いちばん好きな国
《TRAVEL20》
タイ、ラオス 2019/12/29-2020/1/5
328.18年の時を経て
大都会バンコクの都心、ラチャダーというエリアにある、高級と言っても差し支えないだろうホテル。この豪華な部屋にバックパッカーが3人。いや正しくは、オッサンの元バックパッカーが3人、他愛もない話をしながらゴロゴロしている。
さすがにバックパッカー時代のように、一日中こんなことをしていたわけではない。ほんの30分か1時間程度の時間を、2日間で3回だったか4回だったか、こんなふうに過ごした。
狭くて汚い暑い安宿ではなく、広くてキレイで涼しい快適な部屋。聞いている音楽の音源は携帯CDプレイヤーではなく、wifiを使ったパソコンでのYouTube。そしてオレたちは青年ではなく中年・・・。
昔とはえらい差があるが、この空間がなんとも懐かしく思えた。そして、どこへも行っていない、何もしていないにも関わらず、これが旅だ! とまで感じた時間だった。
この感覚は、バックパッカーにしか共感し得ないものなのだろうとは思うが・・・。
ということで、オレはタイのバンコクにいる。
この正月休みはカレンダーがうまく並び、8連休。前回の正月、GW、今回と、オレの会社にいたら二度とないだろう長い休みの3連チャン。いつもよりも長い休みなので、いつもの東南アジアを飛び越えて、ネパール、インドへ行った前々回と前回。
今回はどこへ行こうか? バンコクまでのチケットは早々に手配したものの、そこから先が決まらない。まぁ、いつものことではあるのだが、今回は本当に悩んだ・・・。
悩んだあげく、今回はタイを旅することにした。
何回も何回も来ているタイ。入国回数でカウントすると、実に29回を数える。今回は30回目! ところが、そのほとんどが乗り換えのための経由で、行きと帰りに寄り道をするだけ。滞在時間は長くても1日というパターンが多い。
ここ10年で寄り道以外で来たのは2回のみ。4年前に来た時には両親を連れていたし、3年半前に来た時にはマラソン大会参加が目的だったので、どちらもタイを旅したという感覚とは少し違った。
そう考えると、まともにタイを旅するのはなんと! 12年ぶりということになる!
これだけ何回も来ていて、最近では半年前にも来ているタイ。しかし、ここまでいつもいつも経由のために来ていたとは・・・、我ながら意外だった。
オレは、そんなタイを久々に旅してみたくなったのだ。
旅の日程が合い、オレ、相変わらずの旅友トモヒロくん、1年前にバンコクでオレたちをストーカーしていた一休くん、旅の最初は3人で合流となった。集合場所は当然、3人のうちで一番良いホテルに泊まっていた一休くんの部屋、という訳だ。
しばらくの間、快適すぎる部屋でくつろいでから、オレたちはカオサンへ向かうことにした。
最近の旅ではリーマンパッカーらしく、宿はそれなりのグレードのところに泊まっている。そうなると必然的に、カオサンに宿をとることはなくなるのだが、それでもほぼ毎回ここには足を運んでしまう。
3人ともバックパッカー時代の数多くの思い出を、カオサンに置いてきている。そんな思い出のいくつもの場所を巡りながら、カオサンを一周した。変わらない場所、変わった場所、無くなった場所、記憶が薄れている場所、ハッキリと脳裏に焼き付いている場所・・・。
懐かしさと新鮮さ。毎回それを感じさせてくれるのがカオサンだ。
小腹が空いたのでレストランで昼食を食べた後、オレたちはチャオプラヤ川周辺に張り巡らされた運河を一周する観光ボートに乗ることにした。
チャオプラヤのボート。それはオレにとって、バンコクでの一番の思い出に他ならない。いや、『オレの人生を変えたもの』 と言っても過言ではない・・・。
2002年のことだから、もう18年も前の話になる。あてもなくバンコクの街を歩き、偶然辿り着いた船着き場から乗ったチャオプラヤの観光ボート。オレはそのボートの上から見た風景に心を動かされたのだった。
湿気が多い雨期のバンコクだからだろうか、人々は運河と家の間の狭い庭や、今にも崩れそうな、運河に突き出したバルコニーで過ごしている。あるいは家も扉や窓を開け放しているため、家の中までも丸見えなのだ。
運河沿いに建ちならぶ民家は粗末なもので、決して裕福とは言い難い庶民の生活がそこにはあった。しかし、そこにいた誰もが楽しそうに、幸せそうに見えたのだ。運河で釣りをする親子、料理をする母親、昼寝をしている老人、はしゃぎまわる子供たち、ギターを弾きながら歌っている若者たち・・・。
貧しいが幸せそうな彼らの姿を見て、日本人というだけで生まれながらに裕福なオレは幸せなのだろうか? という疑問が溢れだしたのだった。
それが全ての理由という訳ではないが、それが旅を始めた理由の一つになり、その1年後にオレは旅に出た。
それだけオレにとっては大きな出来事だったチャオプラヤの観光ボート。旅をしている最中にも、旅の終わり頃にも、旅を終えてからも、何回かもう一度乗ってみようと思ったことがあったのだが、その度に何かしらの理由で乗ることができなかった・・・。
18年ぶりに乗ったボートが走り出す。あの時と同じ、茶色いチャオプラヤ。
しばらくすると、ボートは両側に民家の立ち並ぶ細い運河へと入っていく。正直、風景自体はあまり変わっていない印象を受けた。が、家々はさらに朽ちていて、人が住んでいる気配がなかった・・・。逆に、人がいる家は建て直されている。
当然と言えば当然だった。時間が経っている。時代が違うのだ。別に最初から期待などもしてはいなかった。
今、同じものを見て、同じことを感じたい訳でもなかったし。今のオレが何を感じるのかを試したい訳でもなかった。見なくても判っているものを、一応確認のために見てみた。ただそれだけだった・・・。
当たり前のように、今のオレは今のこの風景から何かを感じとることはなかった。仮に、この風景が当時のままだったとしても、当時と同じことは感じなかっただろう。同様、当時のオレが今のこの風景を見ても感じるものはなさそうだ。
あの時のオレが、あの瞬間だからこそ感じることができた感覚。考えてみると、それはこのチャオプラヤのできごとだけではなく、旅の中のすべての瞬間がそうだった。
それが旅なのだ・・・。
豪華な部屋 / いつものカオサン
329.宇宙の真理
チャオプラヤの運河を一周したボートは、船着き場に戻って来た。が、もとの船着き場ではなく、少し離れた場所に着いた。
そしてオレたちを降ろすと、逃げるように足早に去っていくボート・・・。文字通り逃げて行ったのだ・・・。そして船着き場で待ち構える2人組。彼らは椅子に座り、乗客から金を集めている。『桟橋の使用料』 という名目なのだが・・・、ボートとグルになった明らかな悪徳商売。
料金は1台30バーツ、つまり100円程度。オレたち3人と、一緒に乗っていた欧米人老夫婦の5人で割ると1人20円。たったの20円だが、金額の問題ではない。
オレ以外の4人は頭にきて金を払う気は無いようだったのだが・・・、オレはなぜか怒りを感じなかった。逆に、ダマされたことが楽しくなっていた。
ここのところ、旅をしていてダマされるということはめっきり少なくなっていた。旅に慣れたからということもあるだろうが、それ以上に旅行者をダマすような悪人が減っていることも事実なのだ。
世界の格差が少なくなっているからだ、と勝手に解釈しているが、とにかくオレが長旅をしていた頃と比べると、外国人旅行者をカモにして生きているような悪い人間が減ってきている。
オレは久々にこんな手に出合ったことが楽しかったのだ。しかも到着した桟橋の使用料など、バカらしすぎることを本気でやっていることにも笑えてきた。インドならまだしも、この近代都市バンコクでだ。
楽しませてもらったと思い、30バーツを払った。以前のオレなら1バーツたりとも払わず、怒鳴り散らして相手の反応を楽しんでいたことだろう。大人になったな・・・。
オレたちは一度それぞれの部屋に戻り、夕方再集合した。
ラチャダーに最近できた観光スポット、鉄道市場というナイトマーケットに繰り出す。こんなネーミングだが、鉄道とはあまり関係がなく、かつて国鉄の倉庫があったからこのような名前なのだそうだ。
衣料品や土産物を売る店、食べ物の屋台、レストラン、バーが集まっている。
ここへ来てすぐに、オレたち3人はある事実に気付き、嫌気がさして、そこを立ち去った・・・。
大混雑のこの空間の、9割以上の人間が中国人観光客だったのだ。
そんな市場を出て、すぐ横にあるショッピングセンターの上階にある駐車場へ向かった。ここから見下ろす市場の夜景がキレイで、特にインスタなどで話題になっているからだ。
ここでもすぐにある事実に気付く・・・、大勢の人が写真を撮っているのだが・・・、こちらはほぼ全員が日本人。
結局どの国の人も、みんなと同じことをしたがるのね・・・。
ショッピングセンターを出て直近の地下鉄駅へ歩いた。ここでオレはこの宇宙の真理に辿り着いたのだ!
中国人は無限にいる!!
駅の出口付近でしばらくの間、立ち話をしていたのだが・・・、出口から延々と出てくるではないか! その人の波はとぎれることがない。おそらく電車に乗っていた人が出口から掃ける前に、次の電車が到着しているのだろう。そしてそれがすべて中国人。
中国では今は正月休みではない。しかもここ数年、中国人はタイで嫌われ始めたため、観光客は激減していると聞いた。数年前のまだ中国人が大挙して押し寄せていた頃の、しかも中国の正月期間中だったら・・・。想像するだけでもストレスがMAXに達するような光景だ。
実はこの無限の出口。30分前にも、2時間後にも同じ光景をみることができた。おそらく3時間以上は彼らが出続ける。まさに異次元空間とのゲートにほかならない・・・。
そしてオレは今回の旅の目的地を決めた。
今回の旅は、タイを旅したかったものの、タイのどこへ行くかを決めていなかった。久々に無計画な旅をしてみたかったからだ。
リーマンパッカーをしていると、バックパッカー時代のような自由を感じることが少ない。時間の感覚が全く違うのがその大きな理由だ。とにかく時間の節約が命題になってしまい、日本であらかじめスケジュールを決めてくる場合も多くなってしまう。
それを良しとしている訳ではないが、そうせざるを得ないのが現実なのだ。
そんなスタイルに飽きてきたこともあり、今回は何の予定も立てずにバンコクまで来たのだった。こちらに来てから、どこへ行こうかな? と考えていた。これも旅の楽しさのひとつなのだ。
とは言え、短い休みを無駄にはできない。明日にはバンコクを出なくては。と悩んでいる矢先に目にした無限の出口。
無限の中国人を見ていて、おのずと今回の旅の目的地が決まったのだった。
「中国人のいない場所へ行こう!」
鉄道市場の夜景 / 3人いると夕食も楽しい
330.北への寝台列車
タイの行きたい場所をネットで探している時、チェンカーンという街を見つけた。
2014年にタイで放映された映画の舞台になったことで人気となった観光地で、まだ海外での知名度は低い。そのため、観光客のほとんどがタイ人の国内旅行者だという。
まだ外国人にはあまり知られていない観光地。なんともオレの旅ごころを刺激する言葉ではないか。
そんな訳で、チェンカーンを行先の候補のひとつには挙げていたものの、他にも行きたい場所はいくつかあり、結局予定を決めずにタイまで来たのだった。
しかし、『中国人のいない場所へ行く』 と決めたからには、チェンカーンは最適解!
翌朝、この日もオレたちは3人で一休くんのホテルに集合することになっていたが、オレは集合前に一人出かけて行き、行きの列車チケットと帰りの飛行機チケットをゲットした。
バンコクから北へ向かう。ラオス国境の街ノンカーイまで夜行寝台列車で行き、メコン川を渡って対岸にあるラオスの首都ビエンチャンへ。ラオスで年越しをしたらタイへ戻り、目的地のチェンカーンへ向かう。バンコクへの帰りはタイのLCC、ノックエアーだ。
なぜ年越しがラオスなのか? 目的はカウントダウンパーティー!
今回は何となく、年越しイベントを見つけて紛れ込みたいと思っていた。
毎年、年が明ける瞬間を海外で過ごしているものの、ここ数年はカウントダウンのイベントに参加していない。オレが滞在していた場所が、どこも田舎すぎたことが一番の理由だ。やはり大きな街でなければイベントも見つけにくい。
目的地、チェンカーンの周辺はタイとラオスの国境地帯。そのタイ側は田舎。いや、ラオス側も田舎だが、近くに首都のビエンチャンがある。
タイとラオスの国力の差は歴然としたものがあるが、さすがにタイの田舎と、ラオスの首都を比べればラオスの首都ビエンチャンを選ぶだろう。
という訳で年越しの1泊だけはラオスへ行くことにした。
2人と別れてバンコクのメインターミナル、ファランポーン駅へ向かう。ここから寝台列車に乗ってタイの果てまで北上し、ラオスとの国境の町ノンカーイまでの移動だ。10時間もかかるが、乗って、寝て、起きたらノンカーイ、なので楽チン。時間も節約できるのでリーマンパッカーにとっては利用価値大だ。
しかもタイの寝台列車は、いつか乗ってみたいとずっと思っていたのだが、チケットが取れたのは初めて。今までトライした数回は、いつも満席だったのだ。今回はラッキーだった。
列車は定刻通りに出発。エアコンも効いて、ベッドも硬くなく、うるさくもない、快適な旅だ。ぐっすり寝ることができたおかげで長時間移動に何の苦もなかった。到着前に車両内をまわってきたスタッフに起こされると、列車は間もなくしてノンカーイの駅に入って行った。
さすがは観光大国のタイだけあって、列車には多くの外国人が乗っていた。そのほとんどがラオスへ向かうらしく、20人ほどいたであろうオレ以外の全員が乗合タクシーで駅を去っていった。
バスターミナルへ向かったのは間違いない。そこから国際バスでラオスへ入るのが普通のルートなのだ。
オレはというと、周辺の屋台で朝食を食べながら時間を潰し、1時間後に出発する国際列車でラオスへ入ることを選択。以前に一度、バスでこの国境を越えたことがあったからだ。今回は違うルートを選んでみた。
しかし、これが失敗だった・・・。
列車に乗っていた人は、なんとオレを含めてたったの5人。イヤな予感がしてきた。このパターンは今までの旅の中でも何回か経験したことがある・・・。ラオス側の駅で痛い目に遭うぞ・・・。
悪い予感は的中。いや、旅のセオリーどおりの展開だった。
これだけ利用者が少ない列車の駅で客待ちをするタクシーなどいる訳ないのだ。しかも駅は何もない田んぼの真ん中にポツンとある・・・。何をどう考えてもここを走るバスも存在しないことは容易に解る。オレ以外の4人はそれぞれ迎えの車が来ていた。
駅に取り残されてしまった! しかもここは街から遠く離れていて、どこにいるのか、どれだけの距離があるのかさえ分からない! 困ってしまったー!
なんて思っただろう。昔のオレなら。でも今のオレは違う! スマホという文明の利器と、マラソンと登山で鍛えた脚を持っているのだ! スマホの地図を見ながら、バスターミナルまで5kmを歩くだけの話。
その途中、首都の郊外とは思えないような田舎の風景を楽しむことができる。そう思うことにしよう・・・。
と、駅を出て1kmほど歩いたところで、オレはふと思った。
昔のオレだったら、駅で困って他の4人のうちの誰かに話しかけ、助けてもらっていただろう。そこから出会いが生まれる。それが旅なのだ。
やはりスマホは旅を快適にし、便利ではあるが、ある意味では旅の面白さを奪ってしまう・・・。
気が変わった! 旅をしよう! ヒッチハイクだ!
一応バスターミナルへは向かいつつも、歩きながらヒッチハイクをしてみた。しかし、なかなかつかまらない。いや、それ以前に車がほとんど走っていない・・・。
やっと止まってくれたのはバイクのオバちゃんだったが、金をくれと言われたので断る。
次に止まったのは・・・、なんとソンテウ(乗合タクシー)。ヒッチにこだわるか? 金を使って楽に行くか? 時間と体力を使って歩くか?
少し迷ったが、結局ソンテウに乗ることにした。
誰も乗っていなかったソンテウはバスターミナルまでオレを乗せ、そこで客を集めて街の中心部へ向かった。ラオスへ来るつもりはなかったのでガイドブックの類は持っていなかったが、3度目のビエンチャンなのである程度の土地勘はあった。
記憶通りの場所に懐かしい店があり、懐かしい宿がある。新しいものも増えてはいるが、基本はオレの知っているビエンチャンだ。
あの場所へ向かおう。
快適なタイの寝台列車 / ラオスの首都なのに郊外は
331.懐かしのビエンチャン
ビエンチャンでは過去の2回とも同じ宿に泊まっていた。
初めて来た時には、その宿のオーナーの娘や従業員の女の子たちと仲良くなり、毎晩のように一緒に飲みに出かけた。オレの中ではビエンチャン=彼女たち、と言っても良いくらいの楽しかった思い出だ。
その3年後、再びビエンチャンを訪れた際にも同じ宿へ行った。当然、彼女たちに会いたかったからだ。しかし、当時のメンバーはオーナーの娘だけで、当たり前のようにオレのことなど覚えてはいなかった。
今回はこの宿に泊まる気はなかった。が、まだあの宿はあるのだろうか? まだあの子はいるのだろうか? という思いから、自然と足が向いていた。
宿はまだあった。正確に言うと宿の建物はまだあった。しかし営業をしている気配はない・・・。と思った次の瞬間。隣に立派なホテルが建っているのが目に入った。ホテルは昔の宿と同じ名前。つまり、今はこちらに移ったわけだ。
そして、そこに彼女はいた。ガラス張りになっていて、通りからでも見ることができるフロントの記帳台に彼女はいた。少し歳はとったが、相変わらず美人だった。意味もなく安心するオレ。そしてお互いに歳をとったが、2人とも未だに同じことをしていることが面白く感じられた。
それにしてもオレは成長していない・・・。
思い出の1ページに触れたところで、オレはもう1ページをめくってみたくなった。
それはビエンチャンにいる間で、一番長い時間を過ごした場所だ。
オレにとってはビエンチャン=彼女たち、だったが、一般的にはビエンチャン=メコンだろう。もう一ヶ所の行きたかった懐かしい場所は、そのメコン川の河川敷にある屋台のレストランだ。
当時のオレはそこで昼間からビールを飲みながら、メコンの流れを1日中眺めていた。何日も何日も。それだけ今のオレとは、今の旅とは、時間の感覚が違っていた。
彼女のいたホテルから南へ5分も歩けばメコンに出る。そこには東西500mくらいにわたり、屋台のレストランが並んでいたのだが・・・。
そこは今ではキレイに整備された広いフードコートになっていた。レストランは増え、立派な建物になり、それらは整然と並んでいる。そこからメコンは場所によっては見えなくもないが、これは違う・・・。違うのだ!
うまく説明できないが、ここでは1日中ビールを飲みながらメコンを眺めようという気にはならない。
かつて、世界一のんびりした首都。などと呼ばれることもあったビエンチャン。個人的な意見でしかないが、河川敷の屋台はその象徴だったように思う。
街が近代化すると無くなってしまうもの。それは無くなってはいけないものなのだ。と、毎回毎回、旅行者目線の勝手なことしか言わないが、またしてもそんなことを感じてしまった・・・。
過去の思い出を辿る旅をしても仕方がないのは承知の上だが、今回はさらにもう1ページをめくってみる。
初めてビエンチャンに来た時、今と同じように年末年始のタイミングだった。街で一番大きいホテルの庭でカウントダウンパーティーがあり、当時知り合いになっていた日本人旅行者と3人でそこへ潜り込んでいた。
今回もどこかのカウントダウンイベントに参加しようと思っているので、まずはそのホテルへ行ってみることにした。
当時はビエンチャンで一番大きかったホテル。今ではそれ以上に大きなホテルもいくつか建っているので、少しだけ迷ったが、場所と形の記憶をたどりながらそこを見つけた。間違いない、このホテルだ。
しかもカウントダウンイベントの設営がもうすぐ終わろうかというところだった。きっとあれから毎年やっているんだろうな。と思うが、内容はずいぶんと立派になった。ステージ、照明、スピーカー。どれをとっても昔とは比べようもないほど進化している。
当たり前か、16年も経ったのだから・・・。
少し会場を覗いた後、周辺を一周歩いてみた。300mくらいしか離れていない場所の、これまた大きなホテルにも大きなステージがあり、その通りを挟んだ場所にも2ヶ所、広場とレストランで小さめの会場を見つけた。
いろいろな場所でやるんだなぁ。
それにしても・・・、すべての会場が屋外だけど、これだけ近いと他の会場の音が全部混じってしまうよねぇ。
さすがラオス!
その後もいたるところで小規模のイベントの告知を見つけた。どこへ行こうか?
そう考えながら歩いていると、最後に一番大きな会場を発見! テレビ局まで来ている。おそらく生中継されるのだろう。それはメコン川の川岸に設営されていて、日本でもそれなりのフェスくらいの規模。
大きな会場は最初のホテル、その近くのホテル、メコン沿いのここ。の3ヶ所だ。
どこへ行くかは夜決めるとして、しばらく部屋へ戻って休憩。・・・している間に、あっという間に今年最後の夜が来た。
ビエンチャンのランドマーク、バトゥーサイ / 麺を注文すると野菜と揚げパンもついてくる
332.カウントダウンパーリー
夜になり、ホテルを出て、大晦日のビエンチャンの街を一周した。一番盛り上がっている会場へ行こうと思っていたが、時間が早いせいか、どこも盛り上がりに欠けている印象。それに、昼には分からなかったが、入場料を取る会場もいくつかあり、そんな場所は欧米人の中年旅行者が目立った。2つの大きなホテルの会場がどちらもそうで、しかも結構な金額だ。
となると、メコン沿いの一番大きな会場へ行こう。と自然と決まったのだが、そこへ向かう間に良さそうな場所を見つけた。
昔、オレが毎日通っていたメコンの河川敷に屋台が並んでいたエリア。いまではフードコートになっている部分もあったのは昼間確認済みだったが、その広場に小さなステージが設けられ、カウントダウンライブと書いてあった。近くへ行ってみると、スケジュールが書いてあり、5組のバンドがライブを行うようだった。
今ライブをしている3人組バンドもなかなか良い感じ。ただ、周囲のラオスの人たちの反応をみていると、明らかにアマチュアミュージシャン。だが、プロに負けない歌唱力だ。
ステージ近くの席で夕飯にした。
酒と音楽が体に沁みてくる。
今年は、実はイマイチな、いや正直に言うと、結構悪い年だった。が、最後のこの時間がすべてを洗い流してくれるような、そんな感覚になれるようなキレイな透明感のある歌声だった。
1時間半くらい彼らの音楽を聴いていただろうか。そろそろイベント会場へ行こうかと席を立つ。
その途中に、ナイトマーケットを発見した。昼間は何もなかったその場所に、これでもかとテントが並び、同じラオスで例えるとルアンパバーンのナイトマーケットほどの規模のものだった。
オッサンが一人でそんなところへ行って楽しいのか? と思うでしょ? 楽しいんです! オレ、こんなのが好きなんです! これがアジアなんです!
ナイトマーケットを一周してカウントダウンパーティーの会場へ。
しばらくの間はまたしてもバンドの演奏。しかしこちらは明らかにプロだ。個人的にはさっきまで聞いていたアマチュアの方が好きだったが、ラオスの人たちは盛り上がっていた。
司会の人が何か話したり、何組かのバンドが登場したり、日本で言うところの紅白歌合戦のようなイベントだった。テレビ中継されているので、明らかにCM中だと思われるような不思議な間があったりして面白い。
会場の前の方はオールスタンディングになっていて、後ろの方にはテーブルが並び、みんな酒を飲みながら楽しんでいる。
オレはステージ近くで演奏を聴いたり、写真を撮ったり、飽きたら端の方で夜のメコンを眺めたりしていたが、そのうち音楽がガラリと変わり、ダンスタイムになった。
その瞬間、オレは鮮明に16年前のことを思いだした。例の宿の女の子たちと遊びに行った時のことを。
彼女たちとはいつも同じ店へ行っていた。彼女たちはディスコテック(日本風に言うとクラブ)と呼んでいたが、実際には生バンドの演奏があるレストランで、演奏タイムとダンスタイムを交互に繰り返すような店だった。
まさに今、それと同じことをこの会場でしている。音楽も、踊りも、当時のまま! ラオスの流行りは何も変わっていないのか! と思える光景に楽しくなってきた!
ちなみに当時の日記をそのままコピペしてみる。
ラオス風ディスコテックは、かなりおもしろかった! おもしろいといっても楽しいおもしろさではなく、笑えるおもしろさだ。音楽も踊りも「なんじゃこりゃ!?」という感じだった。音楽は日本だったら30年前でさえも古臭いと思われるような、しかもなぜかコミカルな感じだ。そして踊りはまるで小学生のお遊戯状態。輪になったり、肩を組んだり、列になったり・・・。それを若者たちが楽しそうに踊っている。オレは彼らには本当に失礼だったが、本気で爆笑してしまった。
が、これこそまさに「踊るアホウと見るアホウ」というやつだ。誘われるがままに一緒に踊ってみると、いつの間にか楽しくなってきた。「同じアホなら踊らにゃ損損」
信じられないが、まさに当時のまま、何も変わってはいない!
とにかく、こんなことを言っては失礼だが、ダサい! 変わっていないのも信じられないが、それ以上に信じられないほどカッコ悪い!
のだが・・・、それがメチャクチャカワイイのだ! ダサカワイイ!!
今日はこれが見れただけでも大満足という感じだった。
ちなみに、今回・・・、オッサンになったオレにはそれに参加できるメンタルは持ち合わせていませんでした・・・。
その後も、演奏、ダンスを繰り返し、いよいよクライマックス。出演者が全員ステージに集合し、司会の人が話している。長い・・・。長すぎる。何を言っているのかは分からないが、とにかく「どんな番組構成だよ!」とツッこみたくなるほど長々と話している。
そしてカウントダウンが始まった。10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、サワッディーピーマイ! あけましておめでとう、はタイ語と同じだ。
わーっと、しばらく盛り上がった後、ステージから人はいなくなったが、会場はそのまま宴会続行。5分ほど余韻に浸っていたが、オレも最後にもう1本飲もうかな、とビールを買いに行こうとした瞬間、いたるところで花火が打ちあがった。
そう言えばカウントダウンの時には花火が上がらなかったけど、なんでズレてんだ??
時計に目をやると・・・、今が12時! あれ?
その瞬間、何となくの予想はついたが、一応近くにいた人に聞いてみた。彼は英語ができなかったらしく、その隣の若者が教えてくれた。そして予想どおりの答えに苦笑い。
中継していたTV番組が12時前に終了したのだ! 12時ではなく、番組の終了時にカウントダウンをしやがった!!
中継が終わったとしても、会場の人たちのためにもう一度本当のカウントダウンをするでしょ!? 普通!? おかしくない!?
そもそも、みんなも自分たちでやらないのかね???
さすがラオス・・・。
ダンスショウ / カウントダウンイベント
333.チェンカーン
元旦、この日はタイに戻り、今回の旅の目的地チェンカーンへ向かう。
前の日、ラオスに入って駅に着いた時にもスマホが活躍したが、本当に便利だ。チェンカーンまでは2回バスを乗り継いで行くのだが、その発着時間さえ調べることができた。
午前中にビエンチャンを出発して3時か4時くらいにはチェンカーンに到着する予定だ。
と、すんなりいく訳がないのが東南アジアの旅だ。ということは重々承知してはいたが、タイでは意外と乗り物は遅れない。ラオスからタイへ入るにしても、メコン川に架かる橋を渡って対岸へ渡るだけ。今回は大丈夫だろうとふんでいたのだが・・・、そうはいかなかった・・・。
結局チェンカーンに到着したのは夜9時にもなってしまった。
外国人は少ないとは言え、タイ人の国内旅行者には人気の観光地と聞いている。こんな時間に到着して宿があるだろうか?
地図を見ると、ほとんどのホテルがメインストリートにあって、その裏手はメコン川になっている。つまりほとんどの宿がリバービューという街の造りだ。
まずはメインストリートに向かったが、人の多いことにビックリ! 静かな田舎町という売り文句はなんだったのか? と思うくらいの人。通りの両側に屋台が出ているので狭くなった道に、人が溢れている。
だが、不快ではなかった。外国人は数えるほどしか見当たらず、当然オレがキライなあの人たちもいない。嬉しくなった。
このままここを楽しみたい気持ちを抑え、今は宿探しを優先する。
がしかし、案の定・・・、ホテルはどこも満室だった。1kmほどあるメインストリートを往復したが宿が見つからない。
さらに歩いて、ようやく空き部屋を発見。今までの旅の経験上、宿がまったくないということはないのだ。質の割には高かったが仕方がない。チェンカーンには多いタイプの、古民家を改築した宿だ。部屋からメコンが見えるのが良い。
チェックインだけして、すぐにメインストリートを改めて歩いた。おもしろい。カオサンをローカルにした感じ。と言うのが一番分かりやすい表現だろうか? とにかく、ザ・アジアの観光地と言った感じ。海外を知らない人に伝えるならば、毎日が祭りの縁日。という場所だ。
食べ物、飲み物、土産物、日用品、屋台が延々とメインストリートの両側に並び、その奥にはホテル、レストラン、カフェ、バーがある。
メインストリートの裏手にはメコン川沿いにもう1本の道があり、そちらも実に良い感じ。川に降りられる階段が何ヶ所かあり、みんな屋台で買ったものをその階段に座って食べている。
オレもマネをしてみた。屋台でソーセージ、サラダ、から揚げ、そしてキンキンに冷えたビールを買い込みメコンへ。
夜風がなんとも心地よい。対岸のラオスから聞こえてくる民謡的な音楽、こちら側から聞こえる人々のざわめき、屋台から流れてくる食べ物の匂い、星空。東南アジアの旅を五感で実感している瞬間だ。やっぱタイはいいぜーーー!!
周りがカップルだらけなのが、少しだけ悲しくはあったが・・・。
翌朝、起きて明るくなった街を歩くと、夜とは違う顔をしていた。こちらが聞いていたとおりのチェンカーンのイメージに近い。
古い家が多く残り、それらは改装されて宿やレストラン、カフェなどになっている。日本で言うところの、昭和感満載の街なのだ。そしてどこを見てもとにかくオシャレ! どこを切り取っても画になる! タイでも日本同様で、このようなインスタスポット満載の街は人気という訳だ。
今日は1日のんびりしようと思っていたので、そののんびりスポットへ行くことにした。
レンタサイクルを借りてメコン川沿いに30分ほど走ると、ケンクックーという場所に着く。川の中ほどに岩が飛び出ていて、対岸には岩山がそびえ立ち、ビーチのような白い砂地もあって景色の良い場所だ。
景色が眺められるレストランには、昼からビールを飲む観光客で溢れている。
当然オレもここで一杯。
本当はここでずっと、まったりしていたかった。しかし、客が多くて店員の早く帰れオーラが出始めたので、近くのコンビニでビールを買って河川敷へ移動。川に足を浸して、良い景色と青空の下でビール。オレは日本でも登山中に山で同じことをよくやっているが、これが本当にサイコーなんですっ!!
飽きるまで川と山と空を眺め、心地よい酔いも醒めかけたところでチェンカーンへ戻る。
宿でひと休みしてから夕方の街を散歩し、メコンに落ちるすばらしい夕日を見て、昨夜同様にお祭り状態の街を楽しんだら、夜のメコンでまたビール。
チェンカーン、本当にオススメです!
木造の街並みがいいね / 夕暮れから活気が出てくる
334.今日も夕日がキレイ
チェンカーンでの最終日、宿の朝食を食べて、朝の散歩をしてから土産物を買い漁り、メコンを眺めて心を浄化した後は、レストランでタイ東北部のイサーン料理とビールで体を浄化。
本当にチェンカーンでは良い時間を過ごすことができた。
チェンカーンはまだ日本では認知度が低い観光地だが、大好きになった。
5年前、同じように日本ではあまり知られていないミャンマーのパァンという街に行って、良い場所を見つけたことに興奮したが、今回も同じくらいの興奮と快感を味わった。
この感覚はバックパッカーにしか分からないのだろうな、と思う。こんな身近な東南アジアの国でさえ、こんな未知の観光地がまだあるのだ。これからもそんな場所を見つけていきたい。
ただ、パァンの時も、今回も、情報の少なさに少しだけ困った。当然と言えば当然だ。ガイドブックにも載っていなければ、ネットで検索できる情報にも限界があった。それでも特に問題になることはなかったのだが・・・。
最後の最後で軽くではあるが、トラブルが起ってしまった。
チェンカーンからは、バスかソンテウという乗合タクシーでルーイという街まで、1時間30分くらいかけて移動。ルーイのバスターミナルから空港までタクシーで30分くらい。乗り換えや待ち時間も考え、余裕をもって倍の4時間をみていた。
が、最初のソンテウでつまずいてしまったのだ。ルーイからチェンカーンに来る時にはすんなりと乗ることができたので、そのイメージでいたのだが、帰りは客が集まらない・・・。ソンテウは客が集まらないと出発しないのだ。
時間がヤバいと感じ始めた頃に運転手と交渉。全員分の料金を払うから車だして! 良くある方法なのだが、なぜか応じてくれなかった・・・。一緒に交渉を手伝ってくれた女子高生たちは、もう一つの大きなバスターミナルまで行った方が良いとアドバイスをくれた・・・。何ーー! そんなものがあったのかーーー!! やってしまった!
慌ててトゥクトゥク(三輪タクシー)を拾ってバスターミナルへ急ぐ。と、ここでドライバーから提案。バスターミナルまで行くか? それとも時間がないならプライベートタクシーで行くか?
プライベートタクシー!??
たしかに言われてみればチェンカーンではタクシーを見かけなかった。トゥクトゥクは近距離移動しかできないし、ソンテウやバスでは決まったルートしか移動できない。そうか! だからこの街にはプライベートタクシーなるものがあるのか!
だが、ドライバーは親切心もあるだろうが、それ以上にリベート目当てなのは明白だ。しかし時間は微妙・・・。バスターミナルでバスかソンテウに乗り換えても間に合う可能性が高いが、少し危ない賭けで航空券を無駄にするのもどうか? でもプライベートタクシーなんていくらかかるか想像もつかない・・・。
走りながら迷っていたが、交差点でドライバーはトゥクトゥクを止めた。バスターミナルはあっち、プライベートタクシーはこっち。
・・・、金を使おう・・・。
最悪飛行機に乗り遅れたとしても、長距離バスでバンコクまで帰ることもできる。
しかし・・・。
いつものことではあるが、バックパッカーなら安さを追求しての、少しくらいの危険な賭けならすれば良い。しかしリーマンパッカーなら時間と確実性を優先するのが正解なのだ。
タクシーは1000バーツ(約3300円)。バックパッカー時代だったら絶対に出さない金額だが、今は違う。3300円なら安いものだ。
案の定100バーツのリベートを受け取ったトゥクトゥクのドライバーは、初めて見せた満面の笑顔で去っていった・・・。
結果、余裕の時間で空港に到着・・・。タクシーでなくても・・・。
と考えてはいけない! これで良かったのだ!
定刻でルーイの空港を飛び発ったタイのLCCノックエアー。
しばらくすると陽が沈みはじめ、西向きの窓側をちゃんと取っていたオレは、その景色に見入った。
今日も夕日がキレイです。
ノスタルジックなチェンカーン / リバービューでのんびりできた
335.クルンテープ
クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット。
タイの首都、バンコクの正式名称だ。当然世界一長い都市の名前。
国際的にはバンコクと呼ばれるが、タイ人はバンコクとは言わない。
『クルンテープ』、『天使の都』という意味だ。
『微笑の国』の首都が『天使の都』・・・。
聞いただけでも好きにならない訳がない! 多くの旅行者同様。オレもこの国、この街の虜になったひとりだ。
ある時期に出張で行きまくっていた中国のシンセンと、その経由地の香港を除けば、バンコクは滞在時間がダントツで一番長い海外の街。全て足すと、タイという国ではなく、バンコクという街だけで3ヶ月以上も過ごしている計算になる。
我ながら呆れてしまう・・・。
そんな大好きな国の、大好きな街。
いつもは経由だけで、長くても1日くらいしか時間がないが、今回は最初に2日、最後にも2日の時間があった。予定を立てずにタイまで来たので、最初からこんなつもりではなかったのだが、結果的に旅の半分がバンコクになってしまったのだ。
友人たちと一緒だった最初の2日間も楽しかったし、一人だった最後の2日間も良かった。
久々に旅をしたタイ、久々に時間に余裕があった滞在ができたバンコク。どちらに関しても同じことを思った。
やっぱタイだぜ! やっぱバンコクだぜ!
オレはタイが好きなんだ。オレはバンコクが好きなんだ。
以前にも書いたことがあるが、もう一度書かせてもらう。
オレという人間が生まれたのは日本の静岡という街だが、オレという旅人が生まれたのはタイのバンコクという街なのだ。まぎれもない第二の故郷。
近いうちにまたタイを旅したい。そんなふうに思える今回の旅だった。
パッタイはセンヤイに限る! / 最後もカオサン
336.帰国後のオマケ
ところで、チェンカーンからバンコクに帰った日の夜から、体に異変が起こっていた・・・。
バンコクでの宿で寝転がっている時、ふくらはぎにチクっとした感覚があった。虫に刺されたと思いベッドを見たが、何もいない。ふくらはぎを見ると・・・、小さなブツブツがいくつかできていた。
ヤバいと思い、再度ベッドを確認。シーツの下も確認した。それでも何もいないのでそのまま就寝。
ところが、翌日になってそれが増え・・・、赤いブツブツが無数に!
いつどこで何にやられたのか? いろいろと過去の行動を思い返してみる・・・。
メコン川に足をつけていた時か? でも、タイムラグがありすぎるような気がする。もう2日も前のことだから。
チェンカーンでフットマッサージを受けた時か? でも、ふくらはぎ以外が何ともないので可能性は低い。
やはりバンコクの宿のベッドに何かいたのか? でも、何度も注意深く確認したのだ。おそらく違いそう。
バンコクの街を歩いていて、水たまりに入ってしまった時か? ・・・、怪しい・・・。たしかに工事現場近くの、汚い水だった。ドロがはねてしまい、すぐにウエットティッシュで拭いたが、充分ではなかったかもしれない、そこにバイキンがいたのか???
思い当たるのはそれくらいだった。水たまりの水が原因かどうかは不明だが、とにかくそれはオレのふくらはぎに悪さをしている。
日本へ帰る飛行機の機内では痛みが出始め、日本に到着して確認すると、なんと化膿し始めてしまっている・・・。
翌日、仕事始めだというのに病院へ行った。化膿止めの飲み薬をもらい、患部は触らないように言われた。
しかし、2日もすると歩行も困難になるほどに悪化してしまった・・・。そして、足は像のように膨れ上がり、押さえるとやわらかく、指が1cmくらい中に入るくらい・・・。熱も持っている。
さすがにヤバそうだ・・・。
今度は他の大きな病院へ行ってみると・・・・・・、なんと入院!!
えーーーーーーーっっっ!!!
まさかの診断で驚いたが、化膿した初期の段階で膿を出さなかったことが原因で悪化したとの話・・・。
それにしても最初の医者は何だったのか・・・。
とにかくかなり状況が悪いらしく、ここまでひどいのは初めて見たと言われ、他の医者たちは集まってくるわ、写真撮られまくるわ・・・。・・・、ヤバいらしい・・・。
ブツブツを、一つずつ、すべて切開して膿を出してもらった。痛みはひどく、相変わらず歩くのもつらい。化膿止めの点滴を受けながら、薬を塗り、包帯を変えの繰り返しで2〜7日の入院。という診断結果・・・。7日って・・・。いくらなんでも、そこまでひどいとは・・・。
原因になっている菌の種類を調べる検査結果もすぐには出ないので、それによっては入院期間は短くなるそうだが・・・。
ところがだ! 何と! いろいろと検査しているうちに、インフルエンザになっていることが判明! 院内感染の恐れがあるので、インフルエンザの人は入院できません!! とな・・・。
家で足の痛みとインフルエンザと闘いながら、自分で足の処置をするハメに・・・・・・。
インドやアフリカあたりならまだしも、まさかタイでこんなことになろうとは・・・。
結果・・・、1週間ほどでインフルエンザも足も良くはなった。が、ふくらはぎには痕が黒く残ってしまった・・・。
医者曰く、痛みは治るけど痕は消えないかもね。
サイアク・・・・・・。
前へ 次へ
日記もくじ ホーム