★04 宵闇に沈む西国王宮の庭園には、まばらに灯された外灯が柔らかい明かりを投げかけている。広大な敷地の中にある西の館は、国王マサユキの次男であるユキムラが居する一角だ。その白亜の館を背景に、外灯に照らし出されるのはバラの咲く庭。ユキムラ専属の庭師がよく手入れしているこの庭は、四季折々の花が絶えることなく咲き続ける。今時分は色とりどりのバラが競い合うように咲き誇り、華やかな芳香を辺りに漂わせていた。 黒い人影がふたつ、庭の緑に落ちる。外灯に照らされた一組の男女は、目的などない夜の散歩でも楽しむように、ゆっくりと歩く。長外套を纏った長身の男が、口を開いた。 「そなたの兄が、我が国の者に求婚したそうだな」 「えぇ、そうみたいね。私も突然のことで、びっくりしたわ。伯爵家の姫だそうね?」 事前に何も聞いていなかった、という口ぶりで女――アナスタシアは答える。西国に留学中のアナスタシアは、本国である東国と連絡を密に取れる環境ではないのは事実だった。もっとも、兄である半蔵は政治的なことも自身のことも、腹違いの妹にわざわざ教えてくれるような優しい性分でもないのだが。 「カケイのところの姫だ。確か、お主とは懇意にしていたのではなかったかな?」 「えぇ。次のお茶会にもご招待してあるわ。表情がころころ変わって、可愛い子ね」 「少々お転婆だが、芯の強い良い娘だぞ。ワシももう少し若ければのう」 女好きと巷で噂されている男は無精ひげに手をやり、へらへらと笑う。だらしなさを装っているが、実は頭の切れる男だということを、アナスタシアは知っている。自身に絡む結婚問題を『養子をとる』という形で丸く収めてしまったのだから。次期国王と囁かれるユキムラに擦り寄る輩は後を絶たない。それは主に伴侶という形を持って。だが、子どもがすでに居れば、妻の意味などほとんどなくなる。貴族たちはこぞって自分の娘たちをユキムラに娶らせたがったが、その誰にも角を立てることなく収めた手腕に舌を巻いた者も多かっただろう。 「そんなこと言って、どうせ今宵もベッドに女を侍らせているんでしょう?」 するりとユキムラの頬を撫でていく女の手。滅びた北国特有の白く細い指先に陥落しない男はいない――唯一人の例外を除いて。 「さて、どうかのう?」 口辺を上げたユキムラは、アナスタシアの煌く髪に触れるかのように手を伸ばして……その背後に咲く花を一輪摘むと、そっと金色の髪に挿した。 これで我慢せよ、というように。 蠱惑的な笑みを佩いていたアナスタシアの口元が、何かに引き戻されたようにキュ、と窄まった。 「……何よ、コレ」 花を飾られた美女の口から不機嫌な声が思わず漏れる。白い手が、自身の髪に埋もれる花びらに触れた。 薄ピンク色のバラは、夜闇の蒼を帯びて金糸の川に咲く。その幻想的な色合いにユキムラは目を細めた。 「四季に移ろう色とりどりの花は、絶えずこの目を楽しませてくれるものよ。どの花も美しく、目移りしてしまうわい」 映えるのう、と満足げにうそぶく男にアナは苛立つ。 こちらの言いたいことなど分かっているくせに、のらりくらりと……! みっともなく縋るような言葉が口をつく。 「一人に決めないの?あなたのお兄上はすでに結婚なさったのでしょう?」 なら、あなたも――! 「おぉ、兄上は義姉上と仲良くやっておるようだぞ。兄上に任せておけば、この国は安泰。おかげでワシは適当に遊んでおられるよ」 アナスタシアの言葉をまたしてもはぐらかし、男は豪快に笑う。 「優秀な養子をとったし、跡継ぎも問題ない。ワシは、遊んで暮らせればそれでいいからのう」 「……」 無責任に聞こえる言葉とは裏腹に、堅実な政治を行っていることを知っている。気安い性格から、庶民にも親しまれていることも。 そうして人を惹きつけておきながら、肝心なところへは届かせない。届かせてくれない。 そのもどかしい残酷さに、アナスタシアは沈黙するしかなかった。 「風が、冷えてきたな」 揺れる庭木のざわめきに、ユキムラは脱いだ長外套を薄着のアナに羽織らせる。剥き出しの肩に触れた指が思いの外熱くて、アナスタシアは顔を上げた。 「ユキムラ……!」 責めるような問いかけるような言葉は、続かない。アナスタシアの湖水色の瞳に映るのは、去っていくユキムラの後姿。そしてそちらで主を待つ執事、ロクロウが静かに庭の隅で控えている姿。決してこちらを振り返ることのないその背にアナは唇を噛む。 気遣ってはくれる。大事にしてくれる。やさしくしてくれる。 けれど――抱きしめてはくれない。 包んでくれるのは、その腕じゃなく、ただの抜け殻である長外套――。 その虚しさを抱えて、アナスタシアは交差した両腕でぎゅっと己を抱きしめた。 この微かなぬくもりにさえ、心の氷を溶かされてしまいそうで。 あなたの言葉が、やさしさが、残り香が、私を変えてしまいそうで。 それを望んでいるのか、畏れているのか――。 さざ波のように揺れる心を持て余し、アナスタシアは唇を噛んだ。 |
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