ホームに戻る

 

 

魂の科学性

 

生物全般に言われる言葉に魂がある。

魂が宿ると言うことを耳にしたりもするが、

昔は、特に命あるいは霊、念などと言って、

山や海、川や洞窟、森や林の中にいると言われてきた。

地球のいたるところにいると伝えられ、

あいまいではあっても存在を認めてきた。

非科学的で、現実的ではなかったが、昔から語られている。

根拠が見つからないのは事実である。

 

現在でも当然のように魂や命あるいは霊、心、生命という言葉は使われている。

この分野で科学的実証をすべく研究されている。

目には現象は見えないが、フィルムには映像が写されていたり、

測定器に反応が出たり、

若干ではあるが科学性が認められている。

ほんの一部にしか過ぎない実例である。

 

山には山の霊がいて、川には川の霊がいると言われてきた。

民話や神話あるいは童話などに頻繁に登場してくる霊の存在である。

誰でも、一度や二度は山登りを経験すると思う。

木立の中を歩くと、ひんやりした空気が肌を通り過ぎてゆく。

誰でも一度はハッとするときがある。

風の通り過ぎる感触が、まるで人がすり抜けていったような感じがしたり、

木の枝を揺らす風がうなる音を人の声に感じたりするときがある。

風もないのに小枝が揺れてみたり、枯葉が人の歩く音に聞こえたりする。

山道を歩くと、

周りに誰もいないのに後ろから人の気配がしてみたり、

木陰が動いて人の気配に感じるときがある。

いずれの現象も形の変化を感じる人間の五感の作用で認識する。

頭脳に伝えられた反応は、ニューロン繊維で脳の中を信号が伝わる。

カンカクヤという脳の部分だけではなくウンドウヤにも伝わり、

ダイノウヒシツやズイシツにも伝わる。

感情中枢や記憶中枢にもニュウロンは多シナプス反射がおこる。

結果として人格的想像力が優位になることがある。

人の行動を認知してしまう。

どうなるかというと、人格を感じるようになる。

誰もいない山の中で、樹木や草の感触が人格を感じる感覚が強くなる。

 

確かに木や草も人間と同じ細胞の集まりに違いはないのだ。

樹木も人間も同じ生命には変わりない。

山登りをすると、山の雰囲気に同化するのを感じるのかも知れない。

山は、樹木の集合体で、全体がひとつの生命体となって生きている。

その中に入ると、樹木全体がひとつの生命であることを人はキャッチしている。

どこでキャッチするのだろうか。

脳波の波長が受信する。

頭脳は、電気伝達物質の集合体である。

内部では、活動電位が発生している。

つまり、頭脳は全体がアンテナになっている。

波長の同じ生命波動は強く感受するのである。

 

自然の中では、自然霊という表現をする。

生命の法則に順応した波動が充満している。

誕生の法則と生命の法則が非常に表面化されている。

宇宙の法則を感じるといってもよいかも知れない。

 

山登りをしていて最初のうちはちょっと不安を感じるが、

30分も樹木の中にいると、慣れてきて心地良さを感じるようになる。

1時間2時間と山の中にいると、深い安心感を感じるようになる。

これは、生命の同化がおきている。

人間を構成するものと自然を構成するものが同じためである。

形や構造は違っていても、もとは同じである。

地球の生物はすべてもとが同じなのだ。

 

生命の波動を霊という言葉で具現化した表現がある。

 

魂も言葉としては形で現しやすい表現のひとつだ。

肉体を持たないもので、波動だけのものにも使われる言葉である。

逆に形だけのものに生命を感じるときに、入魂と言い、

魂が宿ると言ったりもする。

仏像などは形のある物質に作者の精神を感じるときに魂という表現をする。

 

肉体の寿命を終えると、身体から魂が抜けると言ったりする。

魂あるいは命というのは、波動というものを言う。

この波動は、科学で見つけることは難しい。

波動というものだが、

全容解明できるのは未来の人類の進化が物質を解明してゆくときだ。

 

単純に魂を考えるときには、ふたつの条件がある。

生きているものと生きていないものである。

このふたつは条件が全く違う。

前者は肉体の活動と魂のつながりである。

後者は肉体のないところの魂である。

 

前者は説明が簡単である。

肉体の頭脳でおこる脳波が電気的信号で放出されると波動となる。

これには形態として強弱と性質がある。

強さについてはどちらかなのでわかりやすい。

性質になると複雑だ。

極端な分類では、善波動と悪波動とに分ける。

どちらでもないようなものもある。このことについて説明していこう。

 

善波動とは何なのか。

そもそも善あるいは悪を定義する場合、基準になるものは何なのかだ。

測りになるのは人生という流れで照らすとわかってくる。

人生が良い条件で成立するのを善波動と言う。

その反対の、条件が悪いことを悪波動という。

 

人生を生きて生活するときに、

経験や体験する場合の生き方で善や悪が導かれてくる。

人生という境遇や時代で微妙に違いもあるが、

人生という歩みを総合的に方向付けするとふたつの波動に分かれる。

それが善と悪である。

 

生物には、エネルギーを外から摂取するときに、ふたつに大別できる。

肉食と菜食だ。どちらも食物を摂取しなければ維持できない。

身体の成長と持続には、外部エネルギーの調達が不可欠である。

菜食動物はどうしても肉食動物のエネルギーになってしまう。

 

自然の生態系では、善あるいは悪を判断できない。

生物の自然のリズムは肉体の生理的行動を支配している。

生物は、エネルギーを摂取することで維持されて持続もされている。

生物にも多種多様な知能の発達がある。

知能の発達は生物に感情という働きをおこしている。

どんな生物にも感情はある。

ただ、頭脳の仕組みで働きは違う。

 

地球の環境は、生物を誕生させ、維持させ、持続させる。

 

地球では人間だけが頭脳に進化が極端に現れた。

 

人間には、生物の基本リズムが流れている。

何かというと、環境を生き抜くリズムがある。

頭脳の活動は、社会を生きる知恵に代わっていった。

感情が増幅されて高度な知的発達をしてきた。

学習を重ねて現代の人類の姿になった。

 

知恵の進化が進み、感情が膨張し、心が発達した。

 

複雑な知恵を獲得した人間である。

学習する知恵は、学習の中から学ぶ知恵がでて、

現代の姿になったのである。

 

脳波については科学されてきている。

電気的信号を発信したり受信したりしているが、

科学ではまだ解明されるところまできていない。

測定できるものが開発されていない。

波長のレベルで、頭脳から発進されるのは、機械的信号とは別の波長になる。

細胞から作られた波長は、

人工的に作られた機械信号と違う。

特に、訓練あるいは鍛錬して能力を獲得した人は、普通の人と違う力を発揮する。

波動に強い力を与える訓練をしたり練習をして強さを増幅させることができる。

これらを特殊な能力と言うこともある。

 

魂には善波動と悪波動のふたつがあるとお話いたしました。

人生観で考えてみましょう。

善とは言葉通りで、良い行いのことです。

悪とはしあわせあるいは喜びの反対です。

一般に良い人生をプラス、不幸な人生をマイナスと言ったりします。

全人類は、先祖から受け継がれて現代に至っています。

昔に先祖が生きて人生を送ってきて、

その歴史はすべての人が持っています。

過去の人生の系列で、善行と悪行が子孫にいろいろな影響をしていることが往々にしてあるものですが、

歴史の流れを生きてきた人間は、いろいろな歴史の中で様々な感情を増幅させてきました。

強い感情の波長は遺伝子に伝わり、子孫に伝承されます。

細胞を形成するDNAは波動を受信して子孫に伝えてゆきます。

これが血筋で、家系になります。

 

先祖のどこかで善波動を強く抱き、感情の修復がなされると、

子孫に善波長が引き継がれて、

プラスの生活環境が現実化します。

人間が普通に生活をし、人生を生きるときに、感情が乱れることは、誰でもおこりうるものです。

激しく波動が動くときなどは、

感情が粗くなるときが多いのです。

この状態を乱れた感情と言い、悪波動と言います。

悲しみや苦しみ、恨みや嫉妬、強い欲望や執着。

これらの感情が極端に強くなると、

マイナス感情が増幅されて悪行となって表現したりします。

悪感情は、想像以上に強い精神で力を持つことが多いのです。

悪波動は、先祖からDNAに伝わり、子孫に受け継がれます。

強い波動なので子孫の人生に大きく影響します。

引き継がれた子孫は、普通の生活の中で調和のある生活ができにくくなり、

生活のリズムを乱すようになります。

これが悪波動です。

先祖で善波動をおこした人がいるときには、

その強さが大きければ修復は完全になされますが、

悪波動は、非常に強いときがあります。

意識しないので乱れた感情に気付かない場合が多いのです。

修復する能力は、自覚以外にはありません。

どれだけ自分を知ることができるかで修復は決まります。

 

ホームに戻る

 

善波動をプラスと言い、悪波動をマイナスとも言います。

プラスは生活環境のリズムが安定し、明るいのですが、

マイナスは生活のリズムが乱れて暗いのです。

色で言うときもあります。

人間は生活の中で気付くときがあります。

そして考えます。

しかし、解決できないことが多いのです。

どうしてかと言うと、考えて悩んでしまうからです。

ここにマイナスの落とし穴があります。

マイナスの環境で考えるとマイナスに引き寄せられることが多いのです。

プラスになりたいと願いながらマイナスを引き寄せることになるからです。

強く思うことを念じることで、心に執念あるいは執着する心が作られてしまうのです。

 

プラスになるためには、心の中にあるマイナスの感情を全部吐き出すしかないのです。

少しのマイナス感情も残っていてはマイナスは心から消えません。

 

心はクセをつける性質があります。

感情にクセが付いてしまうのです。

悪いことを思ったり考えたりするようなクセが付いていることに気付いていない人々が多いのです。

 

まず、心のクセをなくすように感情を整えなければなりません。

常に良いことを思うことです。

いつも正しい生き方をしてみることです。

 

悪い感情になるときには、

自分を見つめて反省する気持ちを持つことからはじまります。

感謝する心を膨らませることが必要です。

このように、修復するための心の状態が必要になります。

 

魂や命、霊魂や念は、肉体から分岐して波動という塊で空気中にあるために、

ときとして物質化現象をおこすことがあります。

非常に強い感情が波動と一緒になることがあります。

肉体があってもなくても波動は空中に発生しているときがあります。

この波動あるいは波長を科学しようと研究が続けられています。

未来には必ず解決するでしょう。

いつになるかはわかりません。

これらも波長という微小な粒子の物質です。

これらが解明されたときに、未来の人類は、大いなる進化を遂げるでしょう。

 

詳しくお話をしていくと際限なく深く説明していくことになります。

かなり専門的になるようです。

実例をあげながら精神の世界をお話することになりそうです。

心の世界の誕生から経過をお話するだけで莫大なページになりそうです。

命や生命、念についてもそれぞれについてのお話をすると、

非常に長い文章になります。

 

いろいろなサイトを作って発表してゆきます。

楽しみに待っていてください。

 

ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

 

ホームに戻る

科学の進化にジャンプ