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礼拝説教(7月12日)


マタイ福音書7章1〜12節、箴言21章2節
           
 「切に求めなさい」
箴言
21:2
人間の道は自分の目に正しく見える。主は心の中(動機)を測られる。
【新共同訳】新改訳では、人は自分の道はみな正しいと思う。
しかし【主】は人の心の値うちをはかられる。
ものごとをなすときそれをどんな動機でするか、たいへん重要であります。
神様もわたしたちのすることをどんな動機ではじめたか、よ〜くみておられます。
人間にとって決してまちがいでないもの、それは“天の父なる神様=(3位一体
の神)をあがめること”ですね。
今日は箴言のことばとマタイ福音書のことばから御言葉をいただきましょう。
今日のマタイ福音書の御言葉、12節
「だから、人にしてもらいたいと思うこと
は何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

この黄金律とよばれる聖書は確かに重要です。それを実行していくには
いつでも心を平安にしていなければできません。
マタイ福音書7章1節、
人を裁くな。きびしいことばですが、アーメンですね。
箴言の21:2にありますように、“人は自分の道はみな正しいと思う”のです。
わたしなどは問題を遠まわしに、上手に処理することができない人間ですから、
相手を傷つけることが多くあります。そのたんびに主よ、ゆるしてください、です。
皆さんも問題がおきたならば、事実を確かめて、必要なら責任をとるように
してくださいね。責任転嫁は決してよくありません。“嫁(ヨメ)”に責任をもって
いかれませんように。裁いてはなりません=メー クリネテとは人のあら捜しを
することを禁じることでもあります。また、自分が神様に裁かれないためでも
あるのです。因果応報ということばがあります。自分のやったことがいずれ自分
に帰ってくる、ことですね。
聖書にも同じような意味の言葉があります。ガラテヤ書 6:7 思い違いをしては
いけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、
また刈り取ることになるのです。
皆さん、あなたの教会の牧師先生は、神様が「この教会の羊飼い」として
お遣わしになった先生です。ですから羊飼いたる牧師先生を裁くようなことが
ありませんように、お願いしますね。
3 節、
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の
丸太に気づかないのか。
人はとかく他人の欠点、失敗はよく目につきます。
アラさがしのプロか、というぐらい他人の欠点はよくわかります。でも、自分の
欠点、自己中心さ、はわからないのです。悲しいかなこれが人間の現実です。
6節のことばも重要です。
神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を
豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたに
かみついてくるだろう。
犬や豚は擬人化した使い方ですが、そのことに関心の
ない人や物の価値のわからない人に神聖なものや高級品をさし出してみても
徒労に終わるだけです。聖書は御言葉の“宝石箱”ですが、その方が関心を
示すまで、祈り待ちましょう。遠回りのようですが、それが賢明です。

7節、
求めなさい。あなたは今、結婚相手を、就職先を、車を、健康を、家を、
子どもを、求めておられるでしょうか。今日は100パーセント求めたものがかなう
ことをお話ししましょう。
神様・天のお父様は、あなたを創造し、この世に送られました。あなたが今いる
ところが送られているところです。神様はそこであなたにして欲しいことがあるの
です。ですから、それを切に祈り、求めてごらんなさい。たとえばこのように、

“天のお父様、あなたがこのわたしに今して欲しいと願っておられることは
何でしょうか。わたしはそれをしたいのです。切に求めています。教えてください。
教えてください。”と。

神様はあなたを目的なしにこの世に送ったお方ではありませんから、あなたが
それを切に求めたならば、神様は必ずそれを提示されると思います。
わたしたちも自分のして欲しいことを、だれかが「わたしにできる何かお手伝い
することはないでしょうか?」と問われたならば、即、その人に「○○をお願いで
きますか?」と待っていましたとばかりにお願いしないでしょうか。
神様もわたしたちが問いかけするのを、願っておられるのです。
神様の願っておられることをしていく、一つ一つなし遂げていく、これが人生だと
わたしは思います。このように発想を転換して行ってごらんなさい。
あなたの人生は前向き・肯定的にすすんでいくでしょう。というのは、神様の願って
おられることを最優先した生き方ですから。
今日も螺旋階段を上りつつ、すべてのことに感謝しましょう。
お祈りします。