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6月7日(火)

年間16ミリの降雨量のトルファンでまさか!の雨
雨の中を濡れながら早朝の散策 雨は路面を濡らすことなく10分くらいで晴れとなる。
農家の集落がある舗装されていない道はポプラの街路樹が強い日差しをさえぎっている。

ホテル9:00出発 バスで火焔山の麓まで行き砂漠のオアシス「トルファン・ウオーク6km」の始まり。
赤い山が果てしなく続く。火焔山は山ではなく幅10km、長さ120kmにも続く山脈なのだ。
西遊記に出てくる牛魔大王の出てきそうなところでバスを降りウオーク開始

弁柄色の山肌に挟まれた道を歩く。赤い泥岩の山肌を縦じわが埋め尽くし陽が当たると炎が
揺らめいているように見え赤く輝いていた。
一木一草ない山の色と青空の鮮やかなコントラストは中央アジアならではの色だ。
インドのベンガル地方を描いた秋野不矩さんの赤い大地の絵が思い出された。
弁柄色はベンガルから来てるのかな?
ロバ車が通るのでカメラを向けると気軽に止まってくれた。
谷底を見ると緑が続いていた。ムルトク河の緑の中にらくだが見えた。羊もいた。
野生かな?って思ったけど持ち主がいるのかもしれない。分からない。

西遊記で三蔵法師一行が火炎に阻まれ孫悟空が鉄扇公主と戦って
芭蕉扇で炎を消したという場面の舞台になっている西遊記を模擬したテーマパークがあり昼食をとる。
ここで驚いたこと こんなに遠くの山の中まで走ってきても中国ではどこでも携帯が通じることだ。
平地が多いということなのかしら?私の問いに対して携帯の会社は2社あってその評判の
良い方だと いう話をガイドはしてくれたけど答えにはなっていないよね〜〜(~_~)

燃えるように赤い火焔山 孫悟空の如意棒と書いてあった

トルファン富士を目指してウオーク


駱駝がいたけど野性ではないよね〜?

西遊記のテーマパークみたい


ロバ車が通るのでカメラを向けると気軽に止まってくれた。

ラクダに乗せる客を待つ青年

富士山に似た形の山があり勝手に「トルファン富士」と名づけた。その山が見下ろす赤い砂漠の中に
突如として現れた「ベゼクリク千仏洞」

火焔山の岩山を掘削し日干し煉瓦を組み造られた洞窟 57のうち6〜7窟に入る。
気温43度。 焼けるように暑いが日陰に入ると涼しい。
ベゼクリク千仏洞は1500年前から800年間断崖に掘り続けられた石窟寺院
雄大且つ壮大な眺望は息を呑む。
地球上には想像を絶する人間が造った建物があるものだ。

ベゼクリクとは美しく飾られた家という意味だそうだけどイスラム教徒による塑像の破壊や素晴らしい
壁画が剥ぎ取られたり仏像の光背の金箔は剥がされ仏像の顔や目は黒く塗りつぶされていたり
盗掘されたりとあまりにも見るも無残な姿だった。
もし完全な姿を残すなら世界文化遺産の指定は間違いないし、さぞ圧巻だったろうと強い思いに
駆られ本当に惜しいと思った。

案内人は日本人に持ち去られたと繰り返し言っていた。ロシアやドイツ日本などによって
壁画は剥がされて持ち出されたけれど皮肉なことに持ち出されたことによって千仏洞の
重要性が世界にアッピールされたのも又事実である。
西本願寺の法主大谷光端が主宰した日本の探検隊がその時持ち出した涅槃像や
敦煌文書が龍谷大学にあるという。
(偶然にも帰国してから行った愛・地球博のシルクロード館で展示してある涅槃像を見ることが出来た)



次は高昌故城だ。ロバ車に7,8人づつ乗り故城の中を巡る。
一辺約1.5キロの土壁で囲まれたほぼ正方形の城跡で面積は200万uにも及ぶ。
西遊記の玄奘がインドに向かう途中1ヶ月滞在し仏教を講義したという寺院跡も残っている。
崩れかけた日干し煉瓦の建物跡などが密集して往時の賑わいを彷彿とさせる。
かつてこの地方の中心都市だった面影が僅かにうかがわれる几帳面に日干し煉瓦を積み上げて
造られた建物がまっ平らな地面の上に浮かぶ岩のように残っている。
屋根を失った仏塔の中に入ってみるとかすかに仏画の痕跡が見られる。

とにかく暑い。50度くらいはありそうだ。
殆ど雨の降らない土ぼこりのたつ道をロバは走る。
朽ちた城壁が自然への優しさを物語っていた。
リボンをつけた小さなロバが哀れに感じた。ロバ車に一緒に乗り込んできたウイグル系の顔立ちをした
12歳だという少年は私の隣に座るや否や日本語で書かれたガイド本を30元だと言って売りつける。
定価を見ると12元なので言うとその値は僕が買った値段だと言い張る。
日本語は聞くことも話すことも出来とても上手だ。観光客から習ったと言うから驚きだった。
ハラ君というその少年は突然ロバ車から降りると走っていって野生のスイカの実を摘んで又必死に
10mくらい走りロバ車に飛び乗り私の手に5,6個握らせてくれた。
これでは買わないわけにはいかない。

あまりに暑いので学校は午前中で終わり午後は休みで夕方5時から8時までという。
聞きしに勝る暑さで昼間は動こうにも動けないといった感じだが午後の時間にこうして
少年は商売をしていると言う。(会社関係も同じで夜は10時まで昼間のように明るいからできるのかも)

日本で勉強をさせてあげたいと思うような賢い可愛い少年だった。

10人ぐらい乗せて走るロバ車 

野生のスイカを採ってきてくれたハラ君



高昌故城跡に客待ちをしているラクダ

寺院跡 日干し煉瓦を丁寧に積んである



故城を後にして6〜7世紀に繁栄したと伝わる高昌国の貴族の眠るアスターナ(眠り)古墳群にいく。
ミイラが数百体発見され歴史を今に伝えている。
二つの墓が公開され、墓内に描かれた壁画を見ることが出来る地下への階段を下りて行くと
ガラスケースの中に入っている2体の夫婦のミイラが出迎えてくれる。
眉毛が残り刺青か化粧の痕跡が分かるほど保存状態がよくきれいで生前の面影を残し静かに
身を横たえて眠っていると言う感じで恐ろしい感じはしない。
完全に見世物となっているミイラがかわいそうになってしまった。
アスターナとは安息の地というような意味だそうだが、 ミイラにとって、もうここは安息の地ではないのかもしれない。

エジプトのミイラは有名だが様々な防腐処理をしてやっとミイラにしている。しかしこのトルファンの
超絶的な乾燥気候と90度にも達すると言う地表温による無菌状態の為ただ埋葬するだけで
みんなミイラになると言う。まさに実感である。
強烈な日差し。それにしても空が青い。空気の乾燥は自然をクリアに見せるのか白い雲と空の青が美しい

干しぶどうを買い求めた農家の家 

アスターナ古墳群の入り口


ブドウならトルファンは世界一。緑地はいたるところぶどう畑グリーンの干しぶどうは世界一甘い。
お土産に干しぶどうが欲しいということでぶどう農家の家に行く。
売っているぶどうは2度3度の薬漬けでとても食べられないとガイドさんは言う。
農家の人が自分たちの食べる無農薬のぶどうを譲ってくれるという事だったが案内されてみれば日本で言えば
観光農園のような家でスイカやハミウリでもてなされ可愛い踊り子たちがウイグルダンスを踊って歓待してくれて
それらがすべてぶどうの値段に入っているような高いぶどうだった。(1キロ 320元 日本円で5000円位)
バザールでは1キロ40元位で売っているからべらぼうに高い。結局お土産は干しぶどうに決めていたけれど
あまりに高価で1キロしか買わなかった。
帰ってきてから百均で買った可愛いガラスのミニボトルに少しづつ分けて友人のお土産にした。
でもその代わりぶどうは奇跡のように甘くて味わい深いもので縦に長い楕円。
色は薄緑色 一粒、一粒大切に食べた。

今日はこのままシャワーも浴びず夜行列車で敦煌にいくので
レストランの洗面所で首、手足、体を濡れタオルで拭いて夕食を終えてトルファン駅に向かう。
駅の手荷物検査はまるで飛行機に乗るような入念な検査。チェック後3階にある1等寝台車専用の
ゲストルームに入る。
本革張りのソファーが豪華な雰囲気を作っていた。
広い洗面所の水もとても冷たくて気持ちいいので又歯を磨いたり顔を洗ったり身体を拭いたりした。
久しぶりに本格的なサイホンコーヒーを飲む。
幻想的な砂漠の夕焼けを見ながら一路敦煌へ10時間の列車の旅。寝室は4人部屋。
旅の疲れもあっていつの間にかぐっすりと眠ってしまった。


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