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礼拝説教(7月19日)


マタイ福音書7:21〜29
          
 「岩の上に家を建てる」
イエス様の本日の第一声は、信仰者のわたしたちにとって、きびしいことばですね。
マタイ福音書
7:21 「
わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」

“天の父の御心を行う者だけ”と言いますから、洗礼を受け、クリスチャンと呼ばれ
る人が皆、天の国に入れるのではない。
父の御心を行う信仰生活をすることが重要だと言っているのです。
今日のみことばをいただいて、牧師(わたくし)は当教会の羊飼いとして「かの日に」
皆さんが天の御国に入れるように皆さんを導かなければならない、そのような責任
を感じております。今日は信仰のあゆみを点検し、必要ならごいっしょに御霊の導
きにしたがって軌道修正(悔い改め)をしていきたいと思います。
皆さんはどのような動機で洗礼を受けられましたか?
○十字架のネックレスをさげるのがカッコいいから、?・・・(カザリ)。
○賛美歌を歌うのが好きだから、?・・・(趣味で)。
○親がキリスト教信者だから、?・・・(受け売り)。
今からでもおそくはありません。あなたの信仰を見てください。もっと主体的に、
十字架の真理をのぞいて、もっと十字架の本質的なものをつかみましょう。
わたしの人生になぜイエス・キリストの十字架の血(命)が必要なのか?
問うてみてください。
どうでしょうか、洗礼を受けられた、受ける、あなた。あなたの、心の叫び、本音は
次のようにありますでしょうか?
“神様、今(この世)を生きるわたくしには精神的に、またあらゆることが重くのしか
かって来ています。わたしは押しつぶされそうです。わたしはこの重荷から解放され
たいのです。
神様!物があふれ、さまざまな情報が流れていますが、わたしには何が本物なの
か、何を支えにして生きていけばよいのかわからなくなってきました。
教えてください、助けてください、この苦しみから救ってください、と”。
こうした真剣な叫びをされたならば、聖霊様はあなたに、御子イエス・キリストの
十字架の血を示し、あなたを救い、あなたを解放されるでしょう。なぜなら、神様は
あわれみ深い方だからです。また、人の罪のゆるしには清い血が必要ですから、
ヘブライ書9:22。神の御子イエス・キリストの十字架の血で清くしてくださるので
す。もう一度言います。キリスト教信仰者は一人ひとりが十字架の前に立ち、今
自分が負っているこの世の重荷を問い、その解決にイエス・キリストの十字架の血
による救いを、確信する必要があると思います。
そうしなければ、その人の信仰的生き方は「砂の上に建てた家」となってしまい
ます。
マタイ福音書
7:27
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒
れ方がひどかった
、とあります。なすことに根拠をもたず、自分でその責任をとらな
いで逃げてしまう生活です。そのような生き方は地に足がついた生活ではないで
すから、いくつになっても不安定です。
 イエス様はキリストの救いをいただく者に
「自分を捨て、自分の十字架を背負っ
て、わたしに従いなさい
」(マルコ 8:34 )と言われました。
自分に示される一つひとつの自己中心を捨て、神様が与えてくださる課題をイエス
様とともに担い、(クビキを共にする)一歩いっぽすすんでゆくのです。
しかも、その行動の裏づけには聖書のみことばが共にあるのです。
このようにみことばを土台にして人生を建てあげて行く、これを「岩の上に建てた
家」と言うのだと思います。
はじめにかえりましょう。「わたしの天の父の御心を行う者」、そのような生活に切り
替わったあなたは「かの日に」は、すなわち主の再臨のときには天の御国に住ませ
てくださるでしょう。
 イエス様はこれら「山上の説教」を今までの形式的な律法学者のようにではなく、
実に柔和で、「権威に満ちて」教えられました。
それを聞いた群衆は、たいへんな驚きようでした。
神様の子どもとして受け入れられているわたしたちにも、この権威が与えられて
いるのです。みことばに立って感謝しましょう。
お祈りします。