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礼拝説教(9月6日) |
Tコリント書15章50〜53節 詩編104編31〜35節
『復活のからだに』
人はどんな人でも完全な人はいません。あやまちを犯します。
あやまちを犯し、それを指摘されたなら、「ごめんなさい」とあやまりましょう。
その人があやまったなら、あなたはゆるしてあげなさい。それが聖書のメッセー
ジです。あとで、ルカ福音書17章3,4節を見てください。
成長する夏が過ぎ、実りの秋となりました。もも、ぶどう、くり、さと芋、さつ
ま芋、ラッカセイ、もうすぐ新米です。おいしいものがいっぱいですね。
与えられたものを感謝していただきましょう。ただ、食べたら、からだを使いまし
ょうね。ため込みは危険です。病気になる率が高くなりますから。どんなものもバ
ランスがたいせつです。もも、ぶどう、は糖分が多いですから、積極的な運動をし
ましょう。わたしたちクリスチャンは「理性」と「霊性」が備えられていますから、
「理性」で考えて、一方では、黙想して「聖性」を高めます。そのような信仰生活
をしてまいりましょう。
本日は『復活のからだに』という題ですが、皆さんと話したり、皆さんの生き方
を見たり、聞いたりしていますと、「復活のはなし」以前ーーー「信仰の確認」が
必要と感じました。ですから「土台としての信仰」の確認をしたいと思います。
キリスト者・・・それは「信仰であゆむ」・・・これが基本ですね。
あなたの人生の一コマ、ひとコマを神様にゆだねて生きる。
あなたの体のことも、あなたの家庭のことも、あなたの子どものことも、あなたの友
人のことも、お金のことも、異性のことも、全〜ぶ神様の手にゆだねます。
あなたの思いは・・・こうなんだけど・・・、3+3=6なんだけど・・・、
それもみな神様のみ手にゆだねるのです。
あなたはこの世を生きるとき、人間関係や仕事の進め方、夫婦のあり方等、自分の力
ではどうにもならない“限界性”を感じて、“信仰によって生きよう”と教会につら
なったのではないでしょうか?(動機をよく確認しましょう)
あなたには、
“人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。”という、この箴言19
章21節のみことばが無意識のうちに心の中にはたらいているのではないでしょうか。
なぜ、信仰によって生きることを勧めるかと申しますと、
“神様からの恵み”をいっぱいいただいてほしいからです。神様の恵みをいただくよ
うになると、体が軽い、眼の前が広がる、真に謙遜な生き方がわかる。どんなものも
前向きに、肯定的に考えることが可能となる。逆に、この恵みの領域を体験しないと
キリスト教信仰で生きている、といっても、教会生活は義務的な重い生活になってし
まうのではないのかな、と心配しております。
本日はもうひとつ、皆さんに心にとめていただきたいことがあります。あなたは救い
にあずかったとき、神様のものとなったのですから、
@教会との関係を・・(へりくだって)・・良好な状態に保つようにしてください。
教会は主イエス様の宮ですから、主イエスさま
の宮できよい生活を心がけてください。
A牧師との関係を・・(へりくだって)・・良好な状態に保つようにしてください。
牧師は神様がこの教会に遣わした方です。
そして牧師をとおして神様の恵みがあなたに流
れていきます。
牧師を非難することは避けなければなりません。
神様からの恵みを自分でストップすることにな
りますから。
あなたが感謝して、共に伝道すれば、神様から
の恵みがいっぱい注がれることでしょう。
【新共同訳】
第1コリント15章52節、最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにで
す。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
本日のみことばは主イエスの再臨のことを言っています。
「主の再臨」、このことはクリスチャンでもわからない人が多くあります。
それはなぜか、「霊的」なことがらだからです。
新約聖書、たとえばマタイによる福音書の「はじめ」と「おわり」はわかりにくいとこ
ろです。それは「霊的」なことだからです。
はじめの部分、【新共同訳】マタイ1章18節 ◆イエス・キリストの誕生
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していた
が、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
・・・おとめマリアが「聖霊」によって身ごもる。処女懐胎によるイエスの誕生です。
おわりの部分、【新共同訳】マタイ28章1節 〜6節 ◆復活する
1 節、さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一
人のマリアが、墓を見に行った。
2節、 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転
がし、その上に座ったのである。
3 節、その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
4節、番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
5節、 天使は婦人たちに言った。
「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
6節、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。
さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
・・・墓に納めたイエス様の遺体はなく、婦人たちは「復活された」と告げられました。
◆イエス・キリストの「処女懐胎」と◆「復活」の両者は霊的なこと、四次元の世界の
ことです。
わたしたちの頭は「理性的」なことまでしかわかりません。すならち立方体=三次元の
ことまでしか理解できません。ですから、四次元の世界のことはそこに書かれてあるこ
とを信じる以外に手はありません。信仰によって、アーメンということしかできません。
本日の聖書箇所、Tコリント書15章50〜53節『復活のからだに』も人間の理性
で理解することを超越した世界ですからわかりにくい。信じる以外に方法がないのです。
このような霊的なことを与えてくださった神様に感謝しましょう。
お祈りします。
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