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礼拝説教(2月 7日)


                     マルコ福音書2章1〜12節
               
『あなたの罪はゆるされた』
 
マルコによる福音書での主イエスの活動は、ガリラヤ湖周辺からはじまります。(マルコ1:21)
主イエスのなさる病人のいやしや解放、また説教はたちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まりました。本日の中風の人をいやすわざもガリラヤ地方のカファルナウムです。
ここで主イエスは「病人のいやし」と同時に「罪のゆるし」を宣言されて、そこにいたファリサイ人との間で問題が生じます。
物語は、イエスのおられる家が入り口まで人でいっぱいになっていて、中風の人のいやしを願う4人の人が、屋根をはがして担架にのせた病人をイエスの前につりおろす、場面です。彼らは“主イエスの前に差し出せば必ずいやしていただける”そのような確信をもって行動しているようであります。
イエスの前につりおろされた中風の人に向かってイエスは「子よ、あなたの罪はゆるされる」と彼らの期待とはちがったことばを言われます。「罪のゆるし」と「病のいやし」、病のいやしは医者や霊能者等人間にもできることですが、しかし、罪のゆるしは神様の領域、神様にしかできないわざです。ファリサイ人が7節で「神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」と言っていることは正しいことです。
 時が満ちて、主イエスは神の子としてこの地に来られたのです。神の子が神様の全権をあずかって来られました。
したがって、主イエスは人の罪をゆるすこともできるのです。だから10節でイエスは 「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」といわれました。
主イエスはこの中風の人の「罪のゆるし」と「病のいやし」をされて彼を帰されました。
ファリサイ人たちは“主イエスが神の子としてこの地に来られた”その時を読むことができませんでした。
わたしたちも神様の視点から今がどんな時か、「時を読む」ことに関心を払いましょう。
 本日の聖書から神様のご意図、願いを聞きましょう。
 @ 人生は信仰をもって生きなさい。5 節で「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪はゆるされる』と言われた」とあります。神様はわたしたちが神様を信頼し、自分の思いを主にゆだねることを願っておられます。そしてゆだねたことは神様は最善に導いてくださる方なのです。イエスは「わたしを信じなさい」と言われました。神様を信じてゆだねることが良い結果を生み出します。
 A 神様はどんな小さな罪でもうやむやにすることはできない方です。
わたしたちが犯す神様への不従順な行為・行動は神様のノートから消えていないのです。それには神様のゆるしをいただく『神様のカギ』が必要なのです。さいわいわたしたちは『イエス・キリストの御名によるカギ』をいただきました。なんとすばらしい特権ではないでしょうか。
わたしたちの教会では礼拝の中で「罪の告白とゆるしの言葉」を入れています。「目で犯した罪」「口で犯した罪」
「行いで犯した罪」これらをイエス・キリストの御名によっておゆるしください、と願い、御言葉によってゆるしをいただいています。単なる形式的なプログラムでなく、真剣に告白しています。
 B 神様はあなたに親身にかかわりたいお方です。
 イエス様はどんなに忙しく、また人々が押し寄せてきてもそれをうるさがられませんでした。どんなときにも親身にかかわってくださいました。主イエスはこの中風の人にも「罪のゆるし」と「病のいやし」をされて彼を帰されました。
あなたと神様が親身にかかわりたいのはまず、祈りからです。マタイ福音書6章に、
「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」。このようにあなたが神様と深く交わると、あなたの人生が神の手で開花していきます。
 今週もこれらの御言葉をあなたの生活に適用していきましょう。
お祈りします。