★05

 柔らかい光を投げる外灯が白亜の館を照らしていた頃。対照的に暗く闇に沈んでいる建物もある。王宮から西へ馬車で十分ほどのところに、古ぼけたひとつの教会があった。寂れてはいない。無人でもない。経年により傷んだ建物はあちこちひび割れているが、不器用な補修のあとが見える。その一角には蝋燭の小さな明かりがこぼれる窓もひとつ。きっと質素な部屋では、仲の良い兄妹が就寝前の穏やかなひとときを過ごしているのだろう。
 そのやさしい明かりを横目に、黒一色に身を包んだ影が庭を動く。連日の雨にぬかるんだ足元も意に介さぬように、迷いのない足取りで進んでいた。目当ては、裏手にある楡の大木。狭い敷地はすぐに端へと辿りつき、黒い影は葉の茂る枝を見上げた。

「遅い」
 葉の陰から、小さな――それでいて僅かに苛立ちを含んだ声が落とされる。姿の見えない声の主に、黒い影は小さく笑った。深く被っていた外套のフードを下ろして、端正な顔を改めてそちらに向ける。
「申し訳ありません。出掛けに手間取りました」
「時間、守れ」
「申し訳ありません」
 黒い影――ライズが再度謝罪する間に、楡の木からもうひとつの影が静かに滑り降りてくる。教会の裏手には窓の明かりすらも届かぬというのに、その動きに危なげなところはない。二人の男は無骨な大木に張り付くように身を潜めると、小声で会話を始めた。
「……それで、結果はいかがでしたか?」
「調査、継続中」
「……現時点での結果で構いません」
 確実なことは言えない、と遠回しにほのめかす相手に、ライズは容赦なく切り込んだ。簡単に引き下がらないライズに、もう一人の男は沈黙する。迷っている様子の男に、ライズは畳み込む。
「お願いします」
「信憑性、保証しない」
「分かっています」
 ようやく口を開くつもりになったらしい話し相手は、ユキムラのお抱え庭師であるサスケだった。白亜の館周りの木々や花は全て彼と彼の部下が整えている。だが、優秀な庭師の顔のほかに、彼はユキムラの密偵としての顔ももっていた。素早い身のこなし、鷹のような視力、警戒心を抱かせないやさしげな風貌、高い戦闘力――どこをとっても密偵として優秀と言える人材だった。サスケは様々な場所に潜伏し、主であるユキムラへ情報を持ち帰る。政敵や反乱分子はもちろん、東国や南国など他国の動向も。
 その莫大な情報量をあてこんで、ライズはひとつ依頼をしていた。東国の第一王子、半蔵の調査を――。

「お前、本当に半蔵と面識ない?」
 まずは確認事項とでも言うように、サスケが小声で問う。それも当然だろう。ライズは東国、しかも王宮にいたことがあるのだから。
「私は別棟の方で寝起きしていましたから」
 ライズは当時、王女アナスタシアの館で暮らしていた。同じ王宮内とはいえ、中枢ではない。北国の血が混じるアナは妾腹ということもあり、直系王族が暮らす館とは隔離されていたのだ。別棟で誰にも会わないようにひっそりと暮らしていたアナが、半蔵たちと顔を合わせたのは年に数回。半血縁である彼女ですらその程度だった。そこで躾けられていたライズが半蔵の顔を見る機会など皆無である。除け者にされている王女を気遣って、直系王族の話題すら憚られる雰囲気の別棟では、彼らの噂話さえ耳に届かない。
「……今のところ、素行、何も問題なし。問題あれば、ユキムラ様、黙ってない」
 サスケは不承不承といった体で報告を始める。乗り気でないのが丸分かりな態度だ。そもそも今回のライズの依頼は個人的なもので、ユキムラの命ではない。主はユキムラ唯一人と決めているサスケにとっては、不本意極まりないのだ。それでも一応頼みごとを聞いてやるのは、元来の優しい性格の上に、実力は認めるこの男に一目置いているからである。

「問題なし、ですか……」
 サスケの返答にライズが眉を寄せて唸る。醜聞の多い王族など珍しくもないが、逆にひとつもないというのも胡散臭い。
ユキムラが遠縁にあたる姫を可愛がっているのは知っている。(当の姫の方は、と言えば『メンドクサイおじさん』という評なのだが……)そのユキムラが此度の縁談に何も言及しないところを見ると、文句のつけようのない相手なのだろうということくらいは推測できた。だが、何かひとつでも引っかかるところがあれば、この話を白紙に戻せるのでは……という淡い期待があることを否めない。
「もう少し丁寧に教えていただけませんか」
 食い下がるようなライズの言葉に、サスケが嘆息したのが分かった。それでも親切な庭師は小さく語り出す。
「政治的な面では、有能且つ理性的。冷酷との評もあるが、一部」
「どういうことですか?」
「数年前。内部抗争。反乱分子の鎮圧、惨を極めた」
「あぁ……」
 確か、王位継承の問題でお家騒動があったことをライズは思い出す。次期東国王として至極順当な第一王子という立場の半蔵に異を唱えた貴族がいた。その愚か者は、国王家康も参加する夜会で半蔵を狙って刀を振り回し、大勢の目の前ですぐさま切り捨てられた。ここまでならいかにもありそうな事件のひとつだが、問題はこの後である。狙われた第一王子は報復として、この男に類するものまで皆殺しにしたという。家族、係累は言うに及ばず、召使いとその家族、知人、友人から、男の城へ品を卸していた食料品店の店主まで。
 見せしめという意味も含め、第一王子暗殺を企てた者の処分として妥当だという意見が大勢を占める中、やり過ぎという声も囁かれた。
 その反面、一年前に事実上亡国となった北国の難民を受け入れ、住む場所を無料で用意し就職先を斡旋するなど迅速且つ的確な指導力に感謝する者も多いという。

「従順なものには富を、反抗するものには死を、というわけですか」
 ライズの言葉にサスケは無言で頷く。何も言わないが、暗闇に浮かぶその難しそうな表情を見れば、半蔵の行為を快く思っていないのは見て取れた。
 人の上に立つ指導者が、きれいごとだけで生きていけるわけがない。何がよくてどれが駄目なのか、判断する権利は王族が持っている。まして二人は西国の人間だ。東国の半蔵が己の国民に下した処分が妥当かどうかなど口出しできる立場ではない。
 だが、今は姫の将来がかかっている。もし、縁談を、半蔵の申し出を断れば……
『反抗するものには死を』――己の放った言葉が、不吉な幻影とともにライズの胸に突き刺さる。

 黙り込んでしまったライズにサスケは少しだけ痛ましそうに目を細めたが、敢えて事務的な口調で話を再開する。
「遊興せず、金遣い荒くもなし。夜会にはよく顔を出すが、酒強し」
「……酒豪?酒癖は?」
「酒好きでもない。酒癖問題なし。煙草吸わない。女性関係もトラブルなし」
「趣味は?」
「不明。狩猟、乗馬などは誘われれば乗る程度。ただし、腕前はどれも一級」
 仕事は有能で、遊びに耽るわけでもない。それでいて人付き合いも悪くなく、貴族たちの評判も上々。言い寄る女性も多いだろうに、問題を起こしていないところを見ると、うまく立ち回っているのだろう。
 聞けば聞くほど鉄壁の城塞を思わせる半蔵のプロフィールに、ライズは溜め息をついた。これでは縁談を白紙にできるほどの隙がない。思わず苦々しげな口振りになってしまったのは仕方ないだろう。
「非の打ち所がないですね」
「アラ探し、したいのか?完璧な人間、いない」
「……」
 サスケの尤もな言葉に、ライズは再び黙り込んだ。
 些細な欠点など、誰にでもあるだろう。小さな糸屑を見つけるかのように、他人の欠点を探し出すことに何の意味があるのか。
「お前、縁談認めたくないだけ。違うか?」
「私は……」
 半蔵が本当に姫にふさわしい男なのかどうか確かめようと――途中まで口に出た言い訳を、ライズは飲み込んだ。姫のせいにするなど、あまりにも見苦しい。
 縁談を嫌がる姫のためと思いつつ、この話を受け入れることができていないのは、自分の方だ。
 糸屑のような小さな汚点を見つけて、この男はダメだと、そう言いたかっただけなのだ、自分は。最初から否定する気で相手を見れば、冷静な判断などできやしないのに。
 無意識に相手の非を探していたことに気付き、そんな自分に嫌気がさして、ライズはらしくなく、がしがしと乱暴に髪をかきむしった。

「――私は、醜いですね」
 執事は自嘲気味に呟いた。本来ならば、只の使用人が主の縁談に口出しなどできない。姫がこの話に応じれば、喜んで送り出さなければならない立場なのだ。なのに当の姫が嫌がっていることを口実に、自分の希望もそれに重ねてしまうなど。
 苦悩するライズに、サスケはやさしく言い諭す。
「否。愛着するもの、大切。でも……」
 一旦言葉を切ったサスケは、まっすぐにライズを見て言った。
「相手の幸せ、一番大事」
「……全く、その通りですね」
 自分の愛着と、相手の幸せと……比べるまでもない。どちらが大切か、などと。
 そして。只の執事と、次期国王となる第一王子と……比べるまでもない。どちらが幸せになれるか、などと……。
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