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礼拝説教(11月 1日)


コリント書第U 5章1〜10節
                    『天にある永遠の住まい』
 聖書に「人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります」とありますが、約3000年前に書かれた詩編ですが、人の寿命は昔も今もそう変わりはないですね。
 本日の聖書箇所を一言で言うなら“わたしたちの地上の生活は一時的、しかし、天上=神の国における霊的な生活は永遠”そのようにいうことができるのではないでしょうか。
本日は召天者記念礼拝です。クリスチャンはこの体が召されると天に帰るわけですが、先に召された方々(霊魂)と、いま地上にあるわたしたちとがいっしょになって神様をほめたたえる、これを神様は喜ばれます。
5:1にこうあります。 わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。
この同じところをリビングバイブルで読みますと、5:1「 私たちがいま住んでいる、天幕の家が取りこわされると〔すなわち、私たちが死んでこの肉体を離れると〕、天にある新しい体、永遠に保証された家がいただけるのです。 それは、人の手ではなく、神様の手でつくられた家です」とあります。「地上の住みかが滅びる=死んでこの肉体を(霊が)離れる」と天で永遠の生活が待っているといいます。5:6をみますと、パウロはこのことを確信しています。
先日ヨハネの黙示録から御ことばを取り次がせていただきましたが、ヨハネも天上の世界を神様から見せられて、「白い衣を着たおびただしい大群衆が父なる神様とイエス様のもとで神様に仕えている」、といいました。

皆さんは、天国での生活を信じておられますか? 天の御国での霊的生活を信じ、確信すると、今の生活が意味をもってきます。充実します。それはヴィジョンをもって生活するからだと思います。
“わたしたちの地上の生活は一時的、しかし、天上=神の国における霊的な生活は永遠”これをしっかりといただきましょう。
 生あるものはいつか死を迎えますが、
21日Mさんが召されました。昨年の今ごろTVで発病が放映されました。Nさんがやさしく介護しておられましたが、21日の舞台後、「僕のいとしい、大好きな、すてきな女房が、サヨナラも言わないで永眠しました」と涙を流しながら、おっしゃいました。愛しておられたのでしょう。仲のいいご夫婦でした。しかし、おふたりの中に、『この地上の生活が終わると、天の御国に凱旋する』、そのような「天国思想」というものは見受けられません。少しさびしい気がします。
聖書ははっきり言います“わたしたちの地上の生活は一時的、しかし、天における霊的生活は永遠”と。聖書の世界がおふたりにあったなら、もっと物の見方は変わっていたのではないかと思います。

 大阪に、淀川キリスト教病院があります。一般にいうホスピス、と言いますが、末期がん患者さんを看取る病院です。ここにK先生がホスピス長としておつとめされています。先生が患者さんとの対話を本にされています。ご紹介しましょう。
「この婦人は73歳、ニコニコした顔で、『先生。もうすぐイエス様に会えそうです。あと1週間ぐらいですね。』と語りかけてきました。私はこのことばを聞いたとき、彼女はもう死を受容しているなと思いました。『そうですか。近づきましたか』と私もなるだけ平静に答えました。その後、亡くなる2日前に訪問したときも『先生。明日かあさっての感じですよ』とニコニコして言います。私はその明るさにまったく圧倒されてしまいました。『私にはわかります。目をつぶると天国が次第次第に近づいてますよ。感謝ですね』」。この後ご自分のお願いを先生にされて、「『天国が見えてきました』と静かに言って息を引き取りました。その最期はまわりにいる人々に感動を与えました」と書いておられます。
 人生、何をにぎって生きるか、たいへん重要です。
神様はわたしたちを罪の縄目からイエス・キリストという方をとおしてほどいてくださいました。天国へ凱旋する「勝利のキップ」を与えてくださいました。これを信じる者は永遠の命をもつ、といわれます。
神様が召してくださるときまで、天の御国を夢見て仕えて参りましょう。
お祈りします。