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礼拝説教(1月 3日)


           コロサイ人への手紙1:3〜8 詩編67:2〜8
                  
「神への感謝」
 本年最初の礼拝はコロサイ人への手紙から「神への感謝」と題して御言葉に聞こうと思います。
パウロはコロサイの人々にこう言います。
3節「わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています」と。
パウロがコロサイ人のために祈り、父なる神に感謝しているのは、
@コロサイの人々がキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、
Aすべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたから、というのです。
さらに付け加えればB天に蓄えられている希望、すなわち、あなたがたが、
福音という真理の言葉をつかんでいると聞いているから、祈りつつ、父なる神に感謝している、というのです。
「信仰」、「愛」、「希望」、信仰については先週学びましたが、望んでいることがらを確信し、
まだ見ていない事実を確認する、すなわち、信仰で父なる神様に願ったことは、“それをすでに得ている”、と信じて先取りして行くことでした。
愛は、まず、神様の愛をひとり一人が受け取っていく。すなわち神様から受け入れられ、
赦されている確信を得ること。あなた自身にそれがなければ、人に愛を注ぐことはできません。
したがって、愛の実践にはまず神様との深い交わりにおいてあなた自身が愛され、赦されていることを体験しなくてはなりません。
そうすれば、こんどはあなたが何か愛の行為がしたいと捜しはじめます。
希望、をもって生きることは大事なことです。幻がなければ、民は堕落する、とありますが、希望がなければやる気が起こりません。力が出ません。

昨日箱根駅伝(往路)がありました。日大の○○○○選手は11人抜きです。
東洋大の○○○○選手は6人抜きをして、往路優勝をいたしました。
皆同じ空気を吸い、同じ道を走っているのですが、抜群の選手は体調を整えて、走りながら大きな幻、夢を描いているのかも知れません。

 本日の題は「神への感謝」でした。わたしたちが第1に感謝をささげる方は父なる神様でしょう。
わたしたちを造ってくださいり、御子イエス・キリストをとおして罪から救い、永遠の命を与えてくださったからです。ここに感謝の原点を置きましょう。
詩編の詩人も感謝をささげ、すべての人が神様に感謝をささげるように願っています。
詩編67編4 節と6節に「神よ、すべての民が/あなたに感謝をささげますように。
   すべての民が、こぞって/あなたに感謝をささげますように」と歌っています。
新しい年、神様に感謝をささげ、希望を持ってはじめましょう。
お祈りします。