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『駿河之國・藤枝宿 庶民の暮らし』

■ うんちく

 そもそも藤枝宿とは、旧藤枝町の東海道筋界隈を指す。旧藤枝町と、青島町、葉梨村、広幡村、大洲村、瀬戸谷村 などが合併して現在の藤枝市が成り立っている。今も方々で地方自治体の合併が盛んに行われているが、今から40〜50年前も自治体の合併が盛んに行われて、より安定した行政が確立するように方々で新しい「市」が、誕生したのである。近隣では島田や焼津も御多分に もれずそうなのである。戦後の急成長直前のブームだったのか?
 合併後はひとつの自治体になったにもかかわらず、未だに昔ながらの「付き合い」やその地区独特の「行事」やら生活の匂いみたいなのが根強く残っているように感じる。。。
 ふるさとがこの旧藤枝にあるため、特に感じるのであろうか? 逆に途中から(大人になってから)藤枝に移り住んだ人にはなじみにくいというか、排他的にさえ感じることがあるんじゃないかな??(あくまでも主観で〜す)

<1> 藤枝宿の町名

 旧藤枝宿は現在昔の地区割でいうと15の地区に分けられる。昔(江戸〜大正、昭和初期)は東海道筋がもう少し細かく地区分けされていたようだが、今回は混乱するのでカットして話を進める。
 行政も日進月歩で各地区の区画整理や耕地・ほじょう整備が整って、それに伴って街区住居表示も改められた。(例えば藤枝○町目△番地□号みたいな奴だな) 今でも私は、いやおそらく原住民は皆そうだと思うが、この住居表示で言われても"ピン"と来ないのである。「えっ?どこどこ??」見たいな感じで、隣の地区でさえも判り難いのである。
 旧地区表示は現在、自治体の町内会・自治会の区分でも残っている。コレは藤枝町に限らず青島や広幡などすべての地区について同じである。したがって、小中学校の子供会やPTAの地区割も旧地区毎で分けられている。いい換えれば"新しい街区住居表示"は単に便宜上のもので、実生活の中では未だに"昔からの地区表示"で付き合いが続けられているということになるのか? だから、○丁目△番地よりも「市部の横町だよ。」とか「左車の大正小路だよ。」の方が解りやすいのであろう。 では、現在残っている藤枝町15地区をご紹介しましょう。

 「栄」(さかえ) ・旧東海道の藤枝宿の西端
 「木町」(きまち) ・旧東海道の西側、栄のお隣
 「原」(はら) ・木町の北側
 「上伝馬」(かみでんま) ・旧東海道の清水橋交差点から大谷川までの街道筋
 「小坂」(こざか) ・上伝馬の北側一帯
 「益津」(ましず) ・栄の南側から上伝馬の南側一帯の地区
 「千歳」(ちとせ) ・街道筋、上伝馬の東隣
 「長楽寺」(ちょうらくじ) ・街道筋、千歳の東側一帯
 「岡出山」(おかでやま) ・益津の南側から長楽寺の南側の国道1号線まで
 「白子」(しろこ) ・街道筋、長楽寺の東隣一帯
 「下伝馬」(しもでんま) ・街道筋、白子の東側一帯
 「市部」(いちべ) ・白子・下伝馬の北側一帯
 「五十海」(いかるみ) ・市部地区の北側
 「左車」(さぐるま) ・東海道・藤枝宿、東の出入口
 「藤岡」(ふじおか) ・藤枝宿で一番新しい地区

<2> 『藤枝(ふじえだ)』地名の起源とは・・・?

 源義家(みなもとのよしいえ)が若一王子社の前を通過した際に次の歌を詠んだと言われていて、これが「藤枝」という地名の詠み込まれた最も古い歌だと考えられている。

 「 松に花 咲く藤枝の一王子 宮居ゆたかに いく千代を辺(へん) 」

これは”宮ぼめ”の奉納歌であり、通過の儀礼であったと考えられる。。。 またこの歌は、松の枝に藤の花がみごとに映えているのを見て作ったという伝承もあり、これを「藤枝」の地名の起源とする説もある。(ただし「藤枝」の地名起源については、はっきりした説は定まっていないらしい)
 <<参考:「ふるさと百科・藤枝事典(図書刊行会)」 / report by yamashi>>

 では他にも県内21市の地名由来を集めてみましたので、藤枝と比較してみましょうか?

<3> 『藤枝・七福神』をめ〜ぐ〜る〜!

 なんと、わが町「藤枝」で「七福神巡り」が出来てしまうことをつかんだ!(◎O◎)  我々「oyatiti特別取材班」は、実際に”藤枝七福神”の取材を敢行してしまったのだ〜!!

☆『七福神』とは?
 七難即滅(七つの災いを祓う)、七福即生(七つの幸福を招く)の事を指して、
 七難:病気・不幸・危険・災難・邪悪・短命・貧乏 を払い
 七福:開運・財宝・寧らぎ・繁栄・厄除・長命・円満 を招く神様たちのことをいいます。

左から・・・ 弁財天 寿老母 毘沙門天 大黒天 恵比寿神 布袋和尚 福禄寿

 調査したところによると、七福神の信仰は室町時代の末期のころからで、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられたそうな。 特に農民、漁民の信仰として成長し、現代に生き続けてきたらしいです。 七福神のうち、大黒天 毘沙門天 弁財天は仏教出身で、他の恵比寿神・布袋和尚・寿老人・福禄寿についての文献は少なく、布袋和尚・寿老人・福禄寿は、中国の道教、神仙観とされています。 仏教を中心として中国宗教と混合して出現したのが七福神と称されていて、七福神の信仰七種の徳を支配する神として室町の末期ごろから盛んになり、そのころ中国から輸入された思想と、古来より日本で信じられていた俗信と仏教思想とが、入り混じって生じた信仰であると伝えられています。
 七福神は「夢まくらに宝船に乗って現われると福が授かる!」といわれ、初夢のための枕下にお札などを入れて、吉夢を見ようとすることが流行ったそうです。

 それでは早速
"藤枝七福神"をご覧くださいませ〜

<4> 体験教室 『藤枝だるま』 をつくる!

 いつものように「なんか面白い事やってないかなぁ〜」と、藤枝市のHPを覗いていたら、こんな記事を見つけた!

 
『 体験教室 藤枝の親子だるまをつくろう 』
 江戸時代の土人形づくりの伝統を受け継いで、創業以来およそ170年の歴史をもつ藤枝だるま。 明治時代に文豪・小泉八雲が小説「乙吉の達磨」のなかで取り上げたことから、八雲にちなんで両頬に8の字鬢が描かれ別名「八雲だるま」として全国的に知られています。 郷土の伝統工芸「藤枝だるま」の製作工程を学びながら、実際に絵付けの作業をして、かわいい親子だるまを作ってみましょう。


 たまたまミヤサの夏休み初日とあって、格好の餌食となってしまった「藤枝だるま」。。。 果たして何処までレポートできるのか? 非常に興味津々〜(←自分で言うなって?)

<5> 藤枝ウォークラリー'03 / 君も藤枝の物知り博士になろう!

 ・・・ある日のケータイメールにて、マンキからミヤサに指令が下された。。?

 
おはよう諸君! この秋蓮花寺池公園にて面白そうなイベントが催される。 是非とも参加して状況を確認してもらいたい!!

 ということで、とっても気持ちの良い秋晴れ晴天の下、「藤枝市青年ネットワーク FUN」が主催してくれた『藤枝ウォークラリー'03 / 君も藤枝の物知り博士になろう!』というイベントに参加してきましたぁ〜
(2003.10.26)

<6> 勝草橋について語ろうと思う!

 ・・・勝草橋の事について二人で話す機会があった。

 すると、マンキから少し面白い話を聞くことが出来たのだ! 本人も熱く語ってくれたので、是非とも皆さんにも聞いていただこうと、取り急ぎ記事を作成してもらいました。 本編に入る前に、まずはこちらをご覧くださいませ・・・

     →  マンキ の 「 勝草物語 」 (2003.11.24)

 そしてこちらが、お散歩で見つけた本編となりますぅ〜

     →  マンキ と ミヤサ の 「 勝草橋で発見! 」(2003.12.23)