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礼拝説教(5月 9日)


                     ヨハネ福音書16章16〜24節
                     『悲しみが喜びに変わる』
 お弟子さんたちを前にしてイエスは、「わたしの名によって願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」
といわれます。イエスの名によって悲しみが喜びに変わる、福音の喜びをいただきましょう。 
イエスの生涯について書かれた聖書はマタイ福音書、マルコ福音書,ルカ福音書、ヨハネ福音書です。
その中でヨハネ福音書が分かりにくいといわれています。ヨハネはイエス様のことを理性的な面からでなく、霊的な面から書いているからだと思います。本日の聖書箇所も内容は十字架と復活のできごとを話しておられるのですが、ヨハネが霊的な面から書いていますから弟子たちの間では、18節に言うように「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」
ということになってしまいます。
イエスを見なくなるのは、十字架から埋葬のできごとをさしています。弟子たちにとって先生を失うことはたいへんな悲しみ、失望です。
しかし、キリスト教においては死からよみがえるという『復活』がありますから、この復活によって彼らは喜びました。
最初の復活の夕べ、弟子たちが集まっているところに復活の体でイエスは現れます。「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。
そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。」(ヨハネ20章19,20節)
 彼らの喜びはおそらく驚きととまどいで複雑な気持ちであったことでしょう。
今朝、23,24節の御言葉に注目しましょう。
 イエスは「あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる」と言われます。
「わたしの名=イエスの名」、名は体を現す、と言われますが、イエスの人格的な面を見ましょう。
イエスは天で父なる神と共におられ、父なる神と同じ神性をもっておられました。
「わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです」と。(ヨハネ17:10 )
イエスは父なる神と同じ創造性、解放性、いやし、救い、愛等、その名にすべてのものをもっておられました。
ですから弟子たちに「わたしの名によって願いなさい」と言われます。
この御言葉は今日イエスを信じるわたしたちにも当てはまりますから、イエスの名によって願って行きましょう。
大切なことは神様がほめたたえられることを願っていくことでしょう。わたしたちの望みは際限がありませんから。
「そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」と。
お祈りします。