ホームページ タイトル 本文へジャンプ
礼拝説教(9月 27日)


エフェソ書5章1〜4節、出エジプト記20章1〜7節
                 
『旧いおきて、新しいおきて』
 祈りの中で示されたことですが、植物の根は2つの役割をしていることがわかります。
ひとつは幹を支えるはたらきです。どんな巨木でも根が地中深く入っているから倒れません。もうひとつは、根が水分と栄養物を葉や幹・実におくるはたらきをしています。地中からそれらを捜し・とってはそれぞれの部分におくっています。だから、枯れず、実がみのります。
人はひとりでは生きられません。人の字が示すように、互いに支えあって生きています。
その人間も社会生活のきまりを作って、人に迷惑をかけないようにしないと、いろいろトラブルが起きてしまいます。その社会生活のきまりごとが「法律」です。人間が人間のために作ります。
 イスラエルの民は、集団生活をするにあたって、「神様の存在」を共通認識としました。“神様が与える約束ごとを守れば、神様はわたしたちを守ってくださる”そのような認識のもとに、モーセをとおして与えられた神と人との関係を律するものを「律法」といいました。
「法律」が人と人、人と国家、国家と国家のとりきめで、その傘下にあるものを拘束するのに対し、「律法」は神様とその方を信じる人だけが対象になります。
イスラエルの民は神様がモーセをとおして与えた「律法」=掟、また、戒めともいいますが、これを守って生きるのが、次第に彼らを拘束し、大きな重圧となっていました。
マタイ福音書をみてみましょう。
◆金持ちの青年
19:16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、ど んな善いことをすればよいのでしょうか。」
19:17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はお ひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
19:18 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、  盗むな、偽証するな、
19:19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
19:20 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
この青年は、イエス様が言われた、「隣人を自分のように愛しなさい」という律法を彼の生活の中で、どれだけ実践していたのでしょうか。彼の律法理解は形式的なものでしかなかったようにみえます。イスラエルの民にとって、律法を全うして生きることは至難の技だったのです。パウロはそのことをローマ 書の中でこういっています。
3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。
3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからで  す。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
「律法によっては、罪の自覚しか生じない」このことばが示すように、人間がいかに不完全で、自分の力では、はじめに誓ったことをまっとうできないかをよくものがたっています。彼らは新しい掟、そして、救い主を待ち望むようになりました。
そこに現れたのが、救い主イエス様です(神様のあわれみによって)。
モーセをとおして律法が与えられてから実に1300年が経過しています。
イエス様は公生涯の3年半、この地上の歩みをなさる間に「新しいおきて」を説いてあゆまれました。「神の子、イエス・キリストを信ずる者は、救われる。すなわち、罪がゆるされて永遠のいのちをもつ」と。このイエス様の新しい掟は「神の御子イエス・キリストが、十字架にかかって罪のゆるしのためにいのちを捨てる」ことです。イエス様はそのことをなしてくださいました。
弟子のヨハ ネは福音書のなかでこういっています。
13:34 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを  愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。
「旧いおきて」が神様からの命令であるのに対して、「新しいおきて」は神の御子が命を捨てて、愛してくださった愛の手本です。イエス様は実際に愛を示してくださいました。実態が伴っている「愛」なのです。この「愛」を理解して、本日のエフェソ書の御ことばをいただくと、今日の御言葉が実によくわかります。
エフェソ書
5:1 あなたがたは神に愛されている子どもですから、神に倣う者となりなさい。
5:2 キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。
神様は人間を救うために、御子をこの地におくってくださいました。
そのイエス様は十字架をとおして神の愛を示してくださいました。
この愛をいただいているわたしたちも、植物の根が2つの役割をしているように、みことばによって自分自身をしっかりと支え、一方では、あふれ出る聖霊の油を人々の救いのために流していく。愛を実践していきましょう。
お祈りをいたします。