ホームページ タイトル 本文へジャンプ
礼拝説教(8月23日)


コロサイ書3章18〜21節、詩編128編1〜4節
              
 『ま心を込めて仕える』
 世の中にはいろいろな夫婦があります。他人が見て「よい夫婦」とはどんな夫婦
でしょうか。ま心を込めて仕えあう、中むつまじい夫婦がおおかたのよい夫婦と見
られるのではではないでしょうか。
本日は聖書から、夫婦・親子について聞きたいと思います。
パウロはコロサイ書3章18〜21節のなかで夫婦、親子のありかたについて、
また、エフェソ書でも夫婦、親子のことをとりあげています。
ペトロも第1の手紙(3章)で夫婦のことをとりあげています。これらのテキストを照ら
し合わせながら、最後は詩編128編1〜4節の理想的な家庭のみ言葉に到達でき
れば幸いだと思います。
 コロサイ書 3章18 節でパウロは
「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕え
なさい」
と勧めます。
エフェソ書では「自分の夫に仕えなさい。」とわざわざ「自分の夫」と断っています。
「主を信じる者にふさわしく」という言葉のなかに、“あなたはクリスチャンだから夫
に仕えなさい”といいます。クリスチャンはあえて、従うことを要求されるのです。
それは次の理由によります。
神様は男女が家庭を営むように創造されました。国家や教会も一定の秩序のもと
に運営さえるように、家庭においても一定の秩序のもとに運営されるようにしておら
れます。神様は夫に主人というように、神様の権威を与えられました。
ただこの権威を自分の欲しいままに乱用してはならないことはいうまでもありませ
ん。イエス様は神様の権威が与えられましたが、高ぶったり、権威を乱用されたり
したことはありませんでした。
神様は妻に申されます。神が一家の主人とされた夫に仕えなさい、従いなさい、と。
 また、神様は夫に
「妻を愛しなさい」と命令されます。
この愛はアガペーの愛、すなわち神様がイエス様をおくられた犠牲の愛です。
エフェソ書においては「自分の体のように」妻を愛さなくてはなりません、とあります。
ペトロでは「妻を自分よりも弱いものだとわきまえて」愛するように勧めているので
す。あなたに仕えている妻をどんなときにも矢面に立って守ってあげなさい、その
ような神様の命令なのです。
はじめに申しました「よい夫婦」はま心を込めて仕えあう、中むつまじい夫婦、
でした。このよい夫婦に共通するものがあるように思います。
○・・・見上げる目標が同じである。(たとえば神様の栄光)
○・・・相手を思いやる心が大、それはいうまでもなく、互いに人格を尊重
    している。
○・・・生活をスリム化している。人はたくさんのことに心を注いでいては
    大切なことが見失われてしまいます。イエス様も「思いわずらうな」
    といわれました。わたしたちは自分の生活を見直し、整理すべきと
    ころは整理していきましょう。
コロサイ書3章20節、
子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは
主に喜ばれることです
、とあります。
子どもが親に従う。それも神様によって立てられた秩序だから。神様によって立てら
れた秩序があいまいになると社会は混乱します。
また、どこまでが「子ども」かその基準はありませんが、ひとつの目安として、自分の
行動で生じた事に対して「責任をとる」ことができれば「ひとり立ちのおとな」と見る
ことができるのではないでしょうか。
3章21節、
父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないから
です
、とあります。人間は励まされてやる気も起こるものです。
励ましながら、責任感の強い人に育てていくのが親の務めなのでしょう。
夫婦、親子の関係が正しい関係に保てるならば、詩編128編のことばがぴったり
するのではないでしょうか。
詩編
128編1節、 いかに幸いなことか/主を畏れ、主の道に歩む人よ。
128編2節 あなたの手が労して得たものはすべて/あなたの食べ物となる。
    あなたはいかに幸いなことか/いかに恵まれていることか。
128編3節 妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。
    食卓を囲む子らは、オリーブの若木。
128編4節見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。


お祈りをいたします。