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礼拝説教(6月21日) |
第1、テサロニケ 5章16〜24節
「すばらしい世界」
神様は信仰をもって生きる私たちにすばらしい世界を用意してくださっていますから
、そのすばらしい世界を実のあるものとして、残された人生を生きたいと思います。
神様は、あなたをお造りになられたお方ですから、あなたの口から、どんな言葉が
出て来るか、注目しておられます。いつも前向きな言葉、肯定的な言葉が出るよう
にしておきましょう。
本日の聖書、第1テサロニケ5章16、17、18、節のみことばを、ごいっしょに読んで
見ましょう。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそキリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
クリスチャンであれば、いろいろなところでこの言葉を見るわけですが、はたして、
いつも喜んだ生活ができているでしょうか。
私たちの現実は、いいことがあったと思うと、すぐに苦難がやって来て、いつも喜ん
でおられる状況では、ないのですけれど、
主のみことばは、いつも喜んでいなさい。と勧めるのです。
このすすめに従おうと思えば、自分の頭を180度転換しなければ、できません。
まず、信仰の世界はあなたが中心ではなくて、神様が中心であることを、この教会
に来て日の浅い人も心にとめておきましょう。
命令形ですが、イエス様は言われました。「わたしについて来たい者は、自分を捨て
、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」(マタイ16:24)と。
人間的な力では、自分を捨てられませんから、信仰によって、ひとつ、一つ、捨てて
行きましょう。そうすると、自分の存在全体が、生ける神様に受け入れられている、
ということがわかります。
また、聖霊様が、あなたの日常生活の中に共にいてくださる=インヌマエルの神と
いうことを確信でき、喜びの輪は拡大していきます。
いつも喜んでいなさい。アーメンです。
次に絶えず祈りなさいです。
パウロさんは、この手紙をAD51年ごろコリントから発していますが、テサロニケの
人々に祈ること、ことばを変えると、神様と密接に交わることを勧めています。
聖霊様は今日、私たちにもこのみことばをとおして、テサロニケの人々と同じように
、祈りをとおして神様と深い交わりをして行きなさいとすすめられます。
絶えず祈りなさい。それは、いつも「祈り心」でいるということです。
説教の後に賛美歌、434番を歌います。その中に♪祈りこそは、♪祈りこそは、主
よ、みもとに近づかん、という歌詞があります。この賛美歌によって、祈りは神様と
深い交わりをする、神様に近づく最善の方法であることがわかります。
信仰生活は螺旋階段を上って行くようなものです。一段一段上って行かれています
でしょうか。
どのようなものを上って行くのか3つのことがらについて見て行きましょう。
@祈りによって「律法」から自由にされること
「安息日を覚えて、これを聖とせよ」という律法、その他を守らなければなりません
が、律法を完全に守って生きていない自分を認め、主イエスの御名によってゆるし
ていただく、そのような主の前にへりくだる心をもって律法から自由にいかされて
いくのです。もっとも、律法を故意にやぶってはなりませんが。
A2つ目は祈りによって、「自己中心」から解放されることです。
人間は、死ぬまで自我を持ち続ける存在です。ですから、その自己中心から少し
ずつでも解放されるよう祈って行かなければなりません。
イエス様も、このことはやはり大きな祈りの課題で、あったようにお見うけします。
十字架を前にして、「父よ、御心ならば、この杯(十字架の死)を私から取りのけて
ください。しかし私の願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22:42)と祈って
おられます。
B螺旋階段を上っていく3つ目の祈りは、「みことば」がひとつ一つ、身についていく
ことです。
先週の礼拝で、福音の生活化ということをお話しました。人の家をたずねたら、玄
関先で家人が出て来られる前に“この家に神みの祝福、平安がありますよう
に!”と。聖書を読んでいきながら、このみことばは、今自分の生活に必要があり、
かつ、これならできる、というみことばに出会ったら、また文脈に出会ったら、それ
を注意しながら習得していきましょう。
私たちが、聖書のことばを、神様からの贈り物としてだいじにしていくとき、神様は
ひとつ一つ、私たちの身につくようにしてくださいます。
大きな3つ目はどんなことにも感謝しなさいです。
感謝しながら生きることは、いろいろなところが丸くされ、また気づかなかったことも
気づかせてくださいます。
反対に感謝がなくなると、私たちの口からは、不満と非難がとび出してきます。
はじめに申しましたように神様は私たちの口、声を聞いておられますから、あなたの
口から前者が出ると喜ばれますが、
後者が出てくると悲しまれます。
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