★13

 御者台には、見知らぬ黒尽くめの男がひとり立っていた。蹴り出されたのか、御者は道端にうずくまったまま動かない。その身体を激しい雨が容赦なく叩いていた。
 ――敵襲、と悟ったライズの目が険しくなる。御者台の上の男は、抜き身の剣を片手にしたまま馬車の向こう側へと飛び退る。反射的に追いかけようと足を踏み出すが、死角から放たれた攻撃に、ライズは勘だけで足を振り上げる。
 ――ひとりではない!?
 相手の拳を蹴り上げ、弾き飛ばされた敵の剣は、馬車の扉に突き刺さった。丸腰になった相手に追撃をかける。拳を交える間もなく鳩尾に一撃を静めて黙らせると、ライズは護身用の短剣を懐から抜きながら、辺りを見回した。雨で気配を辿りにくいが、黒尽くめの影が四つ、水煙の中に浮かんで見える。馬車の後ろへ回った男も含めて、敵は恐らく五人だろう。いなせない数ではない。水を含んでうなじにまとわり付く長い髪を片手で後ろへ払って気を張り詰める。
 様子を窺っていた男たちが動くかと思われたとき、馬車の扉が開いた。殺気の漂う雨の中、場違いに華やかなドレスが現れた。
「……っ!姫、危ないですから!」
 主に気付いたライズは肩越しに叫ぶ。
 執事は馬車へ戻れと言うが、姫は聞く耳をもたない。何もせずにじっとしているなどできるわけがない。
「馬鹿にしないで。私だって戦えるわ!」
 姫は扉に刺さった剣を抜き、横合いからライズを狙おうとした相手に下から振り上げる。服のみをかすっただけだが、迷いのない剣筋に敵は怯んだ。舌打ちをひとつ零した敵だが、姫には反撃せずに傍らの執事へと再び攻撃を仕掛ける。間合いに躍り込んだ姫は、かろうじてその剣を受け止めた。大剣で大上段から斬りかかる相手に、ライズの持つ短剣ひとつでは心許ない。敵を倒すことはできなくても、彼を守る盾くらいにはなれるのだから。
「この……っ」
 雨に滑る剣を姫は必死に押さえるが、水を含んだドレスも、履き慣れない靴も、支える足元を危うくする。ぐらりと揺れた華奢な身体の脇を、ライズの放つ剣先が通り過ぎた。
「!」
 姫と対峙する敵の心臓を一撃で捉えた短剣は、すぐに引き抜かれる。噴き出した鮮血は叩きつける雨に打たれ、すぐに色を亡くしていく。生気を失った男の身体はその場に崩れ落ちた。撥ねた泥と雨水、そして薄まった血が、薄緑色のドレスの裾を汚した。
「姫、そこの教会へ!」
 突き飛ばすように押しやった姫の手から大剣を奪うと、ライズは次の敵と切り結ぶ。甲高い金属音が雨音の中に響いた。
「ライズ!」
 武器を取り上げられたことに姫は抗議の声を上げるが、ライズは振り向かない。姫を守るように敵の攻撃を防ぎ、近づけないように剣を振るっている。
 ……このままではライズの足手まといになってしまう。
 唇を噛み締めた姫だが、武器がなければ己にできることはほとんどない。じり、と小さく後ずさりすれば、ぬかるんだ土道に赤い靴が花のように咲く。
「行くわよ、ライズ!」
 ドレスの端をたくし上げて、姫は教会に向かって走り出す。途中、道端で頭を抱えて震えている御者と目が合ったが、何も言わずに走り去った。助かりたいのなら自分で動くことだ。自力で起き上がらない者まで面倒を見てはやれない。
 ばしゃばしゃと水飛沫を上げながら、姫は走った。

「……」
 牽制の刃を男たちに向けたまま、ライズは遠ざかる姫の後姿をちらりと目で追った。道端の教会へ向かって一直線に走る背中が水煙に消えていく。忠実な執事が一緒についてくると信じて疑わない姫に、ちくりと胸の奥が痛みを覚える。
 もう、その手は離したというのに。
 未練がましい思いを断ち切るように、眦を険しくしたライズは男たちに向き直る。黒尽くめの男たちは姫を追っていくかと思ったが、誰ひとりとしてその場を動かない。つまりは、
「狙いは、姫ではない……ということですね?」
「……」
「なら、容赦はしません」
 不敵に笑うライズに臆することもなく、男たちは無言のまま間合いを詰めてきた。
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