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2013年6月22日(土)
祝!世界文化遺産登録
本日、富士山が正式にユネスコ世界文化遺産に登録されることが決まりました。
既に今までも「フジヤマ」として、その名は世界に通っていたとは思いますが、これで名実共に日本の富士山世界の富士山となったのです。
地元に住む人間としましては、大変嬉しく誇らしい限りですが、一方で、この登録に値する環境を今後も維持・保全する責任が課されたと強く感じます。
これから増えるであろう観光客の方々への対処対応なども含めて、喜び7割、不安3割といったところですが、今日に関しては純粋に登録を祝いたいと思います。

        
おめでとう!富士山

今後機会があれば、数々の構成資産の紹介等もしていきたいと思います。

登録発表直後の富士山。
梅雨空の雲を裂いて、その姿を見せてくれた。
自宅バルコニーにて写。
2013年4月15日(月)
定期総会開催

先週末に別荘地管理組合の定期年次総会が開催されました。
今回で38回目を迎えるものです。
当日は県外からお出で頂いた方や、また何年振り、何十年振りに御出席して頂いた方もいらっしゃって、別荘地が出来た頃の貴重な御話等も聞かせて頂きました。
皆様、お忙しいところ、誠に有難うございました。

2013年4月2日(火)
里帰り(ルーツを求めて)
久々の更新です。
年度変わりの時期ですが、3月30日(土)から4月1日(月)まで、県外に出掛けて来ました。
この時期に暇だなぁ〜、と思わないで下さいね(笑)。
これには少々訳がありまして・・・。
というのも、父方の実家が三重県にあり、その町では20年に一度「御木曳き」という行事が行われるんです。
これは、町内に伊勢神宮内宮の祭神・天照大御神の妹神、稚日女命(わかひるめのみこと)を祀る神社があり、その本殿造営のための御用材を20年ごとに山車に乗せて町民が神社まで運ぶものです。
九つの地区が3本ずつ、計27本の御木を運ぶのですが(運ぶというよりは練歩くといった印象です)、2本の長い綱で引っ張りながら、左右交互に揺らし合うので、その場所が斜面になっていたり、民家があったりする所では結構な迫力があります(少々リスキーですが・・・笑)。
僕も子供の頃(40年前の前々回)に参加した記憶が薄っすら残ってますが、こういう行事は大人になってからのほうが楽しいですね。
あっ!決してお酒が飲めるからじゃないですよ!
歴史の勉強とかになるからです!!
何しろ20年に一度。
次回を見ることが出来る保証は無いので(涙)
しっかりと目に焼付けてきました。

偶にしか会えない親戚の顔も見れたし
お墓参りも出来たし
伊勢神宮にも参拝して
松坂牛(実はこれが本命?)も食べました。
新年度に向けてリフレッシュするには充分な
とても濃〜い里帰りでした。

山車上の人の、口上が面白くて(笑)


宿泊した津市内のホテル近くで写。週末の津の街は、昔と違って活気がイマイチ↓↓↓
早く景気回復して元気になって〜
2012年7月1日(日)
プライベート・ジョイ
別荘地内にも、最近は色々な用途で自然派生活を満喫する方が増えました。
代表的なのが、写真の様な畑や家庭菜園など(写真のはチョット本格的過ぎますけど・・・笑)。
昨今の農業ブーム、ガーデニングブームの影響もあるのでしょうが、ものを作るということを皆さん本当に楽しんでいらっしゃいます。
他にも窯(陶芸用や、ピザ用のものまで)を作られた方、さらに最近は広い敷地を利用したプライベートな弓道場も登場!
従来からの絵画や写真、釣り、ゴルフ等といった楽しみ方に加えて、オフの過ごし方もどんどん多様化しています。
2012年6月11日(月)
追憶/三陸にて
東日本を襲った大震災から1年3ヶ月が経つ。
今回、仙台に暮す弟家族を訪ねる機会があり、本当に遅ればせながらなのだが、大学の研究室時代にお世話になった三陸の地に足を延ばした。
実に23年振りのことだ。
あの日以来、心配で懐かしくて直ぐにでも駆けつけたい気持ちと、けれども思い出の地の惨状を目の当たりにするのが怖いような、そんな複雑な気持ちのまま、時間だけが過ぎてしまった・・・。

仙台から車で2時間余りを走り、陸前高田市に入った。
ここには私が学生の分際でカーレースに没頭していた頃に所属していたレーシングチームがあった。
チームはカーショップが母体となって運営しており、僕ら車好きは夜遅くまで店内やガレージでよく屯していた。
誰にでもある若い日の何気ない、しかし、かけがえのない思い出だ。
店は海から近かった。
直線にして500mほどではなかったかと記憶している。
ただ、もう一度その場所に立てればという思いで訪れたのだが・・・。
津波の破壊力と、23年の記憶の霧が易々とそうはさせてくれなかった。
途方に暮れ、海に近い国道から市内を望む。
そこには荒涼とした地が広がり、僕の瞼裏にある高田の町は無かった。
自然と涙が溢れそうになる。
しかし、次の瞬間すぐ自戒した。
思い出に感傷し、涙するのは止めよう。
私にはその資格さえ無い。
ここには、尊い命を落とされた方や日常を奪われた方が沢山いらっしゃるのだ。
合掌・・・そして、もう一度私達に出来ることを考える・・・。

今回、国道45号線に沿って駆け足ではあるが、ほかにも南三陸町や気仙沼市、大船渡市等を巡った。
想像以上の被害と、思いのほか進んでいない復興に驚いた。
大学の施設では研究棟は無事だったが、当時住んでいたアパートは流されていた。
亡くなられた学生さんもいるという。
心よりご冥福をお祈りしたい。
千年に一度という、この大災害に立会ってしまったことを心底恨めしく思う。
しかし、それと同時に、この大きな犠牲を教訓として、これからの災害対策に生かしていかなければならないと改めて強く感じる旅だった。

合掌・・・被災地の復興が一日も早く果たされますように。

7万本の松原で、たった1本生き残った松。神の啓示以外の何を感じようか・・・。

海沿いにあった5階建ての集合住宅。津波により4階までのガラスが割れている。
その高さに絶句・・・。
住民の方々が避難されていたことを願うしかない。
2012年5月5日(土)
GW.子供の日

連休中ではございますが、建築中の現場を見に別荘地方面に行くと、近くの遊園地では毎年恒例の風景がありました。
この遊園地や、もう少し山梨県よりの牧草地には、この時期「鯉のぼり」が上がるのです。
富士山をバックに其れは其れは雄大な眺めです。
GWもあいにくの天気が続き、久し振りの五月晴れということもあり、親子連れの皆さんがとても楽しそうに遊んでいらっしゃいました。
連休も明日で終わり・・・。
休みボケ注意!です(笑)。

2012年1月5日(木)
新年に思うこと

皆様、新年明けまして おめでとうございます。
本年も当社ご愛顧の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

昨年は未曾有の大震災があり、加えて人災的な面も孕んだ原発事故あり、また秋にはこれも地球温暖化の影響なのか?大きな台風が二つも列島に上陸し、各地で大変な被害をもたらす等、とにかく災害の多い1年でした。
そんな次の年の年頭に思うのは、被災地の1日も早い復興と、今年が大きな災害の無い穏やかな年でありますようにということ。
政治であれ、経済であれ、何が何であれ、全ては平穏な日常がある上でのことだと思い知らされた今、まず最初に願うのはこれに尽きます。

  そして2012年が我々日本国にとって
         晴れやかな1年になりますように

2011年6月21日(火)
来る夏に 思い巡らす 窓辺かな

梅雨時のハッキリしない天気が続きます。
雪見障子越しの縁側に見える我が愛犬も庭で遊べないせいか、体の半分をカーテンの下に潜り込ませたまま退屈そうな顔を覗かせています。
今年は例年になく入梅が早かったので、明けるのも早めなのでしょうか?
昨今の電力事情を考えると、必ずしも喜び迎える夏とは言えませんが、それでも、やっぱり夏は夏らしく「カーン!」と来てもらいたいものです。
そして、そんな日には我慢続きだった彼女(?)を水遊びにでも連れて行ってあげようと思っています。

   
    う〜ん、つまらない・・・
2011年5月15日(日)
健康日和

この週末、富士の麓はとても穏やかな晴天に恵まれました。
ここしばらくは、気分を塞ぐような出来事ばかりでしたが、やっぱりこの様な日には、太陽の下、緑に囲まれた中で体を動かす・汗をかくということは、人の心にも体にも大切なことだと思います。

写真上は、別荘管理事務所横にあるゴルフアプローチ練習スペース。
もくもくと練習しているのは我が父上。
今月末の高校時代の同窓コンペに備えてのことみたいです(笑)。
卒業して60年近く経った今でも、毎年2〜3回は皆で集まるとは中々に真似できることではありません。
恐るべし!三重・津高28会。
是非、皆さんお元気で、いつまでもこのコンペを続けて頂きたいものです。

替わって写真下は、事務所近くのソフトボール場で行われた静岡県の小学生ソフトボール大会。
この球場は以前に世界ソフトボール選手権もあった『ソフトの聖地』なんです。
私が応援していた伊豆のチームは見事2試合連続のサヨナラ勝ちでベスト16にコマを進めました。
いずれも逆転によるもので、その劇的な試合展開には思わず感動してしまいました。
特に1試合目で逆転サヨナラ打を放ったキャッチャー(女の子なんです!)の強肩は何度も相手の盗塁を阻止してチームを助け、また何より大きな声でメンバーに指示を出している様は、後ろの観客席から見ていてとても頼もしかったです。

老若男女誰もが楽しめる晴天の週末。
そんな当たり前の風景が、一日も早く日本全土に戻ることを願って止みません。


100ヤード以内の練習には最適のスペース。

両翼、中堅70m。バックスクリーンに観客席も立派な『ソフトの聖地』。
2011年4月4日(月)
思いをこめて/震災チャリティー

数年前より春と秋の年2回、私の高校時代の旧友が経営する自動車関連会社主催でゴルフコンペを行っている。
毎回40人程が集まり、賞品もなかなかに豪華である。
今年も春先に案内のハガキが届き、親交の深い私は勿論出席の旨を伝えた。
そこに震災が起こった。
以降、世間では各種行事の自粛の嵐。
主催である友人も、はたしてこの時期にコンペを開催して良いものか悩んだ様である。
ただ、私は思う。
確かに今、華やかな催しはそぐわないし、著しい物資や電力等の浪費、或は交通・物流の面で被災地の復興を妨げる様な行為は言語道断である。
しかし、何もかもを中止では、今度はその地域の経済が疲弊してしまう。
結果的に、それはかえって復興を遅らせる要因にもなりかねないのだ。
私達に出来ることは、そのバランスを計りながら被災地に最大限の協力をすることではないか・・・。
そしてコンペは行われた。
ただし、いつもの様な豪華な賞品は無く、チャリティー形式として。
集まった義援金は被災地へと送られる。
僅かながらだが、何かに役立てて頂ければと思う。

恐らくマスメディアでは、いずれ時が経つにつれ、震災報道は薄くなっていくのであろう。
だが、私達の応援は今始まったばかりである。
被災地が復興し、被災者の方々に笑顔が戻るまで、機会ある度に微力ではあるが、今回の様な活動を続けていくことを確認し合い、コンペは散会となった。


メンバーの中には、実際に被災地に物資を搬送した人も。
2011年3月18日(金)
試されるとき

3月11日午後、別荘管理事務所の玄関前で立ち話をしているときにゆっくりとした大きな横揺れを感じた。
時間にして2分ほど、体感で震度4くらいか。
別荘地のある辺りは比較的に地盤が固く、少々の地震であれば
外にいて感じることなど滅多にない。
これは大ごとでは?それを証明するかのように瞬時にして停電となった。
下(市街地)のほうが心配になって車載TVをつけると宮城で震度7、M7.9との報。
遥か東北での地震によるこの揺れ、そして停電。
何か嫌な胸騒ぎがした。
弟家族が仙台で暮す私は、すぐさま携帯を掛けるが既に不通であった。
ふと東北では2日前にも震度6程度の地震があったことを思い出す。
動揺しながらも自宅に戻り、再び車内でTVをつけると、そこに映し出されたのは海沿いの街々を飲み込む津波の映像。
はたしてこれは現実の出来事なのだろうか?
大学時代の研究室でお世話になった親しみのある地を黒い波が容赦なく攫っていく。
あぁ、なんということか・・・。
その晩、仙台とは連絡がつかぬまま、こちらの電気も途絶えたまま、我が家では蝋燭の下での夕食となった。
するとそこに弟嫁より全員無事との電話が入る。
長蛇の列の公衆電話に並びながらも、とにかく安否だけはと知らせてくれたのだ。
姪の声も聞け、深夜には電気も復旧し、本来は一安心なのだが、気分が塞ぐ。
先程見た映像からして、尋常ではない被害が予想されるからだ。
案の定、マグニチュードは8.4へ、8.8へ、そして最終的には9.0に修正されていく。
世界的にも歴史に残る規模の地震であったのだ。
またそれ程の力が掛ると、今度は別の場所の断層が悲鳴を上げ出す。
中越で・・、さらに・・・。

3月15日夜、ドォ、ドォ、ドォと下から突上げる様な激しい揺れとともに電気が消えた。
今までに経験のない大きな揺れ、暗闇の中で窓が震え、物が落ちたりする音だけが聞こえた。
それでも幸い家族や、ご近所さんにケガ人はなく、すぐに電気も戻った。自宅も食器類にガラス1枚、お風呂のタイル数枚等の損害で済んだ。
が、しかし、速報で知らされた震源の近さには驚いた。
発表ではその距離自宅より12、3qほど、マグニチュードは6.4で最大震度は市内で6強を記録したという。
たまらずに別荘地のほうにも連絡をとるが、やはりこちらはそれほどの揺れではなく、立ててある瓶や、重ねてある本などが落ちた程度だったらしい。
誠に申し訳ないが、この時ばかりはホッとした。
翌日、市内の状況を見て廻る。
震度のわりには浅いと思われるダメージ。
日本の建築基準は高い。
それだけに、あの津波が酷く恨めしい。

震災から1週間が経つ。
その間、連日テレビでは関連情報が続く。
被災地の惨状、被災者の方々の悲しみ、日ごと増え続ける犠牲者数、滞る援助物資、そして福島の原発事故や関東周辺の計画停電。
何か3月11日を境に世界が変わってしまった様な気さえする。
しかし、私達日本人はこの未曾有の災害、絶望するほどの悲しみを乗越えて生きて行かなければならない。
これからは、何もかもが震災前と同じ様にという訳にはいかないかもしれないし、悪くすれば世界トップクラスの経済大国でいることも難しいのかもしれない。
それでも、国民ひとり一人が、何かを我慢したり、犠牲にしたりしながら皆で手を携えて生きて行かなければならない。
この災害が教えてくれたこと。
家族の絆であり、他者への思いやり。
今更ながら気づかされた、この当たり前のことを震災前どれ程に思っていただろうか?
もう一度個人レベルで見つめ直す機会と感じる。
また、同様に政府・行政にはこの大きすぎる、尊すぎる犠牲を決して無駄にして欲しくない。
是非、都市計画にまで遡った総合的な災害対策を再考して欲しい。
昨日のニュースで、ある国の若者達が日の丸デザインのTシャツを着て、日本のために募金を募ってくれているシーンを見た。
有り難かった。
正直、これまで日本という国は、他を助けることはあっても、助けられることはないと思っていた。
高慢だった。
そんな自分を恥ずかしく思う。

最後に被災された方々に心からのお見舞い、お悔やみを申し上げるとともに、救援活動に奔走される自衛官、警察官、消防士、医師、看護師等の方々、また様々にご支援、ご協力を頂く他国の皆様にも深く感謝申し上げたい。

そして何より

    
頑張ろう! 日本

私達にも出来ることは、必ず何かあるはず。


昨春に訪れた松島。もう一度この景色が見たい・・・。
2010年12月26日(日
年の終わりに

早いもので今年も残すところ1週間足らずとなりました。
当社にお関わり頂きましたお客様、またホームページをご覧頂きました方々、一年間誠に有難うございました。
皆様にとって今年はどのような一年でしたか?
この景況のなか不動産関連の仕事をしている私としては、決して「バラ色の年」とは行きませんでしたが、それでもお仕事を通じて今年も沢山の方とお近づきになることが出来ました。
出会いこそ、かけがいのない財産。
皆様から御力を頂き、影響を受けながら、40半ばの ギリ”アラフォー男もまだまだ成長致したいと思います。
どうぞ来年も変わらずのご愛顧、宜しくお願い申し上げます。
   そして2011年が皆様にとって
         素敵な年になりますように


      2010年11月撮影
2010年11月7日(日)
短い秋

   ようやくと 富士高原に 秋の色

今年の夏は全国的に暑く長かったですね。
別荘地は標高700m程なので、勿論過ごし易いの  ですが、それでもやっぱり『いつもの夏』
に比べると  暑かったです。
ここ暫くも、この時期としては暖かい日が続き、その せいか紅葉も遅れているようでしたが、写真のように別荘地内の木々もようやく秋の色を付け始め、その 深まりを教えてくれました。
個人的には一番好きな季節。
仕事に、プライベートに、残り短い秋を存分に楽しみたいものです。

※追記
前回の赤丸キノコさんは「タマゴダケ」と云うそうです。
ちなみにナント食べれるとのこと。
スープとかが美味しいらしい・・・です

 
2010年9月15日(水)
君の名は
少し前になりますが、ある雨上がりの日に別荘地内で、やけに自己主張の強い子を見つけました。
その鮮やかな赤に思わずシャッターを切ってしまったのですが、プチトマトではありませんよ!頭がプチトマトのようなキノコなんです!!
モチロン、この「いかにも」といった色からして食べることは絶対に不可能でしょうが、これも何かの吉兆(だって赤丸急上昇とか言うじゃありませんか?)かと思い暫らく画像保存してありました。
残念ながらキノコ自体は2,3日後には跡形もなく消えておりましたが・・・。

今のところ当方には、これといったブレイクの気配もなく(笑)。
それにしても、なんという名前のキノコなのか?
妙に気になります。
    
2010年8月16日(月)
宝永山

弟一家がお盆休みで帰省して来ており、今日は姪のたっての希望で富士登山をした。
とは言っても、他に予定のあるこちらは途中までの付添いなのだが。
マイカー規制のとけた新五合目までを車で詰め、登山道を登り始めると約20分ほどで六合目となる。
弟一家はそのまま登り続けるためそこで別れ、せっかくなのでこちらはまだ行ったことのない宝永山へ。
宝永山は1707年の宝永の大噴火によりできた、その後噴火の無い富士山としては最後の側火山で、標高2693mに位置する。噴火当時は100km離れた江戸にも火山灰が積もったという。
300年前の噴火の凄まじさまでは想像できないが、その荘厳な姿には自然の大きさを感じ鳥肌が立った。 火口に下りている人影の何と小さいことか・・・。

大自然や宇宙などに思いをめぐらせる時にはいつもそうだが、自分の悩みや迷いのちっぽけさを痛感させられる。
一足早く下山し、打合せの待つ司法書士事務所へ 日常の世界へ戻る。

    
2010年7月30日(金)
空いた時間に

今日は別荘地内で関連業者との待ち合わせまでに2時間ほどの”空き”が出来てしまった。
往復30分強の時間をかけて、一旦事務所に戻るのも非効率だろうということで、急遽Yシャツ脱いで「植木屋さん」に。
暫らく手入れをしていなかった植木を剪定バサミで刈りこんでいく。
昨日の大雨もあってか、温度はさほど高くないものの耐え難い湿気だ。
少し刈っては全体のバランスを眺め、また刈っては眺め・・・。
限られた時間ではあったが、緑と接するのは、やはり良い息抜きになる。
ここのところ四十肩が酷く、運動不足気味なのでなおさらだ。
ふと、卒業後に畑違いの造園業に転身した大学時代の友人のことを思い出した。
まだ修行中だった当時の彼は、いつも植物図鑑を携帯しての仕事だと言っていた。
あれから10年以上が経つ。
一人前の職人になったであろう彼が今日の僕の作品≠見たとしたら、どう笑ってくれるだろうか?

    
2010年6月10日(木)
研修会

本日は午後から富士宮市役所にて、この3月に合併した旧芝川町の都市計画法上の今後の扱いについて研修会がありました。
基本的には来春以降、旧芝川町全域が市街化調整区域になる予定とのこと。
芝川町に暮す方、また町内で取引を扱う不動産業者にとっても、大きな影響がありそうだ。

右写真は、役員ということで冒頭に挨拶をする小生(殆ど見えませんが・・・)。

尚、この研修会にあたっては、会場の準備から、資料の作成、さらに司会進行まで富士宮市役所・土地対策課の皆様にご手配、ご対応頂き、大変お世話になりました。
課長様はじめ課員の皆様、誠に有難うございました。

               
2010年6月2日(水
歳相応、時相応

雄大な富士山も勿論、素晴らしいのですが、最近、何気なく通りかかった里山の風景や渓流の流れに心癒される時があります。
これも歳のせいでしょうか?
それとも、東京にいた頃、ビルの取引などコンクリートに囲まれた中で仕事をしていた反動なのでしょうか?

もし、東京で不動産の仕事を続けていたらきっと昨今の証券化の波に翻弄されていたことでしょう。
業界の最先端から取り残された感はありますが、こういった風景を目にしながら働けることには、都会では味わえない幸せがあります。

      
      
2010年5月29日(土)
田貫湖畔にて
今日は午前中からお昼にかけてご案内があり、昼食は田貫湖畔の食堂で「手打ち山菜そば」。手打ちのためか(?)他のメニューより200円ほど高めでしたが、素朴な味で美味しかったです。

湖のほうは、あいにくのお天気ということもあってか土曜のわりには人出は少ないようでした。
ここは何といっても、逆さ富士やダイヤモンド富士が有名。全国紙の一面を飾ることもあるんですよ。
ちなみに当サイトのトップページ表紙の写真も田貫湖です。

人の手がかなり入った富士五湖とは、また違った良さがあります。
   
2010年5月24日(月)
富士のくに

仕事でよく新幹線に乗ります。
富士川橋あたりの富士山が見えるポイントにさしかかるとかなりの乗客が携帯を構えて、写メを撮り始める・・・。
そんな光景に出くわすと、やっぱり日本人にとって富士山は特別な存在なんだな〜と、あらためて思ったりします。
この地域に住んでいるとそんな有り難味をつい忘れがちです。


右の写真は、親父殿が趣味でやってる畑がありまして。
僕もたまに様子を見に行ったりするのですが、富士山側が牧草地になっていて、写真のような富士山を四季折々眺めることが出来ます。
それは、それは美しく感動ものです。
ただ、こんなに広い牧草地を見ていると ドライバーショットをおもいっきり打ちたくなってくるのは不謹慎でしょうか?(笑)