「あぁ?」
「おう、ねえちゃん。こんなとこで何してんだぁ?」
「てめーらには関係ねぇだろ。放せよ」
「おーおー、こりゃ威勢のいいねぇちゃんだ」
「まぁそう無下にするなよ、めでたい日なんだから。ちょーっと付き合えって」
呂律の回らない舌で酒臭い息とともに吐かれる言葉はとても陳腐で。言葉を発することすら面倒で、鎌之介は無言のまま無理矢理腕を振りほどいた。今度こそ通り過ぎようとするが、長い袖と帯を同時につかまれ、またしても足止めをくらった。
「いいかげんにしろよ!」
「まぁまぁ、そう怒るなって。……ほら、これでいいだろ?」
 男の一人が懐を探って幾ばくかの小銭をちらつかせ、鎌之介の手に握らせた。
「?何の真似だ?」
 脅したわけでもないのに自ら金目のものを差し出すとは、一体どういう了見なのか分からず、鎌之介は眉を寄せる。これはもしや……
「お年玉をもらうようなガキじゃねぇんだけど?」
 鎌之介の発言に二人の男は一瞬黙り込み、その後大笑いした。
「そりゃ、そうだ!ガキじゃねぇから、あげるのよ」
「意味わかんねぇんだけど」
「なぁーに、ちょいと俺たちを気持ちよくさせてくれりゃいいんだ」
「……なんだ。イキてぇの?」
「話が早いね、ねえちゃん」
男のひとりが嬉しそうに頷き、鎌之介の腕を引いて森の奥へと誘う。だが、男の予想に反して抵抗した鎌之介は、その場を動かなかった。
「お前らとはやんねーよ。俺はここで才蔵待ってんだから」
「お?逢引きかい?いいねぇ」
「その男が来る前に、慣らしておいた方がいいんじゃない?手伝ってあげるからさ」
こんな奴ら、肩慣らしにもならないというのに。男の発言に鎌之介は首を傾げて言った。
「だって、お前ら弱そうじゃん。つまんねぇ」
 千鳥足の酔っ払いと殺り合っても、全然楽しめそうにないと鎌之介は思う。
(あ、でも武器は欲しいかも……)
 翡翠の視線が男たちの懐にある短刀を目聡く捕らえた。そう言えば今日はそれこそ『めでたい日だから』と鎖鎌を取り上げられていたのを思い出す。これでは才蔵が来ても思う存分やり合えないではないか。
「んん〜?俺ら、弱くないよぉ〜?案外、ねえちゃんの方が先にイっちゃうんじゃない?」
 胸元あたりに手を伸ばしてきた男を振り払い、そのにやけ面へ鎌之介は思いっきり拳をめり込ませた。後ろへ数歩よろめく男に足払いをかけると、鈍くさそうな身体は簡単にその場に尻餅をつく。
 ――なんだか分からないが、無性にムカついた。他愛のない男の言葉に。
「俺がイクのは!才蔵とやり合ってる時だけだっ!」
才蔵と自分が同等だとでも思ってんのか。滾って興奮して絶叫して血を浴びて殴って傷つけて壊して抉って……その絶頂を、最高の快楽を、弾けるような恍惚を、あっさり、お前らごときがくれるとでも!?
「ぶっ殺す!」
「なっ……!こいつっ!」
もう一人の男が慌てて鎌之介の動きを封じようと両手をつかむが、身を沈めて横へひねるように身体を回転させれば、こちらも簡単に転がった。そのまま立ち上がりもしなければ、向かってくるでもなく、すりむいた肘を痛がっている姿は滑稽ですらあった。あまりの拍子抜けに、鎌之介の殺気は瞬時に削がれる。
「はぁっ……なんだよ、やっぱり弱ぇじゃん」
 男の両目に下駄を食い込ませるように蹴りつけ、そのまま仰向けに踏みつける。もがく男の懐から、お目当ての短刀を抜き取ると、土塗れになったその身体を蹴り飛ばした。
 鞘から抜いてみるとその刀身はきれいに磨かれ、刃こぼれひとつもない新品だった。護身用に持ってはいるものの、使ったことなどないといったところか。
 満足した鎌之介は戦利品を胸元に押し込む。ついでに先程押し付けられた小銭も返してやる理由はないので適当に布の隙間に突っ込んでおいた。
「きっ、きさまぁっ!」
「あ?まだいたの?」
 尻餅をついた方の男が立ち上がり、ぶるぶると震えながら短刀を構えていた。そちらの得物も新品で、一度も使われてはいないような代物だった。
「もう一本、もらっとくか」
 ぺろり、と一度舌なめずりをして、鎌之介は男の間合いに踏み込んだ。
「う、うわあぁぁっ!」
 刀の鍛練も受けたことがないのか、男は短刀を遮二無二振り回す。鎌之介は振袖の長い袖を叩きつけて短刀を叩き落すと、がら空きの男の鳩尾に肘打ちを入れた。
「ふぐっ」
 ひしゃげた声を上げてその場に崩れ落ちる男を蹴り飛ばし……
「え」
 どこにひっかかったのか、振袖を引っ張られ、鎌之介も男と一緒にその場に転がった。冬の空気に乾燥した土埃が舞い上がり、目に染みる。
「痛っ!てめぇっ」
 弱り目に祟り目というものはあるもので。
八つ当たり気味な罵倒と共に拳を見舞えば、避けようとした男が後ろへ倒れこむ。場所が悪かったとしか言いようがないそこは、長い草足に隠れた池の淵。つまりは――
「うわっ」
 池へと滑り落ちる男に巻き込まれ、鎌之介も落下していく。ドボン!というお決まりな水音を聞きながら、鎌之介は頭からずぶ濡れとなったのだった。

「ほら、あったぞ」
「……あ、ありがとう。才蔵」
目の前に差し出された下駄に、少女の顔は一瞬だけ笑顔になったものの、すぐにまた笑みは消える。申し訳なさそうに上目遣いで見上げてくる伊佐那海の手に、才蔵はむりやり下駄を押し付けた。
 ようやく参拝を済ませたかと思いきや、帰路も混雑ぶりは変わらぬままで。転びかけた伊佐那海の片足から、下駄が脱げた。生き物のように動き続ける行列に、その場でしゃがみ込むことなど不可能で、ようよう人混みから抜け出し脇に避けるのが精一杯だった。人のいない松の木の根元に伊佐那海と清海を待たせ、才蔵は下駄を拾いに人ごみの中へと再度戻っていたのだった。苦心の末、なんとか拾えたものの、かなり時間を消費してしまったことは否めない。足を踏まれたり、ぶつかったりで、せっかくの正月の装いがぼろぼろの出で立ちになってしまったことも否定できない。そんな才蔵を見て、伊佐那海がしょげるのも無理はなかった。
「ごめんね、才蔵」
「見つかったんだからいいじゃねぇか。……ほら、とっとと帰るぞ」
 大きく頷いた伊佐那海は、胸元に握りしめていた下駄を足元に下ろし、足を入れようとするが、ビッと布を切り裂く音が鳴る。
「あ」
 見れば、才蔵同様踏まれたり何だりで痛めつけられた下駄の鼻緒が限界を迎えていた。
 再びしょぼくれた伊佐那海を元気付けようと清海が何やら喚いているが、そんなことで鼻緒が元に戻るわけもない。
「才蔵ー。おんぶー」
「冗談じゃねぇ。正月早々、んな恥ずかしい真似できるか!歩け」
 落ち込みからくる甘えだとわかってはいるものの、この人混みの中でそんな目立つことをする勇気はない。伊佐那海のおでこに指を弾いてやれば、案の定その兄が怒り出し、当の妹がそれを諌める……といういつもの図式。
「……しょうがねぇな」
 終わらぬ兄妹喧嘩に舌打ちをひとつして、才蔵は伊佐那海の足元にしゃがみ込む。切れかけていた自分の羽織の紐を引き千切り、そのまま鼻緒の修繕を始めた。応急処置の鼻緒では、歩きづらくなるだろうが我慢してもらうしかない。
 帰るのは、遅くなりそうだな……。
 帰路は清海に任せてもいいが、ただでさえ落ち込んでいる今の伊佐那海は、才蔵が一緒にいないことを不安がるのは目に見えている。才蔵も一旦城へ帰るしかなさそうだ。
 勝手に神社の裏手へと走って行った勘違い馬鹿のことが、ちらりと才蔵の脳裏を横切った。あれから随分と時間が経っている。短気な鎌之介がまさか、まだ待っているとは思わないし、伊佐那海を城へ送っていたら更に時間が経ってしまう。またこの人混みを抜けてこなければいけないなど考えただけでも面倒で、才蔵の思考は都合のいい方へと流れた。
アイツは……放っておいても勝手に帰るだろ。
 修繕された下駄を履いた伊佐那海が顔を上げ、才蔵の腕につかまった。

 ちょっと痛めつけてやればすぐに逃げて行くかと思いきや、意外と諦めない男たちに手を焼いたというのは、鎌之介にとって認めがたい事実だった。男の誇りとか矜持と言うヤツか。自分一人だけならば逃げただろうに知り合いもいるとなれば、先に背を向けるわけにはいかないとでも思うのだろう。へっぴり腰で震えながらも立ち向かってくる男たちに苛立ちを覚えたのも事実。けれど、全然滾れなかった。
着慣れぬ着物はただでさえ動きづらいというのに、水に濡れれば尚更である。そのことも手こずった理由のひとつだろう。
 結局……池に男二人の死体を浮かべて、鎌之介ははぁはぁと荒い息をついていたのだった。
水の流れなど皆無に等しい溜め池に、深い紅色が広がってはすぐに沈んでいく。その合間に波紋を残しつつ、鎌之介は岸へと向かった。男たちの血に塗れた短刀を洗いながら。
「くそ……恥だ」
 たかが素人二人に手こずるなど。
 かじかむ手で鞘に収めた短刀を道へと投げ出した後、濡れた袖をひとつずつ絞って池から上がる。布地の多い着物は水を含んで更に重く、水中から上がればまた更に。何倍にも重くなった身体に疲れを覚えた鎌之介は、小屋を背にして座り込んだ。
「才蔵……遅ぇなぁ」
 空を見上げれば、傾いた日は既に西日と言ってもいい角度にまで落ちている。
「でも、ここでなら……やってくれるって言ったし」
もう少し、待ってみよう。その内服も乾くだろ。
再度振袖を絞り始めた鎌之介の口から、くしゃみが飛び出る。動き回っていた戦闘中には気付かなかったが、一度座り込んでしまえば今の季節を思い出す。尻の辺りから冷えが這い登ってくる感覚に、ぶるっと身体を震わせた。
ちょっと寒い……けど、才蔵待ってねぇとどっか行っちまうし……。
震える指先に、鎌之介ははぁっと息を吹きかけた。
 せっかく待っていたのに、逃げられるのは――いやだ。
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