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礼拝説教(12月 27日)


             ヘブライ書11:6
                 
「信仰がなければ」
 本日の聖書はヘブライ人への手紙から御言葉を聞こうと思います。
11章6 節信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。
     神に近づく者は、神が存在しておられること、
     また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、
     信じていなければならないからです、とあります。

6節の前段は「 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」。とありますが、もっとすんなりと肯定的に読んでみましょう。“神様に喜ばれるためには、信仰をもつことが必要です”となります。
神様に喜ばれる人生、それはだれもが望んでいるわけですが、そのような人生を歩もうと思う人は信仰をもちなさい、とすすめます。
後段になりますと2つのことが言われています。@“神に近づく者は、神が存在しておられること”を信じること。
また、A神様は“御自分を求める者たちに報いてくださる方であること”を信じていなければならない、というのです。
信仰者にとって神様の存在を認めなければ話がすすみません。信仰の歩みをするものにとって神様の存在は信仰の前提となることです。

では、「信仰」をどう定義すればよいのでしょうか。
11章1節に、 信仰とは「望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」、とあります。
@「 望んでいる事柄を確信し」 と言いますから、“わたしの願っていることが、信仰によって神様のはたらきを通して必ず成る”ことを確信する。A「見えない事実を確認する」とは、信じて願ったものが、今はそのものをまだ見ていないけれども、このことはすでになった、もう手中にした、と完了形で心に描いていくことを言っているのでしょう。聖書の神様は、信仰で先取りして歩むことをすすめるのです。
イエスを信じて生きるものにとって、信仰はたいへん重要な意味をもっています。イエス・キリストも弟子たちに完了形で言っておられる場面がたくさんあります。
ただ注意することがあります。願うことをよく吟味しましょう。
すなわち、神様はあなたの動機を見ておられますから、純粋な動機で願いましょう。

 当教会は12年前にこの会堂と牧師館を建築しましたが、手元に建築資金の4,900万円はありませんでした。しかし皆さんは信仰で“支払いには何年かかるかわからないが、必要は必ず満たされ、教会のものとなる”そのように確信し、まだ見ていないけれども、このことはすでになった、もう手中にした、と完了形で心に描いて工事に着手されました。その後、牧師先生は交代がありましたが、皆さんは献金をささげ、返済を確実にしながら今日を迎えられています。残り、800万円程度に債務がなっていますから、負債のとうげは越えたと思います
信仰をもって、神様の存在を信じ、求める者たちに報いてくだ方であることを確信し、歩みましょう。
お祈りします。