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礼拝説教(4月 11日)


               ヨハネ福音書20章19〜31節
                     『平和があるように』
 先週のテキストでは、日曜日の朝早く3人の女性たちがイエスの墓に行きました。
そこにイエスの死体はなく、天使(若者)がいて、「イエスは復活なさった」と告げました。
驚いた彼女たちはだれにも何も話さなかったのでした。(マルコ福音書16:8)
本日のテキストは、同じその日の夕方です。弟子たちが集まって家の戸に鍵をかけていると復活のイエスが
はいってこられたのです。イエスが「あなたがたに平和があるように」と言われると、
弟子たちは、主を見て喜んだ、とあります。墓に行った女性たちは驚き、震え上がり、正気を失ってしましたが、弟子たちはイエスにお会いできたことを喜びました。イエスの復活は時間と場所また、それにあずかる人によってずいぶんと変わることがわかります。
あなたは死んでよみがえられたイエス・キリストを信じておられますでしょうか。
 復活のイエスは弟子たちに「あなたがたに平和があるように」といわれます。平和、平安とは、心の平安、生活の安定、などを意味しますが、人がこの地上の生活をしていく上でなくてはならないものです。
イエスは弟子たちを派遣するとき、「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい」とすすめられました(ルカ 福音書10:5 )。神様から来る平安はゆるぎない平安です。
神様との交わり、祈りのなかでいただきましょう。
この後イエスは彼らを宣教へ送り出す言葉をいわれます。
聖書は人がイエスの救いにあずかることと、救いにあずかった者がイエスの御名のすばらしさを知って、福音宣教に使命を覚えることを願っています。
エマオ途上でイエスと歩いた2人の弟子たちはそのとき「心が燃えていたではないか」(ルカ福音書24:32)と
言いました。イエス・キリストの福音を宣べ伝えるとき、人間の力でするのではなく、
聖霊を受け、聖霊に満たされて、福音を宣べ伝えるのです。すると福音を伝えられた人は神の愛と力とを感じることでしょう。ですからイエスは「聖霊を受けなさい」とすすめられました(22節)。
 また、イエスは人の犯す罪をゆるしなさいともすすめられます。「あなたがたが赦せば、その罪は赦される」。
わたしたち人類はパウロがローマ書で「正しい者はいない。一人もいない」というように、罪を犯さない人はひとりもおりません。
ですから、わたしたちは主にゆるされた者としてゆるしていかなければなりません。
そのことは神様も願っておられます。
イエスは、十字架と復活を信仰で知ろうとしないトマスに、「あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。
信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。とトマスだけは十字架と復活の現実に触れさせ、主の復活をはっきり知るように諭されました。
30節、31節はこのヨハネ福音書が書かれた目的があげられています。
@ 「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり」、とあります。
 イエスのなさった救いのわざ、いやしのわざ、解放のわざ、またヘえ等の御わざを見て、聞いて、人々がイエスは神の子、救い主、と信じるたに書かれたことをヨハネ福音書は強調します。
さらに、A 「信じてイエスの名により命を受けるためである」と救いの核心をすすめます。 
 イエスの名による救いは、その人の霊魂に「永遠の命」が与えられます。永遠の命は肉体が死んでも、その人の霊魂はいつまでも神と共にある、というのが聖書の信仰です。
信じて救いを受ける者にはこのようなすばらしい命が与えられているのです。
感謝しましょう。