★12


 結局、姫は昼食会を中座した――。
 今日は顔合わせという話だったのに、すでに結婚を前提としてことを進めてしまうカケイと半蔵に、何をどう言っても無駄だったのだ。話せば分かってもらえると思ったが、堅物な父と強引な王子を相手どって、交渉ができるような器用さはない。どうしたらいいのか皆目分からず、やはり強引に逃げ出すしかないのかと姫は溜め息をつく。
 揺れる馬車の小窓についた藍色のカーテンをそっと押し上げてみる。外は暗く、雨粒が張り付いた窓ガラスには憂鬱そうな己の顔が映るばかりで、外の景色は見えない。気を紛らわせるものは何もなく、姫は諦めてカーテンを戻した。

 伯爵家へ帰る馬車には、ライズだけを供に連れている。中座する自分を気遣う振りをして自分の使用人に送らせようとした半蔵の申し出は、きっぱり断った。カケイも半蔵も今頃は式の日取りや内容まで話し合っているだろう。当人がいなくても進められる儀式に、一体何の意味があるというのか。
 屋根をたたく雨音が激しくなり、姫は顔をあげた。ひどくなってきた雨の中、御者は大変だろう。スピードが少し緩んだようだ。早く屋敷に帰りたいが無理は言えまい。手持ち無沙汰にドレスを弄う姫に、向かいに座る執事が声をかけた。
「気分が優れませんか?姫」
「……そうね」
 誰のせいだと。半ば八つ当たり気味にそう思う。昼食会の場でもライズは完璧な召使いとして振舞っていた。動揺もせず、一切の感情を押し殺した態度で。あまつさえ、姫と半蔵の結婚を祝福すると、冷静に言ってのけたのだ。だからこそ王子も父も姫の言い分に耳を貸さず、姫の言葉をただの空想、絵空事として扱った。
「ライズは、どうして……」
「私はただの執事です」
「……」
 先回りするように言われてしまえば、もう何も言えなくなる。召使いとしての一線を引こうとするライズの立場は分かる。けれど、肝心のライズにすら見離され、孤立無援になったようで、姫の気分はどんよりと落ち込む。
このまま、諦めてしまえば楽になれるのかもしれない……。ライズの言う通り、ただの夢物語だったのだと思えば。
 半蔵は、ライズも一緒に来ればいいと言った。少なくとも引き離されることはないのだ。今まで通り、ライズは傍にいてくれる。それだけで我慢すれば……。でも……。

 思い悩む姫に、執事は傍らの箱を取り出した。赤いリボンを解けば、半蔵から贈られた靴が現れる。
「気分転換に、履いてみてはいかがですか?」
「……」
 迷いながらも、姫の足元に差し出された執事の手に促されるまま足を乗せる。やさしい手つきで履かされた赤い靴は、姫の行きつけの店で作らせたと言うだけあって、それは悔しいほどにピッタリだった。窮屈なところはないし、姫の好きなバラをモチーフとしたデザインは確かに姫の好みだった。それでも素直に褒めるのも何だか癪で、どこかあら捜しをするように姫は憎まれ口を叩いた。
「走りにくいわ、こんな高いヒール」
「お似合いですよ。王妃となるお方が、いつまでも子どものように走り回っていてはいけません」
 そもそもドレス姿で走る淑女がどこにいますか、と執事は小言を続けた。
 別に走りたいわけでもないのだが。姫がいつも低いヒールを履いていたのは、背の高さを気にしているからだ。女性にしては高い身長を痩せた身体が殊更に強調して、棒のようだと陰口を叩かれたこともあった。
 それでももう、無理をして大人っぽい高いヒールを履かなければいけないのだろうか……。
 脱いだ靴にそっと手を伸ばす。少し色褪せたそのヒールは、半蔵のくれた靴の半分ほどの高さで。「要らない」とすぐに切り捨てることもできず、靴を胸元で握り締める。これは、ライズと一緒に買いに行った靴。ヒールの低いものを揃えておくように、靴屋へ事前に申し付けていたことを知っている。そのさり気ないやさしさが、私の日常だったのに!それを捨てるなんて、できない。
「私、やっぱり……」
「うわぁ!」
 言いかけた姫の言葉は、御者の叫び声に掻き消された。がくん!と大きく揺れる馬車に座席から投げ出された姫をライズは腕の中に庇う。しばらく蛇行した馬車は幸い横転することもなく止まり、ライズは単身外へと飛び出した。
「何事です!?」


 
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