということです。
人はあなたのプライド(弱点)を傷つけ試します。
神様もあなたを謙遜にするために、打たれることがあります。
このようなとき、あなたはどう対応されますか。
  プライドを打たれて、左の頬を出すということは、その方の前に正体し、
「おっしゃるとおりのふつつか者です。ご指摘されたことをなおすには、どうしたらよいのでしょうか」と心からへりくだって、その方におたずねするのです。
 あなたの謙遜さを見て、その方もへりくだり反省されるでしょう。