有名な曲ですね。この曲を知らない人はいないでしょう。少なくとも、トッカータの冒頭は。
「ジャジャジャジャーン」の「運命」の次くらいに有名な曲かもしれません。
火花がキラキラ光るような、前半の華やかなトッカータ部分。後半のフーガもとても魅力的です。
でも実は、この曲は「バッハの作品ではないのでは」という説があります。バッハにしてはフーガの決まりごとがしっかり守られていないから・・・とか。
もともとはオルガン曲ではなく、ヴァイオリン用の作品なのでは?という説も。
もしバッハの作品でも、初期の本当に若い、作曲を始めたばかりの頃の作品ではないか?ということだそうです。
でも、以前ドイツに行ったときに、そんなことを気にせず、この曲を大事に愛している人達に会いました。
それは、バッハが若い頃に仕事をしていた「アルンシュタット」という町の人達です。
バッハは18歳くらいから5年間ほどこの町でオルガニストを勤めていました。血気盛んで、広場の真ん中でケンカをしたり、オルガン席にガールフレンドを連れ込んで叱られたり、といろいろ武勇伝があります。
そして、この曲がバッハの真作だとすれば、この町にいる時に書かれたのではないか?と言われているのです。
北ドイツのリューベックまでブクステフーデの演奏を聴きに行って、やる気満々で戻ってきて、さっそく教会で思いっきりオルガンを弾きまくり、居並ぶ人々の度肝を抜いた曲の中に、この曲があったのかも・・・。
結局バッハは、この町とはケンカ別れ同然で別の仕事先を見つけてしまうのですが・・・。
今ではアルンシュタットの人々は、バッハが自分達の町で仕事をしていたのをとても誇りに思い、広場の真ん中(バッハがケンカした場所?)に銅像を作ったり、彼の働いていた教会に「バッハ教会」と名付けたり、町の名を「バッハシュタット」(バッハの町)と呼んだりしています。
そして、この曲。この有名な曲を、アルンシュタットの人々は「おらが町の名曲」として誇りに思っているのでしょう。
日本のテレビでこの町が紹介された時に、バッハ教会オルガニストのプレーラーさんが誇らしげに弾いて見せたのも、私達も参加したジルベスターコンサートの時にトリで演奏されていたのも、この曲でした。
何だか、オルガニストや聴衆の雰囲気から伝わってきたんです。「この曲はこの町でできたんだぞ〜!」という、何とも嬉しそうな感じ。
偽作説なんて、ここでは意味が無いのね。
そんな演奏を聴いて、私はこの曲が前にも増して好きになりました。その時の録音は宝物です。
そして、ちょっと意外な場所でこの曲に遭遇。
昨年、テレビでドイツ・ブンデスリーガのサッカーの試合を見ようと思ったら、試合開始前に、スタジアムになんとこの曲が流れていました。
サッカースタジアムで、バッハ・・・。(しかもオルガン曲!)
面白い国ですね。ドイツ。
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