★03

「喜べ。お前に縁談だ」
「え……」
 父の待つ部屋へ足を踏み入れた姫は、思いもしない言葉に動きを止めた――。

 姫の父カケイは、『西国』王家の血を引いている。遠縁であるため、王位継承の可能性はほぼ無いに等しいが、第二王子ユキムラとは何かと縁があり、親しくしている。奔放ながらも見るべきところは見ているユキムラは、第二王子という立場でありながらも次期国王の呼び声も高い。そのような男に目に掛けてもらえるのはカケイにとって誉れであり、誇りでもある。また一人の人間として、男として、懐の広いユキムラの人柄に心酔してもいる。カケイが伯爵という表向きの顔とは別に、ユキムラの密偵として動いているのは、彼の地位や名声に踊らされているわけでは決してなく、自身の意志でだった。

 そのユキムラが先日、夜会を開いた。名目は、ユキムラの養子お披露目だ。立場柄、国内外を問わず縁談の多いユキムラだが、何故か全て断っており、とうとう婚姻もせずに養子をもらい受けるという。当然、王城では上を下への大騒ぎだったらしいが、そんなものを気にかける男ではない。いつも通り飄々とした態度で、いつの間にか事を収めてしまった。
 その夜会に参加した折、カケイたち親子はひとりの男へ挨拶に出向いた。隣国である『東国』の第一王子、半蔵――アナスタシアの兄だ。多くの参加者から挨拶を受ける王族との接見は、ほんの数分。当然、人柄など窺えるはずもなく、長身でなかなかの美男子だというくらいの印象しか残っていない。人当たりは悪くなかったが……。

 その男が、姫を見初めたという。

 夜会でも言葉を交わしたのはカケイのみで、姫は脇に控えていただけだ。向こうも姫の人柄は分からなかっただろうが、王族ならば顔も知らぬ相手との結婚など普通にまかり通っている。面識があるだけまだマシな話と言えよう。
 その半蔵から伯爵家に、今日、正式に求婚の申し入れがあった――。その書面を見ながらカケイは娘に伝える。
「相手は東国の第一王子、半蔵殿だ。よい話だと思うぞ」
「……」
 呆然としたまま父の言葉を聞く姫は、何も答えられない。無意識に伸びた白い手が、救いを求めるように古びた髪飾りに触れる。
 戸惑いが姫の胸を支配した。今の今まで思い出しもしなかった男と結婚……?現実味のない話に戸惑う以外にどうしろと言うのだろう。
 そもそも自分の心はとうに決まっている。ライズ以外の誰かなど、考えられない。考えたこともない。まだ、父には伝えていないけれど――。当たり前だ、召使いに過ぎない執事となど……身分違いの恋など、堅物なこの父が赦すはずもない。
 いつかはきちんと言わなければならないことだけど、安寧の日々に流されて。今のままの生活など永遠に続くはずもないのに、心のどこかで気付かない振りをしていた。その見返りがこれか。
 己の甘えを悔やみ、ともすれば俯いてしまいそうな顔を必死に抑え、少女は搾り出すように声を上げる。
「私……イヤ、よ」
「有り難い話ではないか。相手は第一王子だぞ?何を迷うことがある」
「変だわ!他国の王族が、何故一介の伯爵家の者を……」
「お前には西国王家の血が流れているであろう!」
 姫は遠縁とは言え、王族に連なる者だ。他国の王族からの縁談も、不思議な話ではない。
「でも!第一王子って……東国へ嫁げと言うの?」
 半蔵は、順当に行けば次期国王となる男だ。その男の元へ行くということは当然、東国へ行くということで、それはつまり東国の王妃となることでもある。庶民の娘ならば夢物語のように思う話かもしれない。けれど、西国から出たことのない姫は、突然の話に不安というより恐怖すら感じる。

 カケイは父として、なかなか縁談のなかった娘を案じていた。西国の狭い上流階級では、忌み嫌われる朱髪と刺青を持つ姫が嫁ぐことなど無理ではないかと感じてもいた。だが、東国ならば……。違う土地へ行けば、偏見や好奇の目に晒されることなく、姫も幸せに暮らせるのかもしれない。そう信じたいのは親の欲目か。
「東国でもよいではないか。幸せになれるのならば」
「……父様は、私を厄介払いしたいだけじゃないの」
「何を申すかっ!これはお前にとっても良い話だ!何故分からぬ!?」
 カケイの怒声が部屋中に響き渡った。張り詰めた空気と沈黙が場を支配する。
 伯爵は心から娘を心配しているのだが、元来の口下手のせいでうまく言葉を選べない。伝わらぬ思いにもどかしさと苛立ちを募らせ、それはそのまま厳しい口調となって娘にぶつけられてしまった。

 姫は姫で――冷静さを欠いた今、そんな父の心中など推し量れるほどの余裕はない。
 王族からの求婚を一介の伯爵家には断れないのだ、父はただ身分や世間体を気にしているだけなのだ……と姫は誤解する。貴族たちの間で忌み嫌われる自分を、体よく追い払うために――。
 じわりと目の端に滲む雫を堪え、姫は叫ぶ。
「私、東国へなんか行かない!」
「わがままを申すな!お前のためだと言っているだろう!」
「違う!私は……っ」
「もう良い!とにかく!先方には改めて挨拶に行くから、心しておけ!」
「父様!」
 激昂した伯爵は姫の言葉を遮ると、足取りも荒く部屋を出て行く。取り付く島もないその背中を見送って、姫は唇を噛む。わがままではなく、ただ、自分の話を聞いて欲しかっただけなのに。

 『私は、ライズがいい』――言えなかった言葉は、行き場をなくして胸に落ちる。水底に沈む澱のように。
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