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礼拝説教(1月 10日) |
第1ペトロの手紙1章3〜9節
「生き生きとした希望」吉田弘先生
本日は教区問安と言うことで、富士宮教会の講壇に立たせていただいております。感謝してみ言葉を取り次ぎたいと願っております。
今朝の聖書の中で、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は、豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、」(3〜5節)と語られております。ここで語られていることは、わたしたちのために父なる神がしてくださったこと、キリスト者であるわたしたちに今もしてくださっておられることです。
ひとつは「新しく生まれさせ」てくださったということです。新しくとは気分や気持ちの新しさではなく、神との関係の新しさをもたらしてくださったということです。つまり、わたしたちの罪が赦され、神との和解が成立し、神との間に平和がもたらされている、という新しさです。洗礼を受けることによって与えられた神の恵みの賜物です。神を知らずにいたわたしたちが今や神に知られ、神をアバ父よ、と呼びかけることができる身分にしていただいたのです。しかも、今も継続していることです。
次に、わたしたちに「生き生きとした希望」が与えられていることです。神を知る前は希望もない者でしたが、今や、生き生きとした希望へと開かれている者にされています。なぜなら、神はイエス・キリストをよみがえらせ、死から打ち勝つことを得させ、それによってゆるがない希望の基礎を据えてくださったからです。どうして生き生きとしているのかといえば、神が天に蓄えておられる財産を受け継ぐようにしてくださっているからです。それは、朽ちず、汚れず、しぼまない財産です。この世の希望はすべてしぼんでしまうものであり、限界のあるものであることからすれば、永遠的なものです。しかも、しっかり受け継ぐようにと神の力により、守られていることです。
このようなわけですから、わたしたちは将来を望み見て、今を生き生きと歩みたいのです。
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