ホームページ タイトル 本文へジャンプ
礼拝説教(8月16日)


エレミヤ書20:7〜9、  使徒言行録20:17〜24
                
「神のことばに迫られて」
エレミヤ書
20:7
主よ、わたしはあなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。
20:9 主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、
わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります。
押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。

エレミヤは神の言葉の前に、まったく脱帽であるということを告白していますが、
キリスト者として回心したパウロもまた、同じように神の言葉の前にまったく従った
人でした。「神のことばをかたれ」と迫られた人は本人の霊性も理性も神様がにぎ
っておられることを知ることができます。
本日の使徒言行録のテキストはパウロが第3次伝道旅行に行ったときのできごと
です。聖書地図を見てみましょう。「8パウロの宣教旅行2,3」です。シリア州の
アンティオキアを出発して、・・・この点線のコースが第3次伝道旅行跡ですね。
使徒言行録20:17は、 パウロがミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たち
を呼び寄せた、場面です。トロアスから船でミレトスにやってきたのですが、船はと
きには数日間、数週間、停泊することがあります。パウロはこの停泊期間を利用し
て、エフェソの教会の長老たちに話しておきたいことを語ったのでした。
「教会の長老」この人たちは教会の指導的立場にある人です。
当教会でいいますなら「役員」の方がそれにあたります。
役員、それは牧師とともに「教会を建てあげていく」重要な役割を担う人です。

19節からパウロはキリストにある、証しを語ります。「すなわち、自分を全く取る
に足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの
身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました」と。
「自分を全く取るに足りない者」ということばに彼の主に打ち砕かれた謙遜さ、が
あらわれています。その彼に「ユダヤ人は数々の陰謀をたくらんできた」のでした。
ユダヤ人は頭のよい人がたくさんいます。頭がよいと理屈が先行し、信仰によって
生きることがなおざりにされる傾向があります。わたしたちは「信仰によって生きる」
生き方が与えられているのですから、これこそ神様からの賜物として大切にして
いきましょう。
使徒20:21 パウロは「神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰
とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです」と語ります。
「悔い改め」と、「信仰」、神様と深い交わりをして信仰生活をあゆもうとすれば、
たいへん重要なことがらです。パウロはエルサレムに上れば、投獄と苦難とが待ち
受けているとわかっていながら、エルサレムに上るのです。なんという主にある信
仰でしょうか。
本日洗礼を受けられた、○○○○○姉も、58年間の人生を総決算されて、コロサ
イ書の2章から、「人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事に
よって人のとりこにされないように気をつけなさい」のみことばをいただいて、今まで
の生き方を悔い改めて、主イエス様とともにあゆむ人生を決心されました。
すばらしい信仰的決断だと敬服します。
使徒20:24 「しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただ
いた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、
この命すら決して惜しいとは思いません」。
このパウロの「神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえ
すれば、この命すら決して惜しいとは思いません」なんと神様にゆだねた信仰では
ないでしょうか。
エレミヤの告白をもう一度確認します。
「主よ、わたしはあなたに捕らえられました。
あなたの勝ちです」

みことばに立って、主に脱帽してあゆみましょう。
お祈りします。