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礼拝説教(10月 18日) |
ヨハネの黙示録7章9〜17節、 詩編36:章6〜10節
「天国に市民権をもつ者」 若い人たちがいろいろな分野で活躍しています。囲碁界でも20歳の名人が生まれました。このような人々に皆さんは何をおすすめされますか。
牧師は、“信仰をもって聖書を読むこと”をすすめます。そのすすめは今彼らには余計なことかも知れませんが、人はいつか必ず迷うときが来ます。そのようなときに神様からのメッセージをつかんでいると迷いが少なく、また、立ち直るのもはやくなります。今ギデオン聖書協会が聖書を配布していますがそのような場に彼らが出会われることを願っています。
本日はヨハネ黙示録(啓示の書ともいいます)から「天国に市民権をもつ者」と題してみことばに聞きたいと思います。クリスチャンは天国行きのキップをいただいていますから、キリスト者の死後は天の御国へと導かれると信じます。ただ、イエス様は「主よ、主よ、と言うものが皆天の国にはいるのではない」といわれました。
神様の喜ばれる神と人に仕えることを大切にしてこの地上の生涯をあゆもうでありませんか。
まず、聖書の構成をかんたんにおさらいしておきましょう。
旧約聖書は39巻からなっています。新約聖書が27巻合計66巻です。旧約聖書は創世記の天地創造からはじまって、人類の祖アダム、彼の堕罪、また、イスラエルの民と神様との契約(人間にとって恩寵契約です)、そして律法、また、預言者をとおしてやがて「救い主が来られます」と預言があります。
つづいて、新約聖書は「救い主が来られました」。4巻の福音書がはじめに入っています。イエス・キリストを信じる者に十字架による罪のゆるしの宣言です。その後、復活の信仰をいただいた弟子たちの伝道記録です。そして、神様の啓示が記されている「黙示録」が最後におさめられています。
本日はこの黙示録の7章9〜17節のみことばをいただきます。
9節「わたしが見ていると、・・・」とは、著者ヨハネに神様からの啓示が与えられました。その幻はヨハネに天の御国のことが実にあざやかに示されたのでした。
ヨハネは神のことば=イエス・キリストに熱心でしたから、迫害に合い、パトモス島に流刑になりました。世間から見ればキリストのお弟子さんは悲惨かもしれません。しかし、神様はあえてこのような世間から離れた島で神様の計画である幻を彼に示されたのです。「あらゆる国民、民族が、白い衣を着て、手にシュロの枝をもって、神様とキリスト様との前に立ち、大声で叫んでいる」姿を彼は見ます。その数はあまりにも多く「だれにも数え切れない大群衆」であるとヨハネは記録しています。
この大群衆はどのような人たちなのでしょうか。14節「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである」。白い衣を着た大群衆とは“キリストの救いにあずかった人たちです。どのような迫害にもめげなかった人々です。その人たちが神の玉座の前で神様に仕えている”というのです。15 節「それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、/昼も夜もその神殿で神に仕える」のです。主の救いにあずかっているわたしたちにもすばらしい約束が与えられていることに感謝しましょう。
16 節その人々は、「もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。」
17 節、「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」
キリスト様が天の御国でもわたしたちを何一つ心配のいらないように養ってくださる、と言うのです。ありがたいことではありませんか。
詩編の詩人は天の神をこのように歌っています。
36編6 節から10節「主よ、あなたの慈しみは天に/あなたの真実は大空に満ちている。
恵みの御業は神の山々のよう/あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる。
神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ
あなたの家に滴る恵みに潤い/あなたの甘美な流れに渇きを癒す。
命の泉はあなたにあり/あなたの光に、わたしたちは光を見る」と。
神様の御手の中にあるものは天の御国でも恵まれているのです。
最後に神様の愛をいただいている方の証しを紹介しましょう。
当教会のホームページにも載せている証しです。
「ペットを飼おう」ということになり、家内とペットショップに出かけました。気に入ったのは真っ白で小さな文鳥でした。どれにしようかと見ていると、頭のはげている数羽がいます。わたしは「イジメだ!」と思い、店の方に聞くとやっぱりそうでした。わたし自身、もっとも惨めなときに主に救っていただいた者なので、どうしても「元気なのをください」とはいえず、「そのいちばんイジメられているのをください」と言いました。お店の方も喜んで500円値引いてくださり、3,500円で買ったのが火曜日でした。
金曜日にその店の新聞広告が入り、なんと「文鳥一律1,000円」とあるではありませんか!。でも、ふしぎと損をしたとは思いません。わたし自身がイエス様の十字架という高い値をもって買い取られ、神の家族に加えられたということと重なったからです。ところが、その文鳥がなかなかなつきません。長い間イジメられていたので無理もないと思い、毎日えさを与え、鳥かごの掃除をしつづけました。主もこのようにかたくななわたしたちに必要なものを備え、心が開かれるのを長い間待っていてくださったのだなぁと思わされました。
そして1年ほどたったある日、とうとう小鳥が指にのってくれたのです。それからはとにかく飼い主といっしょにいることを楽しんでさえずるので、これこそ賛美の原型ではないかと学ぶことができました。
この小さな命をとおして、主が信仰について教えてくださったことを感謝しています。
お祈りします。
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