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礼拝説教(5月 23日) |
使徒言行録2章1〜13節
「聖霊の恵みにあずかる」
キリスト教にはイエス様の十字架による「死」と「復活」があります。
この復活につづき、イエス様を信じる者には「聖霊が降る」というさらに大きな恵みがあります。
復活されたイエス様は四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話されました。
そして、天に昇られる直前に「間もなくあなたがたは聖霊による洗礼を授けられる」と告げられます。
彼らは皆そのことを信じて、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていました。
すると、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」のでした。
“激しい風が吹いて来るような音”といいますから、どのような音なのか実際にその場にいた者、あるいはそのような体験をした人でなければ説明ができません。
その音は「彼らが座っていた家中に響いた」とありますから“雷がある地域に鳴り響くような”大音響ではなく、
ひとつの部屋に集中してしかもそこにいた人たちがはっきりわかる感じでその音を聞いたのでしょう。
『主が立ち上がられた日』という滝元順先生の書かれた本には徹夜祈祷の最中、「それは夜中の11時頃でした。遠くで何か、ゴーッというような音が聞こえ始めました。感覚的には、何十メートルもの高さの津波が、こちらに向かって近づいているような感じでした」と振り返っておられます。
このことから聖霊は使徒言行録の時代だけでなく、主が臨もうと思われるなら、今日でもそのような現象は起こるということを教えられます。
弟子たちはそのような音の後に、“炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上に”とどまるのを体験したのでした。
使徒たちはじめそこにいた人たちは、この天からの不思議な“神の恵み”にびっくりしました。
すると彼らは「聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした(2章4 節)」のです。
“霊”は見えません。しかし、たしかに力があります。人を動かされます。
また、ご人格を持っておられますから人間のことばがわかります。ですからわたしたちが神様をほめたたえる行動もおわかりなのです。
聖霊に満たされた彼らは、ほかの国々の言葉で話しだしました。
しかも「彼らがわたしたちの言葉で」というように、そこに来ていた外国の人々の言葉で、神の偉大な業を語っていたのでした。
ですから多くの人々があっけにとられてしまいました。
今は聖霊が臨もうと思われるところに御業が起こる時代です。聖霊を歓迎して主イエス様、神様をほめたたえる信仰生活をあゆみましょう。
お祈りします。
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