★09

 王族相手に立ち話をするわけにもいかず、挨拶もそこそこにカケイは先立って半蔵を奥へと案内する。扉の向こうは吹き抜けのホールになっており、重そうなシャンデリアが吊るされていた。左手には二階へ向かう階段が優美な曲線を描いている。その反対側へとカケイは半蔵を案内した。そちらには、昼食会の会場となる広間がある。
 伯爵と王子の後に、王子の従者や伯爵の使用人たちがぞろぞろと移動するさまを、翡翠色の瞳がそっと物陰から見下ろしていた。「姫はどうされました?」「支度に手間取っておりまして……」という会話が薄く聞こえ、煌く翡翠色が細められる。
 瞳の持ち主――姫は、二階にある一室からホールの様子を窺っていた。ドアを薄っすらと開け、絨毯に腹ばいになるというあまり行儀のよろしくない格好で、隙間からのぞいていたのだ。全室個室のこの料理店の一室を、今は支度部屋として使っている。
 夜会で一度だけ会ったことのある男、東国第一王子の半蔵。顔など覚えていないし、そもそも断るつもりの縁談だ、興味もない。それでも、姫の視線が正装している半蔵を追っているのは――その腰に王族の証である短剣が飾られていたからだった。あの短剣には見覚えがある。親しくさせてもらっているアナスタシアも同じものを持っていた。アナはその短剣を身につけるのではなく、壁に飾っていたが。
 何かいわくつきの品なのかしら?今度、アナに聞いてみよう……。
 半蔵の姿が通路の死角へ消える頃、ようやく姫は絨毯から上体を起こした。その耳に情けない侍女の声が聞こえてくる。
「姫様ぁ〜……早くお召し替えしていただかないと、怒られちゃいますよぅ……」
「知らないわよ。ライズを呼んで来てって言ってるじゃない」
「ライズ様はあの場を離れるわけにはいきませんよ〜」
 背後で侍女が落ち着きなくウロウロする気配がするが、姫は頑として部屋の中を振り向かなかった。
 今回の顔合わせを中止にするよう間際まで駄々をこねた姫は、半蔵到着までに支度が間に合わず、新人の侍女と二人、支度部屋に残されているのだった。
 こうなったらライズが来るまで意地だ。てこでも動かない!とばかりに床に座り込んだ姫に侍女は音を上げる。何か姫の気が紛れるものはないかとあたりを見回して。
「あ……そうだ!姫様、今のうちに軽く食べておいた方がいいかもしれません!」
 昼食会であまりがつがつ食べてちゃ下品ですものね〜と、どこか抜けている侍女は悪気なく言う。まるで姫がいつも意地汚いみたいではないか。
ムッとするが、確かに昼時なため空腹を感じる。言われてしまえば余計にそう感じるだけかもしれないけれど。
 半蔵の後をついていく使用人たちに紛れたライズの背を目で追いながら、姫は顔の横に差し出された皿へ適当に手を伸ばす。よく見もせずに指先がつまんだそれを適当に口に入れ……すぐに吐き出した。
「ぷっ……何よ、これっ!」
「へ?ただのドライフィグですけど……」
「これは嫌いだって言ってるでしょうっ!――もういい!ライズを呼んで!呼ばないとここから飛び降りてやるわよ!」
 乾物を侍女に投げつけると、姫は窓際に走り寄りバンッと窓を開けた。腰の高さにある窓枠に、ガッと片足をかけてみせる。
 す、すみません〜!と涙声の侍女は慌てて皿を放り出し、部屋を出て行く。さすがに自分の手には負えないと思ったのだろう。
 ようやく一人になりホッとして息をつく。
 ……ライズなら、絶対に私の嫌いなものを用意したりしないのに!
 何もかもがうまくいかない――そんな想いに囚われて、姫は乱暴に朱髪を掻きあげた。



 
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