往来物みきのくち1

往来物(★) とは、江戸時代の寺子屋用教科書です。

往来物談義

 「小泉吉永先生往来物と言われる本は、町人、百姓向けの本という印象があり、武士の子供は、四書五経という印象がありますが、武家の子供も、往来物を読んでいたのでしょうか?」。
 「武士の子供も、往来物を使用しました。大雑把ですが、読み書きは往来物、学問は四書五経のように分けられ、学問に入る前の読み書き(手習い)は、武士も往来物で学びました。逆に、寺子屋でも、四書五経は、素読という形が中心ですが、かなり多く読まれていました。
 寺子屋教材の内、書きの方は殆ど往来物ですが、読みの方は、上位10点の半分近くが四書五経が占めていて、素読教育には、漢籍がかなり取り入れられており、小学、孝経、大学、論語、中庸、孟子などの文句は、かなり多くの人が覚えていたようです」
 「良くわかりました。小泉先生、有難うございました」。2013、04、17
往来物倶楽部 小泉吉永 先生

 江戸時代、都市部では10割、農村部では8割の子供が、寺子屋に通っていたと言います。私の母方の祖父は、農村で、若い頃、寺子屋の先生の助手をしていて、結婚後は、製茶業を始めました。母はいつも、「偉い人だった。自分の親だけれど、尊敬している」、と語っていました。日本は、江戸時代から、「自主独立の気概」を育てる教育大国で、明治の大発展の基礎もそこでしょう。



1 (まこと)の心

(文久新刻)実語教童子教絵抄(★)

文久(1861〜63)以降 

往来物倶楽部(小泉 吉永氏所蔵)

実語教は平安時代、童子教は鎌倉時代に成立したもので、中世から明治時代まで日本人の教養の基礎となり、江戸時代には往来物として数多く出版されました。

実語教(一部。漢文)。
「山高きが故に貴(たっと)からず。樹(き)有るを以って貴(たっと)しとす。
人学ばざれば智なし。智無きを愚人とす。
財物永く存せず。才智を財物とす」。
童子教(一部。漢文)。
「信力堅固の門(かど)には、災禍の雲起こること無し。
人は死して名を留(とど)め、虎は死して皮を留(とど)む。
郷に入っては郷に随(したが)ひ、俗に入っては俗に随へ」。




 商家床の間

              商売往来(★)
        
        文政5年(1822)刊  山口屋藤兵衛 版
          
  天が下に 人と生まれば 君が代の
安全をと 祈るべきかな
みきのくち
(折紙)
(御内儀が、幼児を抱いています)

商売往来は、庶民の生活に必要な知識や名称、心構えを記した、江戸時代の寺子屋用教科書です。漢文で書かれていて、「凡商売ーー(およそしょうばいはー)」で始まり、「仍如件(よってくだんのごとし)」で〆ます。

一部を紹介しますと、
「見世棚(商品を並べて売る所。略して、見世=店)を綺麗にして、挨拶、応答、もてなしは、柔和たるべし。高利(大きな利益)を大いに貪り、人の目をかすむ(隙をうかがう)れば、天罰をこうむり、重ねて、問い来る人稀なるべし。天道(天の神)の働きを恐れる輩(ともがら)は、終(つい)には、富貴繁昌、子孫栄花の瑞相(まえぶれ)なり。倍々(ますます)の利潤疑いなし。仍如件」。

今は死語になってしまいましたが、親達に、「他人が見ていなくとも、おてんとうさん(お天道様)が見ているから、悪いことをするでない」と言われたのを思い出します。
商人道の地に落ちた話の多い昨今です。



3 神子(みこ)

神子 みきのくち 蝶花形
動(どう。うごく)

女教訓黄金嚢(おんなきょうくんこがねぶくろ)(★)
明和3年(1766)刊


女性の言動
「みる」 眼は一身の鑑(かがみ)にして、万物を写す。善を取り、悪を捨つるを「目の清浄(しょうじょう)」と言ふ。
「きく」 耳は、諸(もろもろ)の声を聞く。淫乱不浄の声を好めば、悪心起こる。
「ことば」 言葉は女のたしなみ第一也。仮にも悪を言はざるを、「口の清浄」とす。
「うごく」 一身つねに動くといへども、善悪の分かちあり。少しも邪(よこしま)なるべからず。
此(この)四(よつ)は、神、儒、仏の肝要なり。