★10


 昼食会という名の顔合わせは、この店一番の広さを誇る大広間で行われる。三十人は余裕で収容できるこの部屋は、この店一番の豪華な空間でもある。庭が見える大きな窓は東と南の二面に設けられ、晴れた日には明るい日差しを取り入れるのだろう。今は残念ながら、空を覆う黒雲と、静かに降る小雨を映すばかりだが。代わりに明かりを投げかけるのは、天井の大きなシャンデリア。職人に作らせた名品は華美過ぎず、派手過ぎず、実直な伯爵のお眼鏡に適う一品だ。そんな主人の好みを反映してか、室内の調度品は全てアンティークで、使い込まれた風合いが何とも言えぬ重厚さを生み出していた。

 社会的な経済情勢の雑談を交わしていたカケイと半蔵は、室内の扉が開けられる音に同時に口を閉じた。長身の執事を後ろに従えた少女が、硬い表情で扉の中央に立ち竦んでいる。半蔵は素早く椅子から立ち上がり、にこやかな笑みを浮かべながらそちらへと歩を進めた。
「これはこれは、姫。夜会以来ですね。今日も一段とお美しい」
「……」
 姫は無言のまま相手を見上げた。緊張のためか長手袋に包まれた両手が、持ち上げたドレスの布を強く握りこんだ。
「姫」
 背後から嗜めるように囁かれた声に、姫は両手を緩めた。緊張が解かれたからではない。どこまでも忠実な執事が、ドレスの皺を気にしていることが分かったから。
 自分が着付けた『作品』だものね……。
 自嘲気味に姫は笑みを浮かべた。執事が選んだドレスは、初夏にふさわしい淡い緑色。その上から白のシフォンを重ねてある贅沢なものだった。胸元と腰あたりにはバラの造花があしらわれ、さながら小さなローズガーデンのようなドレスは、それ単体でもまるで芸術品。だが姫が袖を通せば、彼女の燃えるような朱髪は一輪のバラとなってその庭を完成させるのだった。
 そつのない執事の選択に異論はないと言うか、ドレスなど何でも良かった。東国王子との婚姻など、する気はないのだから。
 着付けに関して姫の出した希望はただひとつ――『左目』を曝け出すこと――。その要望に従って、朱髪は大きく結い上げられていた。夜会では髪で隠しがちな刺青に、半蔵が気付いていたとは思えない。今日、顔面に走るこの刺青を初めて見てどのような反応をするだろうか。王族ならばあからさまな表情は浮かべないだろうが、大抵の人と同じように嫌悪するだろう。それを理由にあちらから破談にしてくれれば良し、そうでなくとも一族伝統の刺青を否定する者になど嫁げない、と突っぱねるだけだ。

「……大抵の殿方は、この赤毛と刺青を嫌うのですけど、貴方はいかがかしら?」
「姫っ!」
 挨拶もなしの不躾な物言いに、カケイが眉を吊り上げる。礼節を重んじる父には赦しがたい行為かもしれないが、そもそも破談を狙っている姫は気にしない。勝気な翡翠色の双眸が、まっすぐ東国の王子を見据えている。
 半蔵は突き刺すような視線をものともせず、にこりと笑って言った。
「あぁ、そんなことですか。私は気にしませんよ」
「気にしない?皆、くすんだ赤毛とバカにするわ」
「それを言うなら、私もよく似た赤毛ですからねぇ」
 己の長い髪を見せ付けるように弄いながら、半蔵は表情を変えずに言う。どこか茶化したような態度に苛立ちを覚える姫。殊更に険のある物言いになってしまったのは仕方ないだろう。
「刺青は?」
「確か一族伝統のものでしたよね?いいんじゃないですか?格があって」
「……」
 一介の伯爵家の伝統などを隣国の王族がよく覚えているものだ、と皮肉が口をつきそうになるが――結局、何も言わないまま赤い唇は閉ざされた。
 小さく胸が痛んだことを、認めなくてはいけないだろう。誰もが嫌悪する刺青と赤毛。表立って口にされなくても、幼い頃から忌避の視線を向けられれば、目の前の人が本心でどう思っているのか分かるようになってしまった。そして今、目の前の王子は確かに姫に対して嫌悪の感情を抱いていない。
姫の刺青と赤毛を認めてくれたのは、ライズに次いで二人目だった。けれど、姫の直感は警鐘のような違和感を伝える。
 なんだろう?何かが違う。ライズとは、どこか違う。言葉に滲む……色のような、温度のようなもの?
 違和感の正体がつかめず戸惑う姫は言葉に詰まり、無言のまま王子を見上げていた。にこにこした半蔵が言葉を重ねる。
「そんな些細なものは、どうでもいいじゃないですか。ね?」
「……!」
「姫。席に着きなさい」
 カケイの言葉を受けて姫をエスコートしようと手をとる半蔵から、手を振り払った。

「どうしました?姫」
 穏やかな声に何故か背筋がゾクリとし、姫の足は無意識に半歩、後ずさった。
 ――違う。この男は、ライズとは違う。
 赤毛や刺青が「どうでもいい」のではない。
 姫の存在そのものが「どうでもいい」のだ。
 ライズのように、ひとりの人間として姫を認めてくれているわけではない。刺青も赤毛も全て含めてあなたなのだと、そう言ってくれたライズとは違う。そう気付いた。やさしい声音も穏やかな笑みも、全て作り物。必要があるから見せているだけで、そこに心はない。
 西国王家の血筋、伯爵家の娘……そうした姫の立場が欲しいだけだ。伴侶という形で。西国との繋がり、足がかりを得られれば、姫は『用済み』になるのだろう。
 例えば、姫に姉妹がいたら。きっとこの男は言うだろう。「どっちでもいい」と。
 何も姫個人のことなど見てもいない。見ようともしない。恐らく、これからも見ないだろう。
 心を通わせることすらできず、ただ鳥籠の鳥のように飼われるだけ。
 そんな男に嫁いで……幸せになれると?
 一度固く瞑った目を姫はゆっくり開けると、目の前に立つ長身の男をまっすぐ見据えて言った。

「私、貴方との結婚はできません」


 
HOMEへ ノベルへ
次へ