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礼拝説教(1月 31日)


         エフェソの信徒への手紙4章17〜24節 詩編30編2〜6節、
                     
『宝探しの人生』
本日はエフェソの信徒への手紙4章17節以下から(見出しはーー古い生き方を捨てるーーとなっています)『宝探しの人生』という題をつけさせていただきました。宝は人によってまちまちですが、その宝をどこから探し出し(掘り起こす)、どのように活用するか非常に重要であります。
はじめに、本日のテキストを見て行きましょう。17節以下、パウロは「もはや、異邦人と同じように歩んではなりません」と言っていますが、異邦人とは、ユダヤ人に対して外国人、神様を知らない人々をさしています。
ユダヤ人にとっては、自分たちは“神が選んだ民”という自負心が少なからずあるのでしょう。それに対し、異邦人は生ける神様を知らない、無知で愚かな考えをして、放縦な生き方をしているように思えるのかもしれません。
しかし、わたしたちはどんな人に対しても上位にあるような考えをもってはなりません。神様はすべての人を平等に造り、救いにあずかって永遠の命を受けて欲しいと願っておられます。また、わたしたちも救いにあずかる以前は神様を知らず、自分勝手な生き方(今でもこれが完全になくなったわけではありません)をしていたのですから。
 今日、わたしたちは神様のあわれみによってイエス・キリストをとおして救われました。主イエスと交わりをもって生きるようにしてくださいました。主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われます。このお方につながって、「聖書」から生きる道を、真理に基づいた命の力を探していくのです。
また、このお方につながってもう一方では「祈り」をとおして神様のくださる宝を探して行くのです。
詩編の詩人は「主の慈しみに生きる人々よ/主に賛美の歌をうたい/聖なる御名を唱え、感謝をささげよ」(詩編30:5 )と神様にほめ歌と、感謝をささげています。なんとすばらしい生き方でしょう。
主イエスは男の人だけで5000人、女性や子どもを含めると○万人の人々に2匹の魚と5つのパンでその空腹を満たしてくださいました。(ルカ福音書9:10以下)聖書にはこのように神様が喜び、人々が救われ、解放され、いやされる記事がたくさん出ています。このことから、わたしたちの宝探しは、神と人に喜ばれることを探し出し、それを神と人にささげていく、与える人生なのです。このように仕える生き方は、自分のために貪欲になることはありません。また、イエス・キリストの言われるように、天に宝を積むやり方ですから盗まれる心配は要りません。
 わたしたち救われた者の人生は神と人に仕える生き方ですから、神様が自分に与えてくださっている賜物を正しく知っておかなくてはなりません。そしてそれをいつ使うのか、これらのことを生ける神、聖霊様と交わって、聞きとるようにいたしましょう。パウロはダマスコ途上、神の霊に打たれて、それからどのようにしていいかわからなかったとき、聖霊様にたずねています。『主よ、どうしたらよいでしょうか』と。(使徒言行録22:10)
救いにあずかったわたしたちは「神にかたどって造られた新しい人」です。(エフェソ4:24)神様のご期待に応えて行きましょう。
お祈りします。