関所入口 > 藤枝大祭 > 夏越大祓

<7> 夏越の大祓と茅の輪くぐり ( なごし の おおはらい と ちのわくぐり )

飽波神社と茅の輪 大祓(おおはらい)は、大宝元年(西暦七〇一年)より、歴代宮廷の公事又、諸神杜の神事と定められ、飽波神杜においても、六月三十日と十二月三十一日、半年毎に大祓の神事を行っております。六月は夏越の祓(なごしのはらい)と言われ、拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)には次の歌が詠まれています。

 「水無月の なごしの祓する人は ちとせの命 のぶというなり」と人々の罪や、けがれを「大祓形代(おおはらいかたしろ)」に移し、神杜の神威によって祓い清められて、人々は本然の姿に立ち直ると言われております。

 飽波神杜では神前に大きな「茅がやの輪(ちがやのわ)」を設けます。参拝者は、この輪を8の字を書く要領でくぐり罪や、けがれを祓い招福を祈願します。お求めの「大祓形代」で身体を祓い清めて、夜八時までにお参りして形代を納めて下さい。

 神杜ではお祓いして除災招福の祈願式を斉行いたします。又氏子、崇敬者が心身の清浄、除災のため献府した提灯を多数(六〇〇位)点灯して夏祭りの神事といたします。無病息災で、暑い夏越が出来ますように、御神威の御加護を祈願することは、誠に意義深いことと存じます。こぞって御参拝下さいますようお待ち申し上げます。

茅の輪 茅の輪(ちのわ)の起源については、釈日本紀(しゃくひほんき)に、神代の昔、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、民業開発のため諸国を巡歴の途中、蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来(こたんしょうらい)という二人の兄弟に宿を求められた時、弟の巨旦将来は裕福であるのに宿を拒んだが、兄の蘇民将来は貧しい身であったが、尊を快くもてなしてお泊めし、一夜の暖い御待遇申し上げました。

茅の輪のくぐり方 その後、年を経て尊は再ぴ蘇民将来の家を訪れ「若し天下に悪疫流行せば、ちがやを以て輪を作り腰にかけ(蘇民将来子孫門)と書いた札を門にかければ、一切の悪疫を免れるであろう」と教えられました。

 この故事に基き、災厄を免れるという信仰が生じ、茅の輪をくぐり日頃気ずかない間に犯した罪、けがれを除き、心身の清浄ならんことを祈り、明日より明るい浄い希望の生活にはいることが無病息災で生業の繁栄につながるものと信仰されている。
 「懸茅の輪(かけちのわ)」は、家の門口にかけ災難疫除のお守りとされて来ました。
<本文:飽波神社社務所発行>


大祭TOPに戻ろ〜!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜