VOL. 41
● その男 大将
bP 【プロローグ編】
個々のバイクに纏わる思い出をお話する前にボクがバイク好きになった理由から。それは従兄弟のお兄さんの影響だと思われます。当時まだ小学生(確か4年生の頃)だったボクの家に高校生だったお兄さんが沼津からバイク(お兄さんの話ではスズキのGS400だったらしい)で浜松のボクの家に遊びに来た時に、「天竜川上流にある佐久間ダムまでツーリングに行ってくる」と言って走り去っていった後ろ姿がたまらなく格好良かったのが、そもそもの始まり。元々、チャリンコ小僧だったのでそれがバイクに取って代わったのはもはや必然でしょう。
その後、当時のTVドラマとして放映されていた『西部警察』や『ドーベルマン刑事』でのバイクシーンや,週間少年誌で連載していた『スーパーライダー』,『ナナハンライダー』,『ふたり鷹』,『バリバリ伝説』と80年代のバイクブームど真ん中を過ごしてきました。ちなみに今、ボクが愛用しているヘルメットはオリジナルデザインですが、『ふたり鷹』で主人公の沢渡鷹が作品後半で使用していたヘルメットを現代風にボクが(勝手に)アレンジしたものです。
進学した高校は浜松市内の有名工業高校にも関わらず、3ナイ運動(今の若い世代の方はこの言葉を知ってます?)のおかげで高校卒業までバイクに触れる機会はありませんでした。そして岐阜県の自動車整備士を養成する短大に進学し、この短大の横にあった自動車学校でようやく当時の中型免許(現在の普通免許)を取得すべく自動車学校に通いました。
生まれて初めて操作するミッション付きバイク。漫画で覚えたイメージトレーニングでの操作は完璧だったものの、「半クラッチって何?」てな感じだったので生まれて初めてバイクという乗り物を動かした教習初日の1時間目に事件は起きました。
その当時の教習車はホンダVFR400Z(当時としては斬新なデザインだった2眼ネイキッド)でした。ボクは半クラッチの加減が分からないままそのバイクを動かそうとしました。そして、その時、事件は起きました!
半クラッチの加減が分からないのでアクセルは急開! 急激なクラッチ操作を行ったせいでVFR400Zは暴れ馬と化し、フロントを高々と持ち上げたまま教習所コース内を疾走し、どうしてよいか分からないボクはなすすべもなくバイクにしがみつくばかり。4輪教習中の車を全て急停止させながらコース脇に植えられて枝がY字状に広がった植樹にちょうどフロントがハマリ込み、何とか暴れ馬を制止する事が出来ました。この時、ボクの取った回避行動はキルスイッチを押しエンジンを切っただけです。今、思い返しても恐ろしい行動です。コントみたいな話ですが実話です。 あな、恐ろしや・・・
( ̄□ ̄;)!!
担当教員が慌ててバイクにかけ寄り、4輪教習中の教員も飛び出してきてY字状に広がった枝の間で見事に停止しているバイクを指差して抱腹絶倒!! いい恥さらしになりました。
明けて二日目の1時間目。前日の悪夢が早速トラウマになってガチガチに緊張しています。8の字教習の発進時に再び事件は起きました。ハンドルフルロック状態でまたもやアクセルをワイドオープンで発進した事でリヤが流れ、フロントが切れ込みまたもや転倒! フロントブレーキを握ったまま転倒した事でフロントブレーキが噛みこんでしまい、またもや修理を要する事に・・・。当然の事ながら第1段階は大幅に時間超過した事は言うまでもありません。
こんなボクでもトータル4時間ほどの超過で何とか免許を取れました。今でこそ大型バイクに乗っていますが、アクセルの開けっぷりが悪い、へっぽこライダーとなったのはこの時のトラウマだと信じて疑いません。そして修了証書授与式の時に担当教員から「今まで2台もバイクを潰したのはお前が初めてだ。でもそのおかげでCBR400Fの新車が2台も納車されたのだからアリガトな♪」と。あの時の教員の満面の笑みは今でも覚えています。 クッソー!(`ω´♯)
この後、貧乏学生だった短大時代はバイクを買う余裕もなく、短大卒業後は地元の自動車関連企業に就職して初めてのマイカー(AE92カローラレビン)を購入したので、ローンが終わった23歳になるまでバイクに乗る事はなかったのでした。