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『駿河之國・藤枝宿 庶民の暮らし』 |
■ うんちく |
そもそも藤枝宿とは、旧藤枝町の東海道筋界隈を指す。旧藤枝町と、青島町、葉梨村、広幡村、大洲村、瀬戸谷村 などが合併して現在の藤枝市が成り立っている。今も方々で地方自治体の合併が盛んに行われているが、今から40〜50年前も自治体の合併が盛んに行われて、より安定した行政が確立するように方々で新しい「市」が、誕生したのである。近隣では島田や焼津も御多分に もれずそうなのである。戦後の急成長直前のブームだったのか? |
旧藤枝宿は現在昔の地区割でいうと15の地区に分けられる。昔(江戸〜大正、昭和初期)は東海道筋がもう少し細かく地区分けされていたようだが、今回は混乱するのでカットして話を進める。 |
「栄」(さかえ) | ・旧東海道の藤枝宿の西端 |
「木町」(きまち) | ・旧東海道の西側、栄のお隣 |
「原」(はら) | ・木町の北側 |
「上伝馬」(かみでんま) | ・旧東海道の清水橋交差点から大谷川までの街道筋 |
「小坂」(こざか) | ・上伝馬の北側一帯 |
「益津」(ましず) | ・栄の南側から上伝馬の南側一帯の地区 |
「千歳」(ちとせ) | ・街道筋、上伝馬の東隣 |
「長楽寺」(ちょうらくじ) | ・街道筋、千歳の東側一帯 |
「岡出山」(おかでやま) | ・益津の南側から長楽寺の南側の国道1号線まで |
「白子」(しろこ) | ・街道筋、長楽寺の東隣一帯 |
「下伝馬」(しもでんま) | ・街道筋、白子の東側一帯 |
「市部」(いちべ) | ・白子・下伝馬の北側一帯 |
「五十海」(いかるみ) | ・市部地区の北側 |
「左車」(さぐるま) | ・東海道・藤枝宿、東の出入口 |
「藤岡」(ふじおか) | ・藤枝宿で一番新しい地区 |
源義家(みなもとのよしいえ)が若一王子社の前を通過した際に次の歌を詠んだと言われていて、これが「藤枝」という地名の詠み込まれた最も古い歌だと考えられている。 |
なんと、わが町「藤枝」で「七福神巡り」が出来てしまうことをつかんだ!(◎O◎) 我々「oyatiti特別取材班」は、実際に”藤枝七福神”の取材を敢行してしまったのだ〜!! |
調査したところによると、七福神の信仰は室町時代の末期のころからで、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられたそうな。 特に農民、漁民の信仰として成長し、現代に生き続けてきたらしいです。 七福神のうち、大黒天 毘沙門天 弁財天は仏教出身で、他の恵比寿神・布袋和尚・寿老人・福禄寿についての文献は少なく、布袋和尚・寿老人・福禄寿は、中国の道教、神仙観とされています。 仏教を中心として中国宗教と混合して出現したのが七福神と称されていて、七福神の信仰七種の徳を支配する神として室町の末期ごろから盛んになり、そのころ中国から輸入された思想と、古来より日本で信じられていた俗信と仏教思想とが、入り混じって生じた信仰であると伝えられています。 七福神は「夢まくらに宝船に乗って現われると福が授かる!」といわれ、初夢のための枕下にお札などを入れて、吉夢を見ようとすることが流行ったそうです。 それでは早速"藤枝七福神"をご覧くださいませ〜 |
・・・勝草橋の事について二人で話す機会があった。 |