ミキノクチ
七夕の部 2




  女用文章糸車 ★
            刊年不明  明和9年(1772)初版

梶の葉に

歌を書いて

竹に結んでいます。

「七夕祭りは、考謙天皇(注:女帝)の天平勝宝7年(755)より始まる也。この祭りを乞巧奠(きっこうでん)と言ふて、女は糸針の道を祈れる。唐土(もろこし)も同じ事とぞ。
又、七夕の歌を書くには、芋の葉の露を墨にすりて、梶の葉に書きて手向けとするが本義之。
又、七つの盥(たらい)に水を入れて、星の影をうつす。これを、百箇池(ももこのいけ)と言ふなり。
針に糸を通して縫い針の道を祈る。これを、乞巧針(きこうしん)と言ふなり。
又、七種(ななぐさ)舟という事あり。これは、家に伝はるいろいろの宝物を七色(なないろ)舟に積みて、二星に手向るを言ふなり」。




4 女小学(★)  
        嘉永3年(1850)刊 敦賀屋九兵衛 板

みきのくち

蝶花形

五色の糸、瓜、お神酒がお供えされています。又、琴を奏でて、織女に手向けます。琴の前にあるのは、琴柱(ことじ)です。

「七夕といふは、牽牛・織女の二星(じせい)を全て呼ぶ事にて、男(お)たなばたを彦星といひ、女(め)たなばたを織姫といふ。今の世に絵かくところを見るに、牽牛といふ名によって、牛を牽きたる風情を図しはべれども、誠は河鼓星(かこせい)といふ星にて、牽牛にはあらざるなり。右まちまちの説は、唐土(もろこし)のことを我国に伝えたる由なれど、たなばたといふ名は、殊に年久しきものなり。(中略)。たなばたの名は、(日本の)神代よりありけらし」