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礼拝説教(6月 27日) |
使徒言行録13章13節〜25節
「神様の計画」
キリスト教はユダヤ教の中から生まれたわけですが、聖書をひも解くと、パウロという人はユダヤ教徒として歴史の大きな転換期に生まれた人でした。
人間は与えられた人生をどのように乗り越えていくかたいへん重要で、将来を左右します。
すなわち、ただ一度の人生を自分の力ですすめるか、あるいは信仰によって神にゆだねて生きるか、です。
パウロとバルナバはペルゲから150キロメートル程奥のピシディア州のアンティオキア教会に入ります。
彼らは神様に遣わされた福音宣教者としていっしょうけんめいです。使命を感じなければできない仕事です。
安息日がきて、彼らは会堂に入って席に着きました。掟にしたがって安息日に礼拝を守るためです。
当時の礼拝は@祈り、A聖書朗読(律法と預言書が読まれる)B説教です。意外と簡単なプログラムです。
説教者はその日に会堂長が指名したようであります。この日は会堂長はふたりのところに来て、奨励をしてくれるようお願いしました。
このときパウロは立ち上がって話しだします。なんと心の準備ができていることでしょうか。
話の前半は(23節)イスラエルの歴史、神様はイスラエルの民をどれほど愛し、恵んでくださっているか、
パウロの中にあった、神の恵みが語ってもつきません。さらに彼は後半部分を(24節から)バプテスマのヨハネからはじまってイエス・キリストの十字架と復活=神の「御子の尊い血」はすべての罪をあらい清め、神様との間に平和が来ることを力強く語ります。使徒言行録はルカが編集していますが、相当の時間パウロは説教したのではなかろうか、と推察できます。
彼の説教がたいへんよかったのでしょう。42節43節を見ますと、彼らは次の安息日にも同じことを話して欲しいと頼みます。
次の安息日には「ほとんど町中の人々が集まって来た」といいますから聖霊に満たされた福音の力には驚きます。
今日のテキストから22節に注目したいと思います。
「それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。
『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』」。
神様はわたしたちを造り、必用なものを与えてくださいますが、“神様の御心に適うこと”“神様の思うところを”をわたしたちがするように!願っておられる、ということです。
“神様の御心に適うこと”“神様の思うところ”とはなんでしょう。
神様の願っておられるつとめはひとりひとり、またそのときによってちがいますが、それを知って行なうことは重要です。
イエス様は十字架を前に、こう祈られました。
「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と(ルカ福音書22章42節)。
神様の御心をあなたが聞いて(祈りで)、それを行なう。まず身近な小さなことを願っておられるかも知れません。
それが、神様が最も喜ばれる神の子の働きではないでしょうか。
お祈りします。
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