えー、なんと言うか・・・・。ちょっとこの曲を語るのは恥ずかしいかも。
別館の某所に、この歌詞(ハイネ作)の冒頭を載せてあるのですが、ここにもう一度書きましょうね。
麗しの五月、花の蕾がみな開いたとき、
僕の心に中にも愛の花が咲き出た。
麗しの五月、鳥たちがみな歌ったとき、
僕もあの人に告げた、焦がれる思いと願いを・・・。
どうしてこんな詩が「あの」別館にあるのかはさておき。
シューマンは音楽的才能もさることながら、多分に文学的な感性も併せ持った作曲家でした。
この「詩人の恋」は、その才能が最大限生かされた作品の最たるものです。詩の美しさが、シューマンの音楽によってますます際立ち、聴いていて切なくなるほど。
冒頭のこの曲も、前奏のピアノからすっかり「恋する心」の世界に引き込まれてしまいます。
さて、美しいお嬢さんに告白した詩人君。「私もあなたが好きよ」と言われ、有頂天に。花や鳥、太陽を詠っていた彼の詩は、彼女のことばかりを語ります。ケルン大聖堂の聖母像を見ても、恋人の顔に見えてしまうくらい。
でも、幸せは長くは続かない。彼はふとしたことから、彼女が他の男性に心を動かしたのを知ってしまいます。
でも、この詩人君は結構気丈なところがあり、「僕は君を恨んだりしないよ」と言ってみたり、自分の失恋を物語のように話してみたり。(このあたり、シューマンは詩人君の「強がり」を表すような、一見勇壮な、それでも少し足元の危ういような曲をつけています)
でも、やっぱり心が傷ついているのは隠せない。夏の朝、花たちが自分を哀れんでいるように感じたり、彼女の夢を見てしまって、朝起きると涙を流しているのに気づいたり・・・。
ちなみに、同じように青年の恋と失恋を扱った歌曲集「美しき水車小屋の娘」(ミュラー&シューベルト)の粉職人見習いの青年は、最後には川に飛び込んで死んでしまうのですが・・・。
「詩人の恋」の詩人君は気丈です。自分の心を表現する術を持っているからでしょうか。
最後には失恋の痛みを振り切り、「恋の思い出も失恋の痛みも大きな棺に入れて海へ沈めてしまおう」と詠います。
ハイネの「詩人の恋」は、ここまで。
・・・・でも、そんなに人間の心はきっぱり割り切ってしまえないもの。
シューマンは最後の曲の後奏に、失恋して切なかった時の音楽(12曲目)を再び登場させているのです。前に登場させた時よりも甘い雰囲気に少しだけ変えて。
思い出を海に沈めてしまっても、ふと振り向いてしまって、少しだけ瞳を伏せる詩人君の姿が浮かんできそうです。
辛い恋の思い出も、時が経てば美しい思い出に変わる日も来るかも。
そんな感じもする終局になっています。シューマンのシューマンたるところですね。
さて、この曲はテノールでもバリトンでも歌われますが、私の持っているのはテノール歌手「エルンスト・ヘフリガー」氏の60歳を過ぎた時の録音です。
へフリガーはスイスの出身。バッハ演奏では「最高のエヴァンゲリスト(福音史家)歌い」といわれる人で、少し硬い感じの美しい高貴な雰囲気の声のテノールです。
いわゆる「正統派王子様声」で、彼の「タミーノ」(魔笛)は最高です。
このCDでは声の美しさは相変わらず、それに柔らかさの加わったとても魅力的な演奏を聴かせてくれています。ホントに60過ぎか???という感じ。
実は結構ひょうきんで面白い人で、(バッハ演奏家は変な人多いですが・・・)昔来日した時に、タ○リのバラエティ音楽番組に出て「カラヤンの真似!」とか披露してました。(一般人にはわからん高尚ギャグね・・・)
で、どうしてこの曲のレビューが恥ずかしいのか、こっそり書いておこう。
実は、私達の結婚式に、新郎(つまりダンナ)が歌った曲なんです。冒頭の曲・・・。
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