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礼拝説教(10月 11日) |
ローマの信徒への手紙第13章1〜7節、申命記4章1〜4 節
『仕える人』
今ゴルフが人気を呼んでいます。男子ゴルフ、タイガー・ウッズと石川遼選手が対戦しました。9日の新聞に2人の素振りが出ていました。ゴルフはいかに力まず、欲張らず、自然体(心)でプレーするか、になるかと思いますが、信仰もどれだけ自我を捨て、神にゆだねて、従うか、です。
わたしたちは神様にゆだねます。わたしたちには「神様に」という、対象者がはっきりしていますが、彼らは「どなた様」が対象なのでしょうかね。これからの石川遼選手が力まず、欲張らないで、自然体で、活躍するのを期待しましょう。
さて、本日はローマ書からの御言葉です。ローマ書と言えば3章が、3章のなかでも「イエス・キリストを信じる信仰によって人は義とされる」の御言葉が力強く迫るのをおぼえます。
本日は13章のテキストのなかから「仕える人」と題をつけさせていただきました。4節にも「仕える」、6節にも「仕える」とあります。イエス様も「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために来たのである。」といって、神と人に仕えてこの地上の生涯をあゆまれました。わたしたちのこの地上の人生もどれだけ神と人に仕えたか、天の国に迎えられたときそれが問われるように思います。
1節「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」とあります。「上に立つ権威」とはどのようなものをいうのでしょう。それは主権者、官憲、当局、と聖書の解説には出ています。ことばを変えていえば、国家、為政者とも言えると思います。
国家は国民の安寧な生活をめざして国の政治をすすめています。ですから「上に立つ権威に従うべき」ということばが入っている宗教教理=聖書に為政者は、アーメン、アーメンと喜ばれるのではないでしょうか。わたしたちは日本の法律に従って生きています。税金を正しく納めること、交通規則を守ること、その他いろいろな法律がありますが、それらを守って普通の生活ができます。さらに4節になると「権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです」とあります。パウロのこのことばは、わたしたちにすすんで善を行なうようにと促しています。というのは、この後に、「しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです」と言っています。3節の「実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です」と。国家の犯罪者に対する逮捕、刑罰には容赦がないことをパウロは知っているのです。
「上に立つ権威」は国家だけではありません。神様も万物を支配し、権威をもって、立っておられます。使徒言行録5章にアナニアと妻のサフィラが共謀し、ごまかして献金しますが、このふたりを神様はたちどころに打たれます。何も死にまで追い込まれなくても、と思いますが神様の思いは、そこまでいきました。
しかしまた、罪がわかり、悔い改める者には神様は重要なはたらきに就かせてくださいます。
『恵みの雨』という月刊誌に末富一先生の証しが出ていました。ご紹介しましょう。
この方は建築関係の仕事を長年なさっていました。2002年、仕事上の習慣的取引方法が商法に違反するとして逮捕され、拘置所に拘留されます。そのとき奥さんが聖書を持たせてくれます。2年11ヶ月の拘留期間中、聖書を読んで、罪を悔い改めた末富さんは、イエス・キリストを救い主として、その後の人生を信仰であゆむように回心されました。
「しかし、その時はまだ、自分が宣教師として、この恵みを海外で、しかもイスラムの人々に伝えるようになろうとは思ってもいませんでした」と語っておられます。
イエス・キリストを主として神様に従う生き方をはじめれば、神様はどんな人でも尊く用いてくださいます。1941年生まれで、66歳のとき宣教師への道が与えられ、現在68歳になられます。奥様と力強く異国の地で伝道されている様子が写真に出ています。欲しい方はコピーしておきました。おとりください。
いくつになっても遅くはありません。
今日のみことばから神と人に仕える生き方を再度新たにいたしましょう。
お祈りします。
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