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礼拝説教(8月9日) |
マタイ福音書10章5〜15節、 ヨナ書3章1〜5節
『天国は近づいた』
健康の秘訣は、食事と運動と睡眠、今日ではもうひとつ、ストレスの解消、だそう
ですが、皆さんはストレスの解消法、心得ておられますか?ひとつには「この世の
ことにふり回されない」ことです。ふり回されないためには、この世の富や名誉に執
着しない、「超然とした生き方」が重要ではないでしょうか。http://www3.tokai.or.jp/mana/をご参考ください。
イエス様は10章1節以下にあるように、12人のお弟子さんを選ばれました。
本日は、12人のお弟子さんを派遣するにあたりいくつかの注意事項をはなされまし
た。これらの注意事項から自分の生活に適用できるものをいただきましょう。
10:5 、異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
10:6 【リビングバイブル】 イスラエル人のところにだけ行きなさい。 この人たちは神の
おりから迷い出た羊です。選民意識の強いイスラエルの人々は、いつの間にか神
様のおりから離れて自己中心の生活をしていたのであります。この人たちに向かっ
て『天国は近づいた』と宣べ伝なさい、と言われます。このようなみ言葉をとおして、
わたしたちもまた「クリスチャン」意識で人々から遊離した生活をしていないかどうか
点検する必要であるのではないでしょうか。
神様の子として、福音をたずさえて、世の中に積極的にかかわることも大切です。
8節、イエス様は弟子たちを遣わすにあたり、「神様の権能」を与えられました。
@ 病人をいやす力、A死者を生き返らす力、B重い皮膚病を患っている人を清く
する力、C悪霊を追い払い解放する力。ただで受けたのだから、ただで与えなさ
い、と。
わたしたちもクリスチャンになって(洗礼を受けてから)、神様の権能が与えられて
いますが、この権能は「キリストの教会を建て上げるために」与えてあります。
イエス・キリストの名を使うと尊敬されたり、ビジネスがはかどったりします。
しかし、それは本来の目的から反れた用い方です。キリスト様の名を使った商売等
は慎重にしなければなりません。
9 、10節、帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚
の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然
である。当時の習わしでは神様を敬うユダヤ人の家で、もてなしを受けることができ
たようでありますが、イエス様は、「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあ
なたがたに必要なことをご存じである」
(マタイ6:32)から、必要なものはそのときに与えられます、と諭したかったのでは
ないでしょうか。
11節、町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときま
で、その人のもとにとどまりなさいと、あります。ふさわしい人とはどのような人を言う
のでしょうか。神様を敬う人。誠実な人。ものを惜しまずに施す人。
使徒言行録の10章1節以下に出てくる『コリネリウス』のような人が連想されます。
12,13節、 その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。相手の方に「神
様の平安と祝福」が臨むように祈ることは、6月の礼拝説教でも申しました。すでに、
実践している方もあるようです。
14節、あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない
者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい、と。
自分はイエス様の弟子として、伝道の責任は果たした。後は福音を聞いた人の責
任です。と解説書にありましたが、たしかに「救いのよい知らせ」を伝えたのですか
ら、自分には責任はないのかもしれません。また、相手の方にそのときは福音を聞
く心がなかったのかも知れません。聖霊様は福音のたねのまかれた方には、はた
らいてくださいますから耳を傾けようともしない人をいつまでも心に留めておかなく
てもよいのではないでしょうか。
本日のポイントに入りましょう。
p1「ふさわしい人」、神様の喜ばれる人になるようにつとめましょう。
この地上の生活はすべて神様のみ手の中にありますから、恵まれた生活をさせ
ていただいている、という自覚のもとに、神様の喜ばれることに力を注ぎましょう。
「クバルさん」のかみしばい、をご存知でしょうか。貪欲のクバルさんは何でもお金
に換算していました。しかし、あるとき彼の生活が一変するようなことが起こります。
それ以来、彼はなんでも人に施す人に変わりました。彼の中の「欲張り」から「欲」
がとれたのです。彼の心中を察するに“この地上の生活はすべて神様のみ手の中
にある、これからは欲張った生活よりも、人に施す生活をさせていただこう”という
明確なみちびきがあったものと思います。
神様の♪細いみ声に♪心の耳を傾けましょう、(賛美歌497番)。
p2相手の「平安、祝福」を祈る。
イエス様の教えは実にいいことばではないでしょうか。「その家に入ったら、『平和が
あるように』とあいさつしなさい」。ユダヤ人の「シャローム=平安がありますように」
というあいさつは実に美しい、と解説書にありますが、それは心から相手の祝福・平
安を願っての祈りであるからその平安・祝福は伝わるのでしょう。
ある牧師先生からお便りをいただきました。直筆で、たいへん親切で、あたたかい
手紙でした。
最後のところに「気をつけていらして下さい。」「ご健康と主の祝福を心よりお祈り
申しあげます。」とありました。相手への心遣いが○○先生にはいつもあるのだろ
う、と感じました。
キリスト様からいただく「シャローム」わたしたちも人々に流していきましょう。
すべてのことに感謝して。
お祈りします。
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