★01

 かさりと小さな音を立てて、薄水色の便箋が開かれた。お揃いのデザインの封筒は、乱暴に扱ったら壊れてしまうとでも言うように、そっとテーブルの上に置かれる。
「……」
 あまり多くを語らない手紙の内容を追って、青磁色の瞳が静かに動く。
 天井の高い館の一室――と言うには広大過ぎる広さだが――、その中央に置かれた真っ白なテーブルセットに身を落ち着けていたのは一人の少女。いや、「少女」と呼ぶか「女性」と呼ぶか、その中間の微妙な年齢の――姫は、読み終えた便箋を丁寧に畳んだ。労働を知らぬ白い指先が、愛おしげに紙の折り目をなぞる。

「アナスタシア様からですか」
 低い男の声が掛けられる。テーブル横のワゴンで紅茶を淹れていた執事は、湯気を立てるティーカップをそっと少女へ差し出した。
「えぇ。お茶会へのご招待ですって」
 紅髪の少女はテーブルへ置いた便箋の代わりに紅茶を受けとると、香り立つ芳香をしばし楽しむ。淹れ立ての紅茶は茶器の中でゆらりと揺れて、どこか果実のような瑞々しい香りを立ち昇らせる。早摘みの夏茶葉は申し分のない出来上がりで、早速この伯爵邸に届けられていた。一年を通して最も芳醇な香りを放つこの季節の茶葉は、『紅茶のシャンパン』と呼ばれるほどに味わい深い。その贅沢な香りを胸いっぱいに吸い込みながら、姫は口を開く。
「アナも暇なのかしらね。こう毎日雨続きじゃ、仕方ないけれど」
 少女の言葉は、聞きようによっては嫌味とも取れる発言だが、付き合いの長い執事はそれが少女の親愛の情から来る発言だと過たずに受け止める。現に機嫌のいいらしい己の主は、紅茶を一口飲むと、またすぐに便箋を開いて読み始めている。
 雨続きで外に出られず、退屈していたのは貴女の方でしょうに……。
 湧き上がる笑いを隠すため、黒髪の執事はそっと横を向いた。

「楽しみね、ライズ。貴方も久しぶりにアナに会うんでしょう?」
「そうですね、二ヶ月ぶり……になりますか。お供させていただけるのなら」
「あら。もちろん連れて行ってあげるわよ」
 予想外の言葉を聞いた、といった様子で目を丸くした少女は、脇に立つ背の高い執事を見上げた。翡翠色のまなざしがまっすぐライズに向けられる。
「この間のように、酔ってアナスタシア様を困らせないでくださいね?」
 笑いを含んだ執事の声に、白桃のような可愛らしい頬が、ムッとふくれた。
「今度はお茶会だもの!酔ったりなんてしないわ。……ねぇ、ライズ?どうして幼馴染みのくせにアナのこと、様づけで呼ぶの?」
 姫は、ふと気付いたように疑問を口にした。
 思ったことを何でも口にするのは天真爛漫でいいのだが、そろそろ分別も必要な年齢だ。いつまでも少女のままではいられない。それでも、その純粋さを失って欲しくはない――矛盾する自分の望みに、黒髪の執事は口の端に苦笑を浮かべながらも静かに答えた。
「昔の話です。仮にも一国の王女ですよ、彼女は。昔、親しかったからと言って、一介の執事風情が馴れ馴れしくお呼びするわけにはいきません」
「それはそうかもしれないけど」
 ライズの説明が気に入らないのか、姫は不満そうに己の朱髪をくるりと指先に絡めて言った。

 この屋敷から馬車で一時間ほどの場所――『西国』の中心である王宮に、アナスタシアはいる。と言っても彼女は『西国』の王女ではなく、『東国』の王女だ。知識と見聞を広めるための友好留学という形でこちらに来て、半年が過ぎたところだ。留学の期間は定められていない。長丁場になる可能性もあり、隣国の王族を適当な宿に滞在させるわけにもいかない『西国』は、彼女が王宮に滞在することを歓迎した。

 伯爵令嬢である姫と東国の王女は、夜会で顔を合わせたのが最初だった。王女歓迎の正式な晩餐会のあとの少々砕けた夜会――姫にとっては退屈な夜会ではあったが、彼女とて王族の血を引く娘。隣国の王女に挨拶なしというわけにもいかず、父であるカケイに連れられて通り一遍の面通しをして。日焼けを知らぬ透き通るような肌は、東国出身とは思えないほど白かったことを覚えている。

「ライズの昔の話とか、聞きたいのに」
「アナスタシア様から聞いているのでしょう?」
「私は、ライズの口から聞きたいの!」
 飲み干したティーカップを、ずいっと差し出す姫。その子どもっぽい仕草に苦笑しながらも、新しい紅茶を注ぐ。

 執事の言うとおり、姫と王女は夜会以来親しくしている。アナスタシアの語る隣国の話は、好奇心旺盛な姫の興味を誘った。どうやら滅びた北国の血が混じっているらしい彼女は、西国、東国だけでなく北国の話もしてくれた。西国どころか伯爵邸からもあまり出たことのない姫には、彼女の話は空想上の物語を聞くような面白さがあったのだ。

 東国出身のライズと幼い頃はよく遊んでいたそうで、そのことも親密になるきっかけとなった。ライズはその頃のことを全然話してくれないが、女同士の気安さからか、アナスタシアは時々話してくれる。野良犬を追っ払ってくれたこととか、風に飛ばされたハンカチを屋根に登って取ってきてくれたこととか。ライズは東国の王族ではないから(当たり前だ。王族だったら伯爵邸で執事などやっていない)、きっと召使いとして東国の王宮で教育されていたのだろうと姫は思っている。彼の日々の働きぶり、有能ぶりを見ていれば、自己流での傍仕えなどではなく、高度な教育を受けていたことくらいは分かる。
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