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<2> 静岡県内・21市の地名の秘密・・・ |
= 熱海市 =
仁賢天王4年(491年)の頃、海岸に温泉が噴出して海に流れ込み、海面に白く湯気を上げた。 人々はこの地を「熱つ海が崎」と呼んだのが始まり。 = 伊東市 = 伊東という地名は「伊豆東浦の庄」などの説がありますが、一般的には「湯のいづる国=伊豆国」の東に位置するところから起こったと言われている。 = 下田市 = 下田湾に流れ込む稲沢生川の河口近くに水田集落ができ、その後氾濫のたびに徐々に下流にも水田が広がり、人々が移り住むようになった。この新しい集落を上流より「下の田」であるから「下田」と名づけられた。 = 御殿場市 = 徳川家康が元和元年(1615)に江戸より駿府に赴く途中の休憩所をこの地に造営し、この休憩所(御殿)を中心に御殿新町が生まれた事による。 = 裾野市 = 昭和27年に小泉村と泉村が合併して裾野町になりました。このとき、駅名から、また、富士の裾野にあることから「裾野」の名になりました。 = 三島市 = 古代は国府(こう)と言われ、三嶋大社の門前町として栄えため、何時しか「三島」と呼ばれるようになったといわれています。 = 沼津市 = 沼津市の「沼」は沼地のことを、また「津」は港のことを指す。つまり沼津市は沼地にあった港という意味から名づけられたと言われる。 = 富士宮市 = 富士山頂に奥宮を持つ富士山本宮浅間大社。別名”富士の宮”といわれ、古くからおおくの人に親しまれてきた。当地はその門前町として栄えた。 = 富士市 = 昭和4年加島村の町制施行の際、「鉄道停車場の富士駅や富士山に因んだ名を」との村民の要請から富士町に改称。昭和29年に富士市となり、昭和41年2市1町が合併。 = 清水市 = 豊富でキレイな水の出るところがあったことに由来する。記録としては戦国時代、天文21年(1552)8月12日の今川義元判物にあるのが初見。 = 静岡市 = 明治2年(1869)徳川家康の老臣が駿府の呼称府中を不忠に通じると賤機山にちなみ賤ヶ丘と命名。駿府学問所頭取向山黄村は「賤」はいやいやしいを意味するので「静」と改め静岡とした。 = 藤枝市 = 平安時代後期の武将、源義家が奥州に下る際に若一王子神社に奉納した「松に花 咲く藤枝の 一王子 宮居ゆたかに いく千代を辺」という和歌に由来するという説が知られる。 = 島田市 = 大井川が乱流して砂礫が堆積し、州島を形成し、そこへ居を構え、広い川原を開墾したのが島田の素因と伝えられる。また、島田氏が住んで居た事からという説もある。 = 焼津市 = 日本武尊が東征の途中当地において賊に襲われ、焼き殺されそうになったとき、向火をはなって難を逃れた事による。(奈良時代「古事記」「日本書紀」など) = 掛川市 = 逆川に面し崖の欠けた所に立地したので崖川・欠川と呼ばれたことによる。懸川・懸河・懸革とも書く。「掛川」として統一されたのは明治時代になってから。 = 袋井市 = 原野谷川中流の北、沖之川と宇刈川が合流する地点に位置し、井水に囲まれた袋状の地形からつけられたといわれる。 = 磐田市 = 昭和15年見付町、中泉町、西貝村、天竜村の2町2村が合併し、それぞれの郷名をとって磐田町とし、昭和23年4月1日市制施行で磐田市となる。 = 浜松市 = 「和泉抄」国郡部に記載された「波万万津」の古称の転じたものとも言われる。また、「浜津」と書いてハママツと呼んだという説、「浜馬津」と書いたという説もある。 = 浜北市 = 昭和31年(1956)浜名・北浜・中瀬・赤佐・麁玉の1町4村が合併し、浜名郡北部に位置することから浜北町になり、1963年市制施行で浜北市となる。 = 天竜市 = 明治22年町村制施行で二俣町、光明村、竜川村、熊村、上阿多古村、下阿多古村の6町村が誕生、昭和31年に合併して二俣町となる2年後に天竜川にちなみ市制施行で天竜市となる。 = 湖西市 = 昭和30年(1955)鷲津、白須賀、新所、人出、知波田の5町村が合併、浜名湖の西側に位置することから湖西町となり1972年に市制施行で湖西市となった。 ・・・ある日の毎日新聞の広告より 戻る |