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過去の「お薦め名曲」

こちらには過去の「名曲案内」を置いてあります。
J・S・バッハ「トッカータとフーガ ニ短調」BWV565 (4.03)
有名な曲ですね。この曲を知らない人はいないでしょう。少なくとも、トッカータの冒頭は。
「ジャジャジャジャーン」の「運命」の次くらいに有名な曲かもしれません。
火花がキラキラ光るような、前半の華やかなトッカータ部分。後半のフーガもとても魅力的です。
でも実は、この曲は「バッハの作品ではないのでは」という説があります。バッハにしてはフーガの決まりごとがしっかり守られていないから・・・とか。
もともとはオルガン曲ではなく、ヴァイオリン用の作品なのでは?という説も。
もしバッハの作品でも、初期の本当に若い、作曲を始めたばかりの頃の作品ではないか?ということだそうです。
 
でも、以前ドイツに行ったときに、そんなことを気にせず、この曲を大事に愛している人達に会いました。
それは、バッハが若い頃に仕事をしていた「アルンシュタット」という町の人達です。
バッハは18歳くらいから5年間ほどこの町でオルガニストを勤めていました。血気盛んで、広場の真ん中でケンカをしたり、オルガン席にガールフレンドを連れ込んで叱られたり、といろいろ武勇伝があります。
そして、この曲がバッハの真作だとすれば、この町にいる時に書かれたのではないか?と言われているのです。
北ドイツのリューベックまでブクステフーデの演奏を聴きに行って、やる気満々で戻ってきて、さっそく教会で思いっきりオルガンを弾きまくり、居並ぶ人々の度肝を抜いた曲の中に、この曲があったのかも・・・。
結局バッハは、この町とはケンカ別れ同然で別の仕事先を見つけてしまうのですが・・・。
今ではアルンシュタットの人々は、バッハが自分達の町で仕事をしていたのをとても誇りに思い、広場の真ん中(バッハがケンカした場所?)に銅像を作ったり、彼の働いていた教会に「バッハ教会」と名付けたり、町の名を「バッハシュタット」(バッハの町)と呼んだりしています。
そして、この曲。この有名な曲を、アルンシュタットの人々は「おらが町の名曲」として誇りに思っているのでしょう。
日本のテレビでこの町が紹介された時に、バッハ教会オルガニストのプレーラーさんが誇らしげに弾いて見せたのも、私達も参加したジルベスターコンサートの時にトリで演奏されていたのも、この曲でした。
何だか、オルガニストや聴衆の雰囲気から伝わってきたんです。「この曲はこの町でできたんだぞ〜!」という、何とも嬉しそうな感じ。
偽作説なんて、ここでは意味が無いのね。
そんな演奏を聴いて、私はこの曲が前にも増して好きになりました。その時の録音は宝物です。
 
そして、ちょっと意外な場所でこの曲に遭遇。
昨年、テレビでドイツ・ブンデスリーガのサッカーの試合を見ようと思ったら、試合開始前に、スタジアムになんとこの曲が流れていました。
サッカースタジアムで、バッハ・・・。(しかもオルガン曲!)
面白い国ですね。ドイツ。
更新日時:
2003.04.26 Sat.
ジョン・ダウランド「僕は見た、あの人が泣くのを」(3.03)
今月ご紹介するのは、エリザベス一世の時代に活躍したイギリスのリュート奏者、ジョン・ダウランド(1563-1626)です。
イギリスの・・と書きましたが、実は彼はどちらかというとフランス・ドイツ・イタリア・デンマークなどで活躍し、本国ではその評判に関わらず不遇でした。エリザベス一世の宮廷リュート奏者を希望していたのですが、その夢は結局果たせず、王室に仕官できたのは女王の死後、ジェームズ一世が即位してから。理由は、ダウランドがカトリック教徒であったためではないかと言われています。
しかし、めでたく宮廷リュート奏者になったダウランド、その後は立場に満足してしまったのか、それまでのような素晴らしい曲をあまり書かなくなってしまったとか。
やっぱり苦労は芸術の肥やしなのかしら。
 
この時代のイギリスの音楽には「メランコリー」という言葉が良く似合います。
何だか切なく、悲しく、それでいてその感情に浸って満足しているような。
バードのミサ曲などもそうですね。
この時代、イギリスは政治的にはまあまあ安定していましたが、外交的には針のむしろ状態で、大陸の宗教事情に翻弄され、プロテスタント国家を名乗っていながらカトリックのフランス王家と仲良くしてスペインを牽制したりしていました。エリザベス一世が独身だったのも、複雑な外交事情のせい。
そんな不安定な状態の中、ダウランドのメランコリックな旋律は、現状を受け入れて前向きに対処しようとする人々につかの間の安らぎを与えていたのかも。
本当に困った時って、下手に励まされるより、一旦泣いちゃった方がすっきりして「さあ、やるか!」って気になりますもんね。
 
ダウランドの歌曲には素晴らしい物がたくさんありますが、その中でもこの「僕は見た、あの人が泣くのを」は屈指の曲です。
失恋でもしたのでしょうか、涙を流す美しい女性。彼は彼女を見ながら思います。あの人の瞳に宿ることのできた涙は、なんて幸せなんだろう。あの人は、悲しんでいる時でもなんて美しいんだろう、と。
彼はきっと彼女に片思いしているんですね。それでもやっぱり、彼女が悲しんでいるのを見るのは辛い。最後に彼は言います。
「やっぱり貴女は笑顔の方がいいから、泣かないで」
「あの人」は、言語では「My Lady」。彼の恋は実ったのでしょうか・・・?
 
我が家にあるCDは、イギリスの古楽グループ「コンソート・オブ・ミュージック」の演奏です。
この曲を歌っているのは、天使のソプラノとして名高いエマ・カークビー。彼女はかなりレパートリーが多いのですが、その中でも特にダウランドを得意としています。
オックスフォードで古典を専攻していただけあって、当時の演奏の雰囲気がそのまま甦ってくるような素晴らしい歌声です。
そして忘れてはならないのが、リュートで伴奏する旦那様のアンソニー・ルーリー。いつも寡黙に傍で奥様をフォロー。彼女の歌は、ルーリーの伴奏だとなおいっそうその良さが増します。こういうご夫婦っていいですね。
私は抜粋盤を持っていたのですが、最近とうとうダウランド全集を買ってしまいました。もちろん「コンソート・オブ・ミュージック」で。
ここでは歌曲のことだけ書きましたが、リュートの曲も素晴らしいものがもちろんたくさんありますよ。
「涙のパヴァーヌ」などが特に有名です。
更新日時:
2003.04.26 Sat.
アントニオ・ヴィヴァルディ「四季」より「春」(2.03)
「四季」といったらやっぱり「イ・ムジチ」。
どこかで聞いた話ですが、日本では4家族に1軒が「イ・ムジチの四季」を持っている計算になるそうです。
今はもっと多いかも。
我が家にもあります。初期のフェリックス・アーヨのソロの盤と、最近の(といっても15年位前)フェデリコ・アゴスティーニのソロの盤。
アーヨ盤はもう40年以上前の録音で、たっぷりとしたゴージャスなスタイルの演奏。
アゴスティーニ盤はきびきびしたスタイリッシュな演奏。テンポも速いし。
時代によって演奏スタイルも変わっており、面白いです。
 
ソリストがアゴスティーニに代わったばかりの頃、彼らの演奏会に行きました。曲目はもちろん「四季」と、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、あと一曲(忘れた)。
素敵な演奏を堪能したあと、ロビーに出ると、お兄さんが大声で叫んでいます。
「今からイ・ムジチの皆さんのサイン会でーす!こちらです!どうぞ〜!!!」
そして長テーブルが置かれ、さっきまでステージで演奏していたメンバーがゾロゾロと席に着き、笑顔で「おいでおいで」を。
プログラムには写真つきのメンバー紹介があったので、それぞれの方の所にサインしていただきました。全員分。サイン会を想定してのプログラムだったのかも。
イタリア人って本当に気さくな人たちだな〜と思いながら帰りました。
 
やっぱり「春」が一番ポピュラーなんでしょうか。中学の時、音楽の時間にも聴きましたし、卒業式にもかかっていましたし。
第三楽章、ダンスのリズムがいいですね。寒い地方の出身なので、春が来てウキウキする気持ち、よく分かるんです。
雪が解けて草花がいっせいに目を覚まし、野山が花でいっぱいになる。
私も春が大好きです。ええ、例え花粉症でボロボロになろうとも!
山菜採りもできるしね。
更新日時:
2003.04.26 Sat.
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Last updated: 2003/7/28