VOL. 41 
 その男 大将

2  【ホンダJADE編】


 今回は記念すべき愛車第1号機(初代アルカディア号)のお話です。岐阜の短大を卒業して地元の自動車関連会社に就職し、3年ローンで購入した乗用車の支払いも完了した23歳の春。・・・ブロークンハートしました。しかもド派手に!
 この世に神も仏もない物か?と自棄になっていた頃、「そうだ!バイクでも買ってウサ晴らししてやる!」と思い立って購入したバイクは1991年に発売されたホンダJADEの新車でした。ちなみに以降、ブロークンハートのたびにバイクを買い換えたのはナイショだ!

http://www.honda.co.jp/news/1991/2910308.html

 このバイクはCBR250RRの水冷直列4気筒エンジンを搭載したネイキッドバイクです。今や伝説となったバイク漫画『バリバリ伝説』の巨磨郡が乗っていたCB750F(FA〜FC)に似たネイキッドCBシリーズの末弟的な位置付けで、中型免許(今でいう普通免許)取得以来、5年間もバイクの運転から遠ざかっていたボクには丁度良いモデルとして選択しました。当時、近所にあったホンダウイング店(今は廃業しています)で購入し早速、ボクがバイクに憧れるきっかけとなった従兄弟のお兄さんと同じく天竜川上流の佐久間ダムまで慣らしツーリングに行きました。その当時のお兄さんの後ろ姿を追うかの様に・・・。もちろん、今度は発進時にウイリーはしませんでしたよ。エンストはたくさんしましたけど・・・。 

 その後は当時の勤務先の同僚と何度かツーリングにも行きました。その中で特に印象に残っているのが、乗鞍高原と富士山ツーリングです。いずれも一泊ツーリングでした。

 富士山ツーリングは夏に行った自身初の長距離ツーリングで、上は1000cc、下はボクの250ccまでと排気量も技量もバラバラです。当時も今もマスツーリング時のルールは同じで、初心者のボクは隊列の真ん中でベテランが先頭と最後尾を務めます。この時、初めて高速道路走行も経験しました。250ccのネイキッドで100Km/h位の巡航でも風圧が強く、ハンドルにしがみついていた為に身体中に力が入って疲労もますます蓄積されて疲れ切った事も覚えています。挙句の果てには富士吉田付近でグループが分断されてしまい、後続グループは迷子になると言うハプニングも。当然、ボクもその後続グループにいました。ウロウロし過ぎたのが原因で仲間の一人はガス欠にも見舞われました。
 当時はツーリング慣れした先輩に付いていくだけだったので、今みたいにツーリングマップルも持っていませんでしたし(存在すら知りませんでした)、携帯電話なんてSF映画の世界でのアイテムでしたから存在せず、連絡の取りようもありません。行先だけは明確になっていたので最後尾のライダーの先導によって富士山の5合目(7合目だったかな?)に向かって無事に合流したのでした。この時の雲海の景色は目に焼き付いていますが、高度が高くなるとエンジンがまったく吹けきらなくなるという事も、この時に知りました。キャブ車なので何度もエンストしそうになって、ずっとフルスロットル状態でした。

 また同じ年の秋に訪れた乗鞍高原スカイライン(当時はまだ自家用車の通行は可能でした)に行った時は、高速道路を利用しないで遠方に行くという事は初めての経験だったので、朝から走りっぱなしです。適度な休憩は挟みますが、一般道の走行と延々と続くワインディングを走行するという事がいかに楽しく、そして先輩達のペースについていけない運転技術の未熟さも痛感したものです。あまりにも力が入って運転していたので運転中に足が攣り、怖い思いをした事もありました。

 バイクに乗り始めて20余年。今、マスツーリングやソロツーリングを楽しんでいますが、マスツーリング時のルールやアクシデント発生時の対処方法、行先の選定やルート設定、ペース配分などは、このJADEに乗って先輩達とのツーリングの中で無言のうちに教えてもらった気がします。初心者教育には多少の強引さも必要だと言う事も。しかしCBR250Fourにはじまり、ホーネットまで続いたホンダ250cc水冷4気筒車に乗った事がある方はご存知かと思いますが、レッドゾーンで16000rpmも回るエンジンは高周波振動を伴い、ジェット戦闘機みたいな高周波音を発します。これが意外と疲れる事を知ったのは購入して半年が経過した晩秋でした。そして後にボクの名前がホンダV型オーナーの間でソコソコ知れ渡るきっかけとなるバイクと出会うのです。
 


前へ

41 TOPへ戻る