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礼拝説教(6月14日)


ヨハネ福音書 3章1〜8節
        「二つの誕生日」
本日の聖書の中に風は思いのままに吹く、とありました。
風は聖霊様の別な呼び名でもありますが、聖霊なる神様は実にご自由におはたら
きになるお方です。そのことをみことばは言いたいのだ、と理解しましょう。3章2節
に「ある夜」とあります。この夜からイエス様が一日の活動を終えて「夜」はどのよう
に過ごされたか考えてみたいと思います。十字架につかれる前にイエス様は夜を
徹してゲッセマネの園で祈られたことはわたしたちの心にはっきりと残っております
が、イエス様はいつも野宿生活ばかりだったとは思われません。
ルカ福音書10章には、72人を任命し、派遣されるところがありますが、次のように
教えておられます。10章5節「どこかの家に入ったらまず、『この家に平和がありま
すように』と言いなさい。7節『その家に泊まって、そこで出されるものを食べ、また
飲みなさい』と。イエス様は1つの町を宣教されるとき、その町のある家に行き宣教
の趣旨を説明して、理解してもらったら、その家に入り、まず、祝福、平安を祈られ
たのではないかと思います。
そして、その地を立ち去るまで、その家で宿泊し、食事までお世話になられたので
はないでしょうか。ここで福音の生活化というものを考えてみたいと思います。
みことばをいただいてよいものは自分の生活にとり入れる、それを福音の生活化と
いいます。イエス様は「どこかの家に入ったら、まず、この家に平和があるように」と
言いなさい、とお勧めされました。わたしたちもイエスさまのおすすめに従って、人
の家を訪ねたら、チャイムを鳴らし、家の方がでてこられるまでに心の中ででも
「この家に平安と祝福がありますように!」と祈ろうではありませんか。
人生は種まきです。あなたが人々によいものを蒔いていれば、やがてよい実がみ
のり、よい実を刈り取ります。
ヨハネ福音書に戻りましょう。
そのように、宿に泊まってほっとしておられるところにひとりの男の人が訪ねて来ま
した。ファリサイ派という律法に厳格なグループに属しているユダヤ人議会の議員
さんです。なぜ夜に?議員という地位にある忙しい人ですから、人目につく昼間を
避け、夜に来て、じっくりとイエス様から聞いてみたかった、と思われます。
彼は素直にイエス様が天から来られたことを申しあげ、救いの道をたずねました。
するとイエス様は水と霊とによって生まれ=洗礼(バプテスマ)なければ神の国を
みることはできません、といわれます。水は罪を洗いきよめ、霊は新しい賜物が賦
与されることを言います。
本日の説教題は「二つの誕生日」です。ひとつの誕生日は母親から生まれる誕
生日です。これを簡単に、肉の誕生日と言います。この第1の誕生日はだれでも
もっています。神様が計画された出生です。神様の計画による誕生ですから、神様
がその人のはたらきを考えておられます。ですからこの世の中でだれも不必要な
人はおりません。キリスト教的なものの考え方は、肉の誕生だけでは、何か人間
に足りないものがある、というのです。
それに水と霊による第2の誕生(バプテスマ)を受けて、本来の姿となる。ちょう
ど花が開いただけでは実を結びません。受粉という過程をとおして実を結ぶように
、洗礼=第2の誕生日をとおしてその方に備えられた力量が発揮できる状態にな
る、というのです。
はじめの誕生日があなたの意思とは無関係であったのに対して、第2の誕生日は
あなたの決断
が必要となってきます。あなたがいろいろな宗教、哲学、その他
の真理に生きる生き方を調べ、キリスト教の宗教が本ものだと思われたら、洗礼
=第2の誕生日をお迎えになられたらよいでしょう。
使徒言行録やパウロの手紙に出てくる、キリスト教徒の迫害者だったパウロとい
う人は迫害するただ中で聖霊の力に打たれて、ここに本ものがあると悟ると、即、
バプテスマを受けました(使徒言行録9章18節)。
それに続いてこんどは神様が世界宣教に用いてくださると知るや否や、だれにも
相談せずに主に従ったと、ガラテヤ人の手紙の中で申しております。(ガラテヤ書
1章15節以下)。
当教会の牧師室に教会員の遺影があります。教会に関係して召された方、お願
いされた方の霊は以後教会で管理して行きますから、今回、お名前、誕生日、洗
礼日、召天日を書いた記録用紙を、写真の中にいれて保管してまいります。
皆さん、第2の誕生日、洗礼(バプテスマ)はきわめて重要です。
第2の誕生日をもっておられない方、次のように祈っていかれるとよいと思います。
主よ、みこころならば、わたくしも霊の目が開かれてこの地上の生涯を歩みたい
と願っています。わたくしの第2の誕生日をあなたが示してください、と。
お祈りいたします。